その5-宣言

5.


 じつをいうと人が死ぬのをみるのは、初めてではない。

 もっとも、それをいうならあの世界中のマッチョたちを片端からあつめて、争いの代替物にしようとして失敗した一年前の2020年にこの国にいた人間なら、直截にせよモニター越しの間截にせよおおかれすくなかれみているはずだ。

 この国ではテレビに死体が映らないのは報道各社により自主規制によるものだったが、事件以来拍子抜けするほどあっさりとその規制は解除された。いまや報道に、そしてやがてワイドショーにまで、くだらないお笑いタレントと変わらないくらい死体が映されている。そのきっかけを報じたのはどこの民放でもなくNHKであり、なにはさておきその最初の死体を中継したのはわたしだった。

 いまにして思えば、わたしはその日の前日も自宅に戻っていなかった。いやそれどころかその日から今日に至るまでの一年以上においてもわたしにはまともに自宅に戻った記憶はない。

 わたしには妻がひとりいるが、子どもはいない。

 妻とわたしの仲はどこかのチープなメロドラマのようで、妻はまいにちわたしの夜遅い帰宅にもかかわらず晩御飯を欠かさずに作り続けてくれている。そして、その料理は帰宅してわたしが妻に食事がさきか風呂がさきかと訊かれて、食事がさきだと応えると同時に残飯として棄てられる。冗談ではなく、妻は大きなピンクのゴミバケツの中こそがわたしの胃袋だと思い込んでいる。風呂には新聞紙が詰め込まれている。妻はもうずいぶん前から病院に通っていた。

 その日、わたしはその日の深夜に流されるセーリング選手のドキュメント番組の取材映像の確認をディレクターと早朝からすませたあと、隅田川沿いでおこなわれる五輪記念マラソンの記念ランナーたちからゴール直後のコメントをとるために墨田区の江戸東京博物館に詰めていた。明後日の開会式のために行われた五輪記念マラソンのランナーが戻ってくるまでの時間を利用して、博物館が用意してくれたプレスルームで他の民放の局の人間たちと並んで端末を使いドキュメントビデオのための原稿を仕上げていた。メールにワードファイルを添付してNHKセンターの人間に送ると、ちょうど中継車で待機していた新人が、ランナーたちがあと数十分もすれば戻って来るとわたしを呼びに来た。その呼びかけに従って博物館の正面にでると、両国駅西口から吾妻橋の折り返し地点までコースに沿って見物する大量の人の列がわたしの視界にとびこんできた。

 わたしはランナーが戻ってくるまでのあいだ、紙でできた日章旗をパタパタと音をたてて振る子連れの親子をただ漫然と眺めた。子どものかたわらに立つ母親は、トイレにでも行ってしまった夫を探して周囲を見わたしていたが、子どもはそんなことを意に介さず、もうじきやって来るランナーたちをいまかいまかと心待ちにして、道の先を見つめている。そして、そんな様子をみながら、わたしは考えごとをした。すこし前から考え続けていることだった。それは抽象的でなににもならない思考だった。しかし、それでもわたしは問いかけずにはいれなかった。

 この国は変わるのだろうか。それともすでに変わってしまっているのだろうか。それとも変われば変わるほど変わらないのだろうか。

 わたしたちは分裂しつつあるのだろうか。それともひとつになろうとしているのだろうか。分裂していくということはひとつなのだろうか。

 わたしたちのこの数年は、いや、いつのころから感じているこの感覚は何なのだろう。この「時間」はどういう意味を持つのだろう。

 ランナーたちが帰ってきたのが見え始める。立ち並ぶ人たちはただそれに歓声を上げて迎える。やってきた目の前のランナーに反応してただ手元の旗を振り、そして通り過ぎれば次にやって来るランナーに目を移す。過ぎ去ったランナーは次のランナーを目にする瞬間には頭の片隅から消えているのだろう。

 もちろん、答えはなかった。その代わりに目の前のこの光景があるだけだった。

 そして、一人目のランナーがゴールに到達するのと同時に爆発は始まった。

 前触れはいっさいなかった。その瞬間のことをあえて、思い出すならだれかが手放してしまったヘリウム風船がひとつ頭上の空にスローモーションで飛び去っていく光景だった。わたしはその大きな音に反してかなりゆっくりと振り返った気がする。なぜかはわからない。けっきょく、わたしがその日書いていた原稿は無駄になった。

 都内で確認された爆発箇所は全七ヵ所、いずれも23区内だった。狙われた区はいずれも世論調査で改正派が護憲派に比べてわずかにでも多数を上回っていた区だった。犯人は一か月もしないうちに当局によって特定されたが、それは2020年までに懸念された中東の人間でも隣国の東アジア地域の人間でもなくまぎれもなくこの国の人間だった。その政治的主張は報道されるより明らかだった。

 墨田区はわたしのいた江戸東京博物館前と押上の東京スカイツリー駅が爆破された。そのほかの区内では、デパートや駅ナカのファッションビルなどが狙われた。それは間違いなく、政府や都の公人や閣僚などの個人を狙ったこれまでのものから無差別に市民を狙ったものだった。そうでなくては、ただひとが集まるだけの博物館や駅などを狙うものか。

 わたしは事態収拾にあたる警察、救急隊、消防隊などはもとより爆風ではがれた建物の破片がまだ髪に白く残っている老婦人、爆発が起きた地点の真横にいたもかかわらず、人が楯となって奇跡的に難を逃れた大学生、その大学生の楯になった妻と娘が乗せられた救急車をただ見送ることしかできない家族の血で濡れた男、なにが起きているのか全く把握することのできない都議会議員、そしてそれら困惑する人たちと同じだけ掲げられるスマートフォンの数、それらの映像を収め、マイクを向け、本局に送り付けた。一秒でもはやく、そして長く現場の映像を送り放送するように、なんども本局を怒鳴りつけた。

