その9ー2020年に起こったことB

9.


 北朝鮮のミサイル発射の速報があったのは日付が変わる30分前でした。その日のことはあなたも流石によく覚えてるんじゃないですか?ニュース速報は流れましたが、最初はみんないつものことだと取り合わなかったですよね。もう北朝鮮の弾道弾関連のニュースはもうこの国では日常になっていたし、このときも官房長官か外務大臣あたりが遺憾を表明して、国際社会も同じように非難をして、すこし大げさでも彼の国の締め付けがまた一つ強くなるくらいだろう。みんなそう思ったと思います。なによりも、国民投票の賛成過半数が明らかになり人々はそれどころではなく、街で配られる号外を記念に貰いに行っていた、それくらいのタイミングでしたから。

 翌朝、人々がニュースで観たのはおなじみのあのドナルド・トランプアメリカ大統領の声明でした。トランプはこう言いました。「発射されたミサイルのひとつはたしかにアメリカ西海岸に到達したものと確認した。我々の傘にひとつの破れ目ができた。我々は力強く新しい傘を持たなくてはいけない」そして、続けて「我々は攻撃を受けた。我々はリベンジをしなくてはならない。我々は戦わなければならない。我々は勝たなければならない」アメリカ政府は、ミサイルがアメリカ本土に到達し着弾したことを認めるということ、そしてその報復行動に出るということ、声明はこの二つの認識と意思を大統領が持ったというその事実を示すものでした。そして、大統領はすぐさまその日の昼には、自らが合衆国軍の最高司令官として国防長官に平壌の侵攻作戦の立案を命令し、議会には戦争宣言をするように求めたことを続けざまに発表。「我々は先般のミサイル発射に際してロシア並びに中国の協力があったというたしかな証拠を得ることができた。我々はいままで掴んできた彼らの「非公式」の資金や技術提供を「公式」なものと認める。もはや流れは止まることはない」という見解をさらに示しました。

 いまとなっては、これらの大統領の発言のどこまでが真実でどこからがブラフだったのか明らかではありません。いつものだったのか。それとも、たしかに大陸間弾道弾が西海岸のどこかに落ち、それに対する現実的な開戦への決意だったのか。けっきょく、自分勝手にも辞職したいまとなってはわかりません。事実は議会はけっきょく戦争宣言を出さなかったということ、ロシアも中国もこの見解を肯定も否定しなかったということ、そして西海岸の無人地帯に着弾したと発表されたその肝心のミサイルの正確な着弾ポイントはいまだ米国から発表されていないということ、それらだけが事実です。

 ただ真実がどうあれ、重要なのは、たとえ仮にこれがトランプ大統領お得意のいつもの『オルタナティブ・ファクト』だったしても、大統領の開戦の意思はその時点では本物だったということです。この大統領の開戦準備の声明はいままで緩やかに進んでいた時代の流れを確実に加速させました。皮肉なもので、この流れはもはや止まることはないというこの言葉だけはたしかに真実だったようです。そして、いま世界は再び自分たちの空が透明な傘の下にあるという事実を思い出したのです。そして、また近いうちにこの傘の下で戦いが始まるということも。

 さて、この事態に当然この日本も無関係ではありませんでした。憲法改正の号外が刷られたその翌日の日中、この国の人々はまたも号外を受け取ることになりました。そしてその号外が出た数時間後の夕方に、トランプ大統領はTWITTER上で「日米安全保障条約の破棄や在日米軍の完全撤退などという水面下での合意などしない。むしろ日本にはこれからはいっそう友情に基づいて行動するように求める」と呟きました。そしてこの呟きの数時間後に官房長官は「改憲後の国防軍と在日米軍とのさらなる連携のため関連法の整備、並びに憲法改正のために延期されていた米国との日米同盟のその改定を年内に行う」と発表しました。誰がどう考えてもこの発表は米国の意思にどの先進国よりもいちばんに従うという発表、対米追従路線の継続というふうにしか解釈できないものでした。

