その7ー要求

7.

 

 そんなふうに三人で世間話をしながら握舎に入ろうとして、気がつけばすでに日は傾きつつあり、徐々に地上に近づく太陽の色は濃くなり始めていた。皇居内に上がったときに感じた、うららかな陽気はすこしづつ過去になり、夜の寒気が未来から吹き込んできた。

 握舎に入る直前、隣の大御饌殿の上部越しに新嘉殿の切妻造の屋根がわたしの目に映った。賢所には、電気は一切通っていなくて暖房器具のひとつもなかった。おそろく新嘉殿も同じだろう。なかのあの人物はたいそう寒いだろうとわたしは気の毒な思いがした。ましてや儀式の最中の襲撃だったから、暖かい洋服などではなく、おそらく祭祀専用の絹かなにかで出来た束帯姿だろう。束帯の防寒性能がどれほどのものかは知らないが、さぞや窮屈な思いだろう。

 仕事先から帰れずに、着替えも碌にできないときの疲労が堆積する感じは自分にもわかる。過重労働のテレビマンと天皇などまったくばかげた比較だが、わたしはどこか自虐めく思いで新嘉殿のなかの人物を慮った。

 ある意味では天皇という「職業」に休みはない。もっともそれを仕事、ましてやこの宮中を「職場」などと考えるのはどこかナンセンスなところはある。では、それははなんだろう。それはある種の地位だろうか。身分だろうか。神、ではないことは何年も前に決められた。それでは宗教家だろうか。

「気になりますか」

 握舎の扉の前でぼうっと新嘉殿を眺めるわたしに気がついたイシカワが言った。

「天皇とはなんでしょうね」

 わたしは気がつくと相手も考えずにぼうっと呟いていた。あまりにも愚直な問いだった。だが、人がときに答えることができず立ち止まってしまうような問いとはおうおうにしてなすすべのないほど愚直で自明なものなのかもしれない。そして、イシカワはその愚直でどうしようもないほど自明な問いに愚直で自明な答えを次のようにあっさりと返す。

「憲法に書かれているとおりですよ」

 入ってきてください。握舎のなかの三船の声が聴こえた。イシカワは声に反応すると、腰戸に手をかけた。そして、わたしに耳打ちをするように囁いた。

「三船さんとのお話が終わったら、あとで新嘉殿へご案内いたしましょう」

 イシカワが腰戸を引いて中に入った。わたしも続いて足を踏み入れた。

 入った瞬間に温度で外との空気の層の違いが感じられる。天井のあたりを見渡したが、とうぜんここも賢所内部と同じでエアコンのようなものはなかった。ただ四隅をみると火鉢がたかれていて、それがこの握舎内部の空気を温めているようだった。

「いや、すみません。奥の仕舞い所や内掌典たちの候所を使えればよかったんですが、指令所になっていたり、仮設の弾薬所などに使わせてもらったり、いろいろ割り当てていたら、ここしか残っていなくて」

 三船は簡易テーブルに両手を載せてそんなことを言った。となりの椅子では慌てて片付けたようにちょうどカレンダーくらいの大きさの紙が筒状に丸めて置かれていた。敷地内の配置のための地図か何かだろうか。

「とはいうものの、放送は明日の午前中の段階でお願いしたいと考えていますから、今日のところはどこかの部屋を五十嵐さんのための休所として空けないといけませんね。いま拠点の管理を担当している陸尉に頼んで東宮便殿の一部を間仕切りして用立ててもらっていますから本日はそこでお休みください。心配なさらずとも、渡り廊下より向こうはスチーム暖房が入っていますから温かいですよ。あとで案内します」

 三船はテーブルに乗せた掌をかえして、わたしに椅子に座るように言った。まるで面接のようだ。わたしは、パイプ椅子を引いてテーブルの真ん中にちょうど三船と向かい合うように座った。イシカワはわたしの隣の席に着いた。イシカワはわたしに「そこは衆議院議長が座っていた椅子ですよ」と、言った。「わたしの席は最高裁判所長官」。