 あますところなく。

 わたしはなにひとつあますところなく、この惨状を記録しておきたかった。そして、もし可能ならば映像と音声だけでなく、現場の埃っぽいコンクリートと胸が焼けるような油っぽい匂い、そして足元に飛び散った血と体液をそのまま電波に載せたかった。だが、わたしと応援に駆け付けた映像センターの人間が撮れたのは、スカイツリー方面であがっていた狼煙のように上がっていく煙だった。それは小さなキノコ雲にすら見えた。

 だが、この日わたしがみた死体はわたしの人生において二度目の死体だった。



「この道を抜けたらわたしたちの拠点にたどりつきます」

 前を行くイシカワは歩きながらわたしのほうに体をひねって言う。地下道から上がったときからかすかに聴こえていた御神楽と警蹕の声ももはや確実にはっきりとイシカワが歩く方角から聴こえてきた。

「じつはこれ録音なんですよ。最初のほうは拘束した宮内庁楽部の方にお願いしていたんですが、どうにも長時間になりますから途中で切り替えたんです」

 情報部隊の方たちに、録音機材等一式を持ち出してきていただいておいてよかったです。イシカワは笑顔で言った。

 そもそもどうしてわざわざこれらの音声を流し続けるのか。その質問には、イシカワは、おまじないです、とおどけるばかりで、まじめに応えてくれようとしなかった。

わたしは改めて、じょじょに大きくなっていくその声に耳を澄ませた。もしかしたら、わたしはいま夢を見ているのだろうか。ほんとうのわたしは皇居など存在しない世界でただ家にいてこの勤労感謝の日に、安穏と家でテレビでもみているのかもしれない。わたしはとうとつにそんな妄想をしていた。

 皇居など存在しない世界。

 天皇のいないこの国。

 わたしはそれを容易に想像できる。それは自分がいま営んでいる生活圏の景色からたんにその存在を引けばいい。天皇などわたしの暮らしには関係なかった。

 皇居の存在しない世界。天皇のいないこの場所。その国の名前はどんな名前だったのだろうか。自分が営んでいる生活圏の景色からたんに「その存在」を引いただけの景色、それはいまわたしが営んでいる生活圏の景色と変わりがない。

 だがわたしはそう思いながらも、こうも思い返す。いまわたしが営んでいる生活圏の景色から、『その存在』が引かれたいまわたしが営んでいる生活圏。それはけっきょく、わたしがいまいるこの世界からその存在をうまく引くことができていない。「その存在」を引くことができていないということなのかもしれない。わたしはそんなことを思った。

 そうだ。わたしは天皇のいない場所をうまく想像できていない。想像できたと思ったその光景はじつは「その存在」がいる光景になっている。どれだけ「その存在」がいない世界を妄想しようとこの国には、この場所にはすでに「その存在」はいて、それはすでに悠久の時間が経っている。そして、わたしがいるのはその妄想の世界ではなく、確実に『その存在』がいるこの現実なのだ。

 わたしは天皇のいないこの国の名前を想像することができない。

「あそこです。あの門を潜ったところが拠点です」

 足元から顔をあげるとクヌギ林の奥に洞穴の出口のようにまるく光が抜けているところが見えた。そこにちょうど瓦を載せた山門がある。拠点は山門を潜った境内のなかのようだ。

山門の下には、ちょうど左右に一人ずつ男が立っていた。迷彩柄の服装から一目で行動グループの人間たちだとわかった。わたしはここに至ってようやくイシカワ以外のグループの人間を目撃したことになる。男たちは門兵の役割を微動だにせずただ真っすぐ中空を見つめて愚直にこなしていたが以外にも小銃などは、少なくとも見える範囲では携帯しておらず、こちらに気がつくと会釈すらしてきた。

 山門に歩みが達すると、イシカワは彼らの前で立ち止まった。

「お疲れ様です。イシカワです。NHK報道センターの五十嵐さんをお連れしました。班長さんからそのことはうかがっていますよね」

 男のうちの右側の男が笑顔を浮かべてわたしたちを応対した「お疲れ様です。はい、根岸陸曹から伺っております」

「遅くなって申し訳ありません。行動プロトコルに変更はまだ発生していないですよね」

「ええ、大丈夫です。陸佐からはイシカワさんのことだからまた長々とおしゃべりしているんだろうとのことでしたから」

「え、陸佐はそんなこと言っていたんですか」

 ガーン、とイシカワはふざけて大げさに手をあげて反応した。

「ええ、イシカワさんはつくづく軍隊に向かん人だと。もちろん冗談ですけどね」

 左側の男がイシカワのふざけたぼやきをクスクス笑った。

「……そうですか。訓練頑張ったんだけどなあ」

 わたしはイシカワと門兵たちがそんなふうに談笑している合間に開け放たれた山門の扉から身体をさりげなく捻って「拠点」を覗きこんだ。

 広さは意外にさきほどまでいた生物学研究所の前庭よりも小さいように感じた。ただしほとんどいちめんが稲畑であったあの庭と比べると、中央にちょうど相撲の土俵と同じくらいのけっこうな大きさの構造物があったし、その奥の社殿群には、さらに建造物が多く連なっていることを考えるとじつは研究所よりも敷地自体は広いのかもしれない。前庭の奥の社殿は威厳高く置かれている中央のものを中心に従えるように三つ