その11-象徴天皇とはなにか

11.


 腰戸をあけて、表に出てみれば庭の四隅に煙が上がっているのがわかった。賢所に入るときに感じた匂いはイシカワがいったようにこの燎火なのだとわかった。火はすでにかなり長時間燃えたあとでかなり燻っていたが、近くで煙を見ると賢所前庭で感じよりも強く、薪材の植物特有の香りがした。

「あの建物が新嘉殿です」

 庭の先に賢所と同じような社殿が、三殿と違いひとつだけ建っているのがみえる。正面扉は閉じられているが御拝廊下とそこに昇殿するための階段がついているのは同じだった。階段の脇には、山門のときと同じように担当の隊員が二人歩哨として直立している。不思議なもので、その二人の兵士は社殿の中の人物の逃亡を防ぎ捕らえているというよりも、ただ尊いその御所にかしづき、仕え、守護しているように見えるのだった。

「新嘉殿は、皇室に関連する神を祀るさきほどまでの三殿とは性質がまったく違うものです。構内に入るときも一応ご説明しましたが、三種の神器のうちもっとも重要な宝物とされる天孫降臨の際に天照大神より賜ったとされる八咫鏡の神鏡を祀る賢所、天地神祇八百万神、わけてもその中心である万物の生成を掌るとされる神たちを祀る神殿、歴代天皇及び皇族すべてを皇紀初代神武天皇から皇紀2681年にまで及ぶその御代125代を祀る皇霊殿。その三殿からさらに特別に分けられ祭祀王たる天皇がおこなうすべての宮中祭祀のなかでもっとも重要な新嘗祭だけのために使用されるこの皇居という異界の中心、それがあの新嘉殿です」

 わたしは、イシカワに静かに言い含められるのに従い改めて前方から側面そして後方に至るまでその外観すべてを余すところなくみると、右側の大御饌殿に通じる扉から太いケーブルが伸びているのに気がついた。2000年以上の古式に則ってあるその社殿と近代的な電気ケーブルの組み合わせは奇妙に浮き上がって見えた。

「新嘉殿もほかの三殿と同じで、電気はおろか照明すらないんですよ」

 前をいくイシカワは一瞬だけ首をこちらに傾けてわたしの疑問に答えるように言う。

「五十嵐さんは新嘗祭のことはどれだけ知っていますか?」

 わたしは不意に問われて戸惑った。わたしは正直にいうとそこまで皇室に詳しいわけではない。ただたまたま同期に皇室報道担当の人間がいて彼と話すときだけときどきそういったことを聞かされるくらいだった。

「そうですね。いまは政教分離の観点から、勤労感謝の日としてされていますが、もとは穀物などを収めてその恵みを寿ぐ、神道におけるいわゆる収穫祭だったのだと聞いたことがあります」

 しょせん、わたしの皇室に関する知識などこの程度だ。だが、いまや右翼や神職に勤めるのでないかぎり大多数の国民にとって皇室の知識などこの程度のものではないだろうか。下手をすれば、勤労感謝の日のその意味も、いやいったい何日が勤労感謝の日かすらわからない人間だっているのかもしれない。

「ええ。一般的でもっともポピュラーな学説としてはその通りです。新嘗祭は、天皇の践祚の際には一世に一度限りの大嘗祭という特殊な形式で行いますが、そもそも新嘗祭は産日の神の一種であるイネの霊を呼び出し、新米などの穀物そしてさまざまな海の幸、山の幸を神饌として恭しくも奉納するものです。もともとの語源はニイアエと呼ばれ、それは直会という神人共食のによって一年の恵みを祈るというもので、第35代天皇である女性天皇の皇極天皇が始めて、この国が律令国家として整えられていく7世紀後半の天武天皇の代から正式なものとして宮中儀礼として整備され、そのときに古事記などに載せられその神話としてのが整えられたという学説が強いですが、また他方では弥生の古代には毎年の稲作の豊穣を記念して各集落ごとに土地神を招くニイナメという祭りが各地で行われており、それを古代国家の成立とともにその国家首長が祭祀権として取りまとめておこなわれてきたという説もあります。いずれにせよ、新嘗祭は明治期の近代国家神道により創始された他の諸祭と異なり、古来より伝わるものとみて間違いはないでしょう。かつてある人類学者は『遠い過去に根が沈み込んでいる信仰や慣行の最初の起源について我々は何も知らず、また、けっして何も知ることはないだろう』といいましたが、たしかにこの起源の説の当否については究極的にはわたしたちが判断することはできないでしょう」

 その人類学者、レヴィストロースの言葉ならわたしも大学で聞いたことがある。たしか、その言葉はこう続くはずだ。それは、『しかし、現在を問題にする限り、各個人が社会的行動をその場その場で自己の感動の働きのもとに自発的におこなっているのではないことはたしかだ』と。

「また、この7世紀の儀礼の整備によって、新嘗祭は収穫祭という側面から、言い換えればその農耕儀礼という側面から宗教的側面が強調されるようになったという説もあります。人々は季節柄に稲が穂を稔らせることを胎児を授かることと等しく見做し、そこから新嘗祭は天皇と穀物の神であるイネとの婚姻の秘儀へとその意味合いが変化していったということです。ただ、わたしにはむしろ7世紀からというより、どちらかといえばこちらの方がより元祖に近い新嘗の祭りのその本来の姿であるように感じます」

 豊葦原の瑞穂の国。水田の国。松永はその言葉の意味は稲穂が実る国だといっていた。

「というのも、この新嘗祭がおこなわれる11月というのは太陽が昇る日照時間がもっとも短くなる時期で、そのタイミングでおこなわれる祭祀は、世界中でみられるものだからです。たとえば、古代ローマのミトラ教でおこなわれる祭りではこの冬至を越えた太陽はとしてあがめられます。これは冬至を越えて日照時間が再び戻ってくるのを太陽の再復活として、祝ったものだといいます。日本の神道は中国の陰陽五行思想に強く影響を受けているといわれますが、陰陽五行思想は北辰である北極星に対する信仰作法がそのベースあるといわれており、その天を仰ぐ、つまりある種の星の運行に基づいて信仰作法が則られているという意味でも世界中の原始の祭りと共通性があります」

 つまり、いってしまえば、穀物の豊穣も太陽の周期もすべては一年という季節のサイクルのその節目によっておこなわれる祭りだった、そういう意味らしい。

「天皇は絶対的な霊力をもつ祭祀王であり、一年におけるさまざまな祭りを担う存在でありましたが、その霊力は不変ではなく、一年のうちに衰えていくと考えられたのでしょう。結果的に、太陽が復活し、そして稲穂が実る旧暦の11月にその霊力は死と再生によって一年ごとに再賦活される。新嘗祭はそのようなものだというのが文化人類学的なそして宗教学的な解釈です」

 イシカワは話を続ける。

「新嘗祭は1466年の室町時代の第103代後土御門天皇のときに応仁の乱でいちど途絶し、その後1687年貞享4年の江戸時代に東山天皇が再興するまで執り行われなかったといいます。しかし、わたしは確実にこれは誤りだと思います。それは新嘗祭とは、天皇にとってもっとも重要な祭儀であり、これこそが天皇が天皇たるアイデンティティだからです。むしろ、その二二〇年のあいだ天皇が存在し続けたこと、それこそが新嘗祭が連綿と受け継がれてきた証だといえます。そうです。天皇が新嘗祭を行うのではないのです。話は逆です。新嘗祭を取り仕切るものこそが天皇と呼ばれる存在なのです」

 イシカワとわたしはゆっくり、できるだけ話を先延ばすように歩いた。しかし、話はそれでも終わらずわたしたちは新嘉殿の前まで来てしまった。イシカワは立ち止まって話し続ける。

「五十嵐さんはさきほど、天皇とは何か、と問われましたね。では、逆にきかせてください。あなたは天皇とは何だと思いますか」

 わたしは今日一日ずっと出されていた宿題の提出期限が迫っているように感じた。天皇とは何か。わたしはそれを今朝この場所に来るまで、そして来てからもぼんやりと考え続けていた。今日という日は、まるでそのことを考えさせられるためにあったのではないか、そう思ってしまうほどだった。

「それは望む人によって変わるものなんじゃないでしょうか」

 イシカワはわたしの答えを聞くと、一瞬表情を崩した。そして、すぐにまた戻した。

「なるほど。興味深い答えですね。でも、その答えはやはり逃げだといわざるをえません。いったでしょう、天皇とはなにか、それは憲法に書いてあるとおりです」

 憲法に書いてあるとおり。すなわちそれは……、

「象徴です」

 イシカワは言った。

「大戦期の不幸な誤りはあったとはいえ、奇しくもその後押しつけられた憲法、そしてそれを我々自身の手で書き直したいまの憲法にすら辛うじて残された元首ではなく、象徴という言葉。それは二〇〇〇年以上になってたまさかたどり着いた真実です。そうです。天皇は象徴です。それはわたしたち国民にとって。この海に浮かぶ国土という大地にとって。それらを含むこの国というものそのものにとって。それはいまここにある存在にとっても、これまでの存在したものにとっても、そして、今後生まれてくる存在にとっても。三船さんもそれくらいはわかっています。わかっているからこそ、この宮中を拠点にして天皇を確保し、そしてそれを沖縄に移すことで、この国の『ハードフォーク』を実行しようとしている。そうでなくては、この国のプロトコルがコピーされえない。でも、三船さんはほんとうにそのことの意味を正しくわかっているのだろうか」

 イシカワはこれと似た問いかけを以前にもしていた。イシカワはそのときたしかこう問うたはずだ。

――陛下という万世一系の存在はただ一人、唯一。天皇という機関はそういうシステムをとっている。あなたはそれがどういう意味か本当に考えたことがありますか。

イシカワは説明に区切りをつけて、いよいよ目の前の社に進みはじめた。わたしもイシカワの導きにただ従って前に進んだ。一歩進むごとになぜか心臓が鈴のように鳴る。すこし立眩むように目の前が揺れる気配すらした。あの生物学研究所の前でイシカワの警蹕を聴いたときと同じようだった。

 イシカワは一歩一歩階段を上がり、確実に昇殿していく。まるで彼自身がその御座につくように。視線は目の前の扉を真っすぐ見据えて、おそらく瞬きをすることさえ自分に禁じているのではないか。天皇は望む人によって変わる。では、イシカワにとって天皇とは何か。わたしはまた一つ強く惹きつけられる疑問を自分の心のうちにみつけた。

 イシカワは拝殿廊下に達すると扉を開けた。新嘉殿のなかに一日のうちでもっとも強烈な日没の光が差した。暗闇の母胎は焼けた橙の色で満たされた。

「天皇とは何か、と問いましたね。では、もう一つ問いましょう。では、象徴とは何でしょうか。その言葉はどういう意味を指しているのか」

 新嘉殿に差し込むその南西からの光はひとりの男を照らした。いや、「それ」は人間と呼ぶことは正しかったのだろうか。わたしはその答えがいまでもわからない。

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