 三船はあきれた声を隠さずに「よく覚えてますね」と言った。イシカワは「記憶力はわたしかなりいいんです」と笑って返した。そして、三船はそれ以上返さずにわたしのほうに向きなおった。

「さて、五十嵐さん」三船は両手を組んで顎に乗せた。

「我々の目的は第一段階を終えたいま第二段階目の作戦プロトコルにあります。第二段階目の作戦プロトコルの目的、それはすなわち我々の行動綱領を国民に対して放送すること、それこそが目的になります」

「第一段階というのは、この皇居の襲撃だったのですか」

「拠点の構築です」三船はすぐさまに訂正した。三船はどうも言葉の端々に過度に拘るところがある。まるで頑迷な思想家のようだ。

「五十嵐さん的にいえば、スタジオの確保ということかな」横からイシカワが口を挟んでわたしの疑問に答える。こちらはどちらかというと調子のいいコメディアンだ。ボケとツッコミなのだな。わたしは二人を見て唐突に閃いた。

再び三船が説明する。「そういうところです。五十嵐さんにお願いしたいのは、我々の国民に対する宣言と要請、その伝達を地上波を始めとするあらゆる映像メディアを介して実現していただきたいのです」

 三船は足元からスチール製の長方形の箱を持ち上げテーブルの上に置いた。それから留め金を外すと中身をわたしに見せるように開口部を180度回転させた。わたしもテレビマンだ。スチール製の箱を見た瞬間に中身は想像がついた。

「こちらを使って我々を撮影していただきたい。これは情報科のほうで運用しているものです。民生用ではないですが、一般のマスメディアが使っている業務用のものと同一だと聞きました。ですから、大丈夫だと思います」

 大丈夫もなにも、その機種は放送技術局で開発されて今年から新しく自分たち局で運用されているものだった。三船は一般のマスメディアが使用しているといっていたが、これは放送技術局と懇意にしているメーカー二社における独自開発のはずだったから、その情報は何らかの間違いだろう。

 しかし、たしかになぜこの製品が国防軍のもとにわたっているのだろうか。いや、そもそも局内で聞かされていた開発経緯のほうが虚偽だったのかもしれない。いつだったか、社会部の同僚が、我らの技術局連中が防衛装備庁と癒着してインテリジェンスのための撮影機材や録音機材の技術を提供していると聞いたのでスクープにしようと笑いながら話していたが、聞き流すべきではなかったのかもしれない。

「大丈夫です。自分は記者なので、ほんとをいうとカメラには実務で触れることはないのですが、研修で一通りやっていますので、できないことはないと思います」

 三船が持ち出したのはまだ局内でもようやく実験機扱いが解かれた4K対応のIoTカメラだった。

 以前技術局員が有志で他の局員向けに講座を開いてくれたことがあって、わたしはそれに参加したことがあるがその講座によると、その機種は新型の実験機というものの撮影の方法それ自体に変化はなく従来通りRECボタンを押して、被写体にレンズを向けるというのは変わらないらしい。そうであれば、べつに戸惑うようなことはない。曰く、革新的なのは大容量の素材データを有線通信から無線通信によってその扱いを簡易化したということらしい。

 これは、まえに小口が言っていたが、4Kほどの容量のある動画データを中継にも耐えうるほどの速さでしかも無線使用できるのはかなり画期的らしい。どれくらい画期的なのかというと、自分も含めて中継部の半数がお役御免になるほどだ、とか。

「そのカメラであれば中継車も不要ですから。放送データを撮ったその場から直接主調整室に送れるはずです。なのでわざわざ他の局員の方にご足労願わずとも、五十嵐さんお一人でも大丈夫なはずです」