 米国の沈黙は破られました。そして、政権の約束も破られました。いや、彼らはそもそも約束すらしたつもりもなかったのでしょう。ただ、彼らは対米自立路線というフリをすることにより、明言という言質を出さず国民にただ米軍の撤退を解釈させたにすぎませんでした。すべてはほんとうにただのいつものこの国の政治家がやる茶番に過ぎなかったのです。国民が期待した対米自立のための改憲はここに裏切られました。それも大統領公式声明などではなく、ただのSNSの呟きで、です。国民投票が終わっても混乱と喧騒による分断の日は戻りませんでした。いや、それは更にひどいものとして継続されたといっていいでしょう。我々がただおだやかなときを過ごせたのはたった一晩だけでした。

 それからの日あらゆる主張が飛び交うようになりました。そもそも政権は対米自立など目指すつもりはなかった、従米は投票前からの既定路線だった、という主張。あるいは、政権与党の幹部が語ったとされる「合意はあった。事態急変は我々も想定に反することだった」という言葉を信じ、情勢急変による一時的な路線変更であり、事態平定後再び自立路線に戻るはずだという、主張。そして、反対に回った側は一様に賛成に票を投じたものを嘲笑と非難を浴びせかけました。曰く「自立国家などという夢物語を見ていた国賊」、曰く「政府と米国双方に操られた洗脳愚民」と。前者は対米自立のための改憲というお題目に反対していたネット上の右派、後者は考えもなしに盲目的に改憲に反対していた左派の言葉でした。

 この茶番の発覚で皮肉にも再び支持を盛り返し、勢力を再び得たのは頑固に護憲の論陣を張り続けた左派勢力でした。そして、極左グループもそのまま左にさらに押し出される形でその息を吹き返しました。左派勢力はその勢いのまま国民投票を再び振出しに戻そうとしました。すなわち、それは30日間の公布期間のあいだでの東京高裁への起訴を目指す運動でした。ただ、このときに国民投票において確たる不正や妨害の証拠を用意することができず、展開した起訴のための論陣が「国民投票は『なんらかの陰謀による圧力』に基づく投票であった」といういわゆる「なんらかの圧力論」には、国民一同この運動の末期を予感させられましたが。

 唯一ことの推移に満足していたのは護憲に回っていたネット上の右派層でした。そう、このグループは国民投票時には護憲の側にまわっていたのです。それはただ一点、対米自立のためというお題目を嫌がってです。そういった人たちは、政権は日米同盟を破棄後、中国にすり寄って外交を展開していくだろうと推測していたのです。あくまでこの層はぶれずに反日というものを信じ続けたというわけです。それが結果的に従米のための改憲だったとあとから明らかになったのをスジを通すことなく受け入れ、自分たちはねじれた護憲にまわったのを瞬く間に忘却して改憲を受け入れました。彼等は下衆にも「これで米国とともに中韓と戦争をする準備ができた」という旨の発言を繰り返しました。しかし、下衆ではありますが、韓国はともかく中国との情勢はたしかにいまそのように推移しています。

 沖縄でも、混乱は頂点を極めました。もともと改憲論議の爆心地のようなところです。その分断の度合いは本土以上になるのは当然の現象といえました。むしろ一度は政権の対米自立路線の打ち出しで口を開くことになった中道右派は、もはや沈黙する群衆に戻ることはできず一挙に反動として反体制派としての左派勢力に合流しました。もはやこうなっては、護憲も改憲もへったくれもなく反体制という状況が沖縄では生まれたのです。そして、それは数だけが拡大再生産されるように本土においてもそうでした。本土の人間は普天間へと辺野古へと渡り、沖縄は政府対民衆の闘争の場として極限まで焦点化しました。そして、ここにおいて改憲を成し遂げた安倍政権はもう甘い顔は用済みとばかりにそういった反体制派左派勢力に容赦ない対応をとりました。それは従来の警察権による捜査取り締まりから、完全な実力行使による文字通り軍隊となった国家暴力を用いることを辞さないものでした。

 そう軍隊です。わたしたちは軍隊として沖縄に渡ったのです。それは戦後以来初めての治安出動です。わたしたちは戦後以来初めての軍隊として出動しました。それは二重の意味において初めてでした。すなわちそれは、この国が1945年以来初めて軍事力を持って国家を防衛するという意味、そしてその軍事力が実態に即して「軍隊」と呼ばれるようになったという意味です。それはやがて国内の問題だけにとどまらず、国際戦争の代理の様相さえ呈していきました。

