その10ー万世一系

10.


 そのあと明日の放送に関する細かい段取りに関して打ち合わせが続いた。三船はきょうのうちに電話で中継データを送るNHKセンターに連絡をとって主調整室側の段取りも済ませておいてほしいと最後にわたしに言った。すでに日は完全に傾いて、東の奥からは夜が始まりつつあった。三船はわたしを休所として用意した便殿に案内するといった。

「あ、それはわたしがお連れしますよ」

 立ち上がった三船にイシカワが引き止めるように言った。三船もイシカワがそういうことを期待していたようだ。三船は振り返り言った。

「そうですか。じぶんはこのあと他の担当たちとの定時連絡がありますので助かります。イシカワさんちょっといいですか。定時連絡のときに伝えようと思った連絡事項がありますので先に伝えておきます。ほんの十分程度ですから」

「わかりました。五十嵐さん、ちょっとここで待っていてください」

 二人はそういって、腰戸をあけて握舎から出ていった。出る前に三船は改めて「明日はなにとぞよろしくお願いします」とわたしに頭を下げていった。そういえば三船の敬礼姿をわたしはまだ一度も見ていなかった。最初に名乗りとともに挨拶されたときも握手だったし、わたしには軍としての姿は見せず、あくまで一般人とかわらず対等の人間として振る舞おうとしているのかもしれない。

 握社の腰戸が閉まると、二人の話し合う影のようすが遠くなって消えていった。わたしはコートからスマートフォンを取り出し、コールした。2コール目に小口は出た。

「さっきの件だが、どうだ」

「ちょうどいまセンターに戻ってアーカイブルームで調べていたところです。五十嵐さんが現場で録ったインタビューってのはさすがにまだ見つけてないんですけど、送ってもらった写真をもとにハイエンド画像検索機能で調べたら類似度評価90のあたりにたぶん同一人物が写っていると思われる画像の検索結果がでていて、その経歴くらいならわかりましたよ」

「早いな」

 小口には、握舎に入る前にスマートフォンで撮った写真を送っていた。自分とて、マスメディアの人間だ。隠し撮りの一つや二つくらいの経験もないわけではなかった。

「まあ、ただの画像検索とすることじたいは変わりませんからね」

「それで結果は?」

「共同研究のPDFが医療ジャーナルにアップされていてそこの奥付に乗せられている経歴によると、ええと、この人は2018年からNTTに入っているのかな。それまではフリーの研究者としていろんなシンクタンクを渡っているみたいです。面白い人ですね。通信工学系と生体医療系の業界をマグロみたいにぐるぐる回ってるみたいです。主用研究分野は人体通電技術の医療分野に対する応用ですね。いまふうにいえばIoTの医療部門ってところですか。2000年からは外資系で技術コンサルもやっていて、それでコネを得たのか2009年には自分でもベンチャーを起こして起業しているみたいですね。研究にいきなり飛び込んだエンジニアっていうよりもむしろこの分野での企業家としてのパイオニアのようです」

 わたしはイシカワが持っていたあの薄い磁気カードを思い出す。小口は「この分野」というが、わたしにはイシカワのあの薄いカードがどういった研究の専門分野にあたるのか、どうにもいまいち判然としなかった。

「でも、眺めていたら結構立派な経歴なのに一つだけぽこっと穴があるんですよね」

「どういうことだ」

「いや、そんな詳しいことはわかりません。この人物は大学の博士課程を終えたあとNTTに入って一時期はカリフォルニア大学に留学してるみたいなんですけど、このNTTに入るときと大学の卒業時期が微妙にずれていて二年くらい空きがあるんですよ」

 小口の無邪気な声を遠ざけて、わたしは昼に生物学研究所のなかから出てきたイシカワを反芻する。イシカワはあの生物学研究所に勤めていたのかもしれない。皇居内の生物学研究所が職員を採用して実際に機能しているかどうかは聞いたこともなかったが、そう考えればいろいろと腑に落ちるものがある。

イシカワにとってこの皇居はけして初めて訪れた場所でも、馴染みのない場所ではなかった。この異界のなかにあって飄々と慣れた様子で、わたしにこの場所のことを説明するのも、すべては今回の行動で初めて接するものというわけではなかったからなのかもしれない。わたしは懐かしそうに研究所を眺めていたイシカワを改めて思い出す。いろいろと繋がり始めているな。