 技術的なことだからか、これはイシカワが言った。わたしは二人に頷いた。

「放送のフォーマットなのですが。我々が視聴対象者として想定しているのは霞が関の極少数の人間ではなく、この国の国民余すところなく全員です。そのためには、できるだけ多くの媒体で放送を行いたい。最初はインターネット上での配信というかたちで計画を進めていたのですが、やはりそれだと年齢層や社会階層にほんの少し偏りが出るのではないかと懸念しましてね」

 わたしは聴きながら小口の技術屋としての熱弁を思い出していた。小口はもともと工学部の出だ。小口は言っていた。

 このカメラの注目すべきところは有線から無線という機動性の向上以上にじつは無線媒体というかたちによるダイレクトかつ日本中の電波をすべて同期的に扱おうとするそういう設計思想なんですよ。

 技術屋が嬉しそうに話すのは誰も皆同じだな、とイシカワを見てわたしは思う。

「このカメラ、調べさせてもらったんですけど、なかなか面白いですね。このカメラに組み込まれているOSを使えば、素材データそのものにUHFの帯域を始めとするあらゆる周波数情報をメタデータとして組み込んで送信することができる」

 この素材に対する周波数データを受信側が事前に登録をしておけば、放送局である主調整室をバイパスして直接、送信所に送ったり、あるいは各家庭のBCAS上の暗号情報さえ設定しておけば、その送信所さえも迂回して家庭のチューナーにも直接送信できるんですよ。つまり、これが十分に機能すれば、テレビ局自体もへたすればスカイツリーも東京タワーも必要なくなるかもしれないってことなんですよ。

 なるほど、このカメラ自体が一つの局ってことなんだな。

 そういうことです。これ普通に考えて電波法に引っかかってますね。たぶん民生用として製品化されても免許が必要になるんじゃないかな。それとも技適マークがもうどこかについてるのかな。

「しかも、これ無線LANの周波数にも対応していますね。もうこれ、カメラといっていいのかよくわからないシロモノですね。いやあ、これを考えた人には感服しちゃうなあ。最近は回線工事を必要としない固定無線回線やハイエンドな高速大容量モバイルルーターがほとんどですから、そこにめがけて周波数を送ることもできるし、なんなら直接移動通信体そのものに送ることもできる。いやこれはなかなか良くできていますね」

 はあ、実際テレビを見る人減ってるのに、しかし技術ばっかりすごくなって、なんだかなあ。

 ……。

 なんだよ。

 五十嵐さん、だからね、このカメラははっきり言ってもう放送用のカメラじゃありませんよ。もちろん、従来のテレビ放送の継続も見据えて、さっきいったような機能もあるんでしょうけど。さっき、このカメラ自体が一つの局といいましたけど、見方をかえればこれはある種のサーバーにもなりうるんですよ。

 じゃあ、インターネットもできるのか。

 言ってしまえば似たようなものです。おそらく、こんごの地上波放送とインターネットテレビのためのサイマル放送のために開発されたんでしょうね。もう何年も前から技術局の親方はテレビもパソコンも区別ないっていってましけど、いよいよそれが来たって感じですね。

「まあ、この一台だけではやはり、インターネット上では送信できる回線などたかがしれてますから、やはりテレビ放送がメインになるとは思いますが、それでもやはり面白いから使ってみたいですね」