 在日米軍の作戦行動開始の一日前にトランプ大統領は沖縄の反体制派のなかにロシア、中国、そして北朝鮮の工作員が紛れ込んでおり、群衆を扇動していると、まったくSNSの噂レベルの声明を出しました。おそらく、トランプ大統領にこの声明の根拠はまったくなかったでしょう。しかし恐ろしい歴史の皮肉は、それがまったくの出鱈目ではなかったということですが。

沖縄での反体制派民兵組織との戦いは苛烈なものになりました。

 山間部の戦闘では米軍貸与によるドローンが使われ、戦闘には各島嶼の居住区での戦闘と作戦がありました。そのなかには市街戦などと呼ぶにはあまりにお粗末なほど小さな集落をめぐるものもありました。広い畑で遮蔽物もなくただひたすら撃ち合いになった部隊もあります。ゲリラ化した民兵組織は、ときに市内で民間人に混じりテロリズムのように戦いました。民兵組織のなかには、まだ若い地元の高校生や中学生が混じっており、彼等は人々がいうようにFPSか何かの的当てゲームのように参加し愚かに戦いに参加したのではありませんでした。彼等は現実のなかで戦い、身を震わせ、怯えて失禁し、やがてそれに打ち勝ち一つの覚悟をもつと、わたしたちの弾幕のまえに狂ったように爆弾をかかえて飛び出し、そして死んでいきました。そして、そのような若者はわたしたち軍隊のがわにもいて、同じように死んでいきました。

 まさか那覇の街が、あの国際通りが、石垣島が、ほんとうにあんな中東のようになるなんて。それにもかかわらずこの国の大半の人たちにとって戦争は海の向こうのものでした。ただそれは離島の出来事でした。それはさきの沖縄戦のときと何ひとつ変わるところのないものだったのではないでしょうか。国連はこのわたしたちの戦いを「21世紀の東アジアにおけるかつてない人道危機」といいました。

 わたしたちは戦いました。この国で初めて、そしてようやく軍隊として認められたわたしたちがいちばん最初に銃を向けたのは、まぎれもないこの国の人間だったのです。わたしたちはただ黙ってまだ改憲まもなくで碌に再編もおこなわれていない防衛省の命令でこの日本を守りました。日本国民からこの日本を守ったのです。

 わたしたちは誰もこの国の人間に銃を向けるつもりで兵士になったのではありません。わたしたちはわたしたちの身近で愛する家族や友人を守るために厳しい訓練をおこなってきたのです。わたしの部隊が沖縄に向かう前に、防衛大臣から訓示がありました。防衛大臣はいいました「諸君らのなかにはこの戦いに対して複雑な思いを抱くものも少なくはないと思う。だが、どうか諸君らはこの国に忠実であるなら、このわたしの任務を遂行してほしい。なぜなら、わたしは憲法の下に内閣に任命された文民であり諸君らはそのもとで統制される軍人なのだから。これがこの国の文民統制なのだ」と。

 わたしたちは戦いました。それは特別の機関などというものではなく、日本国憲法に則った正規の国を守る国防軍として、です。わたしたちは国民に銃を向けながら何度も自分たちに向かって問わざる得ませんでした。それは、国を守るということはどういうことなのだろうか、と。

 わたしたちはただ正しい存在になりたいのです。オリンピックの日がやって来る前に人々が期待した憲法に則った国民を守る軍隊としてありたいのです。そのためには更新するべきなのは憲法だけでなく国家そのものもまた必要なのです。そのためには明治以来続いたこの場所を首都とするこの国を別の場所に遷都しなくてはならない。

 そしてこの国を新たにハードフォークさせなければならない。

 だから、わたしたちは新たな領土が欲しい。

 わたしたちは真に自分たちが防衛できる国土がほしい。

 そしてその国土で守るべき国民がその象徴が必要なのです。

 わたしたちは国を守りたいのです。

 それがわたしたちの要請です。


 長い話だった。

 それはいまこの国で生きている人間ならみながすべて知っている話だった。わたしはしばらく口を開かず、三船が沈黙を話し終えた合図としたのを確認すると質問した。

「一つだけ訊かせてください。どうして、嘉手納の弾薬庫なのでしょうか」

 三船は躊躇なく答えた。

 あそこには核がありますから。

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