「五十嵐さん、なにか掴んだんですか」

「まあな」

 どうせ、明日には知れるところだが、今この場で下手に長く話すこともできない。小口にはあいまいに応えておくことにした。

「ちなみに、下の名前はこいつなんて言うんだ。イシカワの下は?」

「ああ、そうなんです。この送ってきてもらった画像の人物の名前なんですけど……。あっ、というか、先に確認しておきたいんですけど……。」

 しかし、時間切れだったようだ。腰戸の当たりからまた人が入ってくる気配があった。

「あ、すまん。ちょっと一回切るわ」

「え、ここがいちばん……」

 コールを切るか、腰戸が引かれるのが早いかというタイミングだった。わたしは耳に当てていたスマートフォンをコートの内側に自然にしまおうとしたが、猿芝居だったようだ。

「お電話の相手はNHKの方ですか」

「ええ、三船さんに頼まれた話を局長たちに」

 通じなない嘘とはわかりつつも、調べていた本人の手前、誤魔化さずにはおれなかった。

「そうですか。わたしはてっきりご家族の方かと」

「いえ、そういうわけでは」

「そうですか。でも、御結婚はされているんですか?」

「妻が一人だけ。子どもはいないんです。どうにも忙しくてその余裕が……」

「そうですか。いや、忙しくて家族に構うことができないのは同じですね。わたしも放っておけばえんえんと研究してしまう性質でして」

「イシカワさんにもご家族がおられるんですよね?」

 考えてみれば、失礼な言い方かもしれない。しかし、つい聞き返してしまった。わたしはイシカワの皮手袋の下の指輪を思い出す。

「ええ、学生の頃に知り合った妻が。それからいちおう娘も一人います」

 飄々として無責任に思えるほど身軽そうなイシカワにしては意外な感じがした。その家族は、これからどうなるのだろうか。考えてみれば、こんかいの行動グループのなかの人間は全員が独り身というわけではないだろう。既婚者も子供を持つものだっているに違いない。テロリストの家族というのはその行動のあとどういうふうに暮らしていくのだろう。安全に暮らしていけるのだろうか。

「妻も娘も死んでいませんよ。ただわたしはほんとうに自分勝手に生きていますからほとんど一緒に暮らしてる感覚はないですね。実際に籍を入れるのもかなり遅れて30代の終わりになりました。でも、それも何の意味があったんだか。娘は妻と籍を入れてからの子だから、ええと、いまいくつになるのかな。小学生くらいかな。いや、このとおり家庭の人間としては最悪です」

「わたしも同じです」

「ほんとうは大学を出たらすぐに一緒になる約束をしていたんですが、どうしても研究のほうに身を割かなければいけない時期というのがありましてね。そんなふうに言い訳してたら随分と待たせてしまった」

「その時期っていうと?」

 イシカワはわたしの目を見据えるように覗きこんだ。そして、またいつもよりも数段不敵にうっすらとした笑いを見せると言った。

「わたし、じつは隣の生物学研究所で働いていたことがありましてね」

 やはり、さっきの電話の内容は聞かれていたのかもしれない。こんどはわたしが目の前の男の視線をそらさないように堪える番だった。ここまでくれば、やけだ。わたしは踏み込んで聞いてみた。

「あそこでは何を研究してたんですか?」

 天皇の研究というと、昭和天皇の標本の収集や平成天皇のハゼの研究が有名だ。だが、通信技術を専門分野とするというイシカワの研究がそれに類するものとは思えない。素人にはわからないがつながりがあるのだろうか。

「不老不死の薬の研究ですよ」

「は?」

「ほかにも、御所の護衛用のための番犬の研究とかですね。公開されている情報ではないんですが、あの研究所には地下施設がありましてね。そこにはありとあらゆる生物が集められて、その交配が行われてキメラの実験がなされていたのです。皇居の生物相に悪影響を及ぼす外来種の蜘蛛の対策のために専門に品種改良した鳥類の研究だとかもありました。ですが、わたしの研究は研究所の前で収穫できる農作物、主に米ですが、あれをもとにした医薬品の研究などをですね……」

 イシカワはしごく淡々と言ってのけた、いや、それどころか、いつもより真面目な調子で、あの神殿のなかで死体を前にしたときと同じ表情で語った。

「ほら。研究所の前で収穫時期が過ぎても刈り入れられていない稲があったでしょう。あれらはすべて不老不死の薬にするためのものなんですよ」

「あの……」

 あまりに突飛な話でわたしは何も言えなくなった。イシカワはそのままの口調で言った。表情も戻らなかった。

「もちろんこれは冗談です」

 どうしてこの男は冗談を言うときだけ真顔になるのだろうか。いや、冗談だから真顔になるのだろうか。本質的にふざけた男だ。

「ですが、あの研究所は一般に公表されているように生物学、それも分類部門だけに特化した『生物学研究所』というのは嘘です。ほんとうはありとあらゆる分野領域をもつ高度な総合研究所なんです。あそこの研究所に地下があるというのもほんとうで、あまり知られていませんが、――というか、宮内庁が公表してないのですが――かなり大人数の研究者が集まっていて、わりと大規模な研究所なんですよ。研究内容も多岐にわたり、様々な方面のための班があるんですが、それは歴代の天皇自身の手によって進められているプロジェクトもありますし、実をいうと有名なウミウシやハゼの研究なんかは天皇の手によるものではなく、すべて外部の研究所の手によるカバーストーリーなんですよ。あの研究所の目的のその大きなところは皇室に資するための科学というのがモットーですからね。そして、大部分の班がそのモットーのもと進めていたのが、万世一系というものの科学的側面の探求です」

 イシカワは腰戸の前から反対側に進み出た。オレンジ色の西日がイシカワのシルエットを際立たせて、振り返ってこちらを向く表情は逆光で暗く染められた。眩しさを感じたのかイシカワは瞼をすこし細く閉じた。すでに日輪は地面の底にその身を隠そうとしていた。

「この建物は本来こちら側が正面なんですよ。つまり西握舎はほんらい新嘉殿のためのものなのです。ついてきてください。お約束したとおり新嘉殿のなかと陛下の様子をご覧に入れましょう」

 イシカワの表情はどこか寂しげだった。

「正直にいいますと、あの当時の研究グループのなかではわたしたちの進めていたアプローチが万世一系というものの真実、そしてその確率にもっとも近づいていたと自負しますね」

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