「まあ、それはまたの機会ということで……」

 三船はイシカワの技術談議に話がこれ以上流れるのを打ち切るためにけん制を入れた。

「それじゃあこのカメラを使って直接あなたたちの画をそのままに送れということですね」

 こんどは三船が頷いた。

「そういうことです。ただ周波数と信号に関しては、NHKが一般放送で使用している通常信号ではなく緊急警戒警報のレベルⅡを使ってください」

 緊急警戒警報、それはもともとは昭和のころからはじめられた災害用の緊急信号で、その信号を受信したテレビは自動的に起動するという。

 総務省は全国の家庭に普及したテレビの緊急警戒警報対応率が98パーセントを越えたと去年の春の終わりころに発表していた。

 もともと国内の緊急警戒警報のための特殊信号に対応したテレビの普及率は2011年の震災が起きたあともいまだ一割ほどだったらしい。だが、去年の年明けから頻発するテロ対策の一環として、Jアラートとの統合の上で総務省のプッシュで家庭に浸透していったのだという。この総務省の猛烈なプッシュと手を組んだのは大手家電量販店で、そこには忖度と補助金の匂いが芬々たるものだったが、警戒警報による自動起動対応テレビの売り文句が「日本選手たちの奇跡の瞬間をシェアしよう」というもので、試験放送も兼ねて、日本人選手が金メダルを取る度にテレビが勝手に点くことになっていたらしい。結果的にヨドバシやビッグカメラ、それからヤマダなんかのテレビコーナーでは人が溢れたが、とどめの一押しは、対応テレビを買えば、NHKの受信料二年分キャッシュバックなどという身もふたもない戦略で、それが買い替えブームのタガを外した。最後には、その緊急警戒警報対応テレビが連日リモコンを押さずに自動起動したのは、そのオリンピックへの爆弾テロに対する情報だったという皮肉までおまけについてこの警戒警報対応テレビブームは続いたのであった。

「レベルⅡの帯域ならば、NHK系列だけでなく、民放他局とその系列の地方局まであわせて瞬間的に送信周波数をコントロールして同期させることができます」

 それだけではない。三船は知らないのか、言わなかったのかわからないが、レベルⅡなら、衛星放送、つまりBSにおける送信周波数も制御できる。ここまですれば文字通りテレビというテレビが勝手にNHKの放送波を受信するようになる。文字通り視聴率一〇〇パーセント。長年のテレビマンの夢がこんな形で達成されることになるとは。

「視聴者には、間違いなく放送を注視していただく必要がありますから、警報音も工夫したほうがいいでしょう。天皇にまつわることですから、冒頭には非常事態チャイムを鳴らしてください」

 皮肉なのだろうか。天皇にまつわる非常事態チャイムはただ一つ崩御のときに使われるのだから。

「肝心の放送内容ですが……」

 三船がいうところの宣言と国民に対する要請ということだ。三船は穏当にも「要請」という言葉を使うが、人質を取っているのでそれは通常の意味で「要求」ということと変わりない。あくまで頑なに「要請」という言葉にこだわるのは、なにに拘っているのだろうか。

「宣言というと、まずはここを占拠したということでしょうか」

「そうです。陛下を始めとする関係者と三権の長を拘束したという事実。ことの分岐によってはその全員が死亡するという事態もありえるということ。それはわたしたち自身が天皇と彼等を殺すということ。その証拠として、我々は総理を除くこの場にいたすべての閣僚と皇嗣殿下を殺害したということ。これらが我々の宣言になります」

「わかりました」

 まったく、なにがわかったというのだろう。わたしは自分に対する言いしれない軽蔑を感じた。

「過激で悪趣味な方法かもしれませんが、我々としては神殿の遺体を一つ一つ放送していただこうとも考えています」

「わかりました」

「次に要請の放送です。こちらが放送においてメインになるのですが、それは国民から一つ新たな場所を我々に用意していただきたいということです。その場所とはすなわち現在在日米軍基地のうちの一つである嘉手納弾薬庫です。その即時撤退そしてその現状における施設及び施設内で運用されている弾薬等を始めとする各種装備品、兵器、そして関連備品そのすべての我々に対しての移譲。これをあくまで政府ではなく国民に対する要請として発表します、それを放送してください」

 三船の口調はあくまで一貫していた。

「要請の内容自体はたいへんなことではありますが、五十嵐さんにお願いしていることはそう難しい話ではありません。さきほどもいったように我々がお願いしたいのは放送です。五十嵐さんはただ我々が用意したカメラで我々の声明を撮影し局に送ったのちそ映像を全国に電波として届けてくれればいいのです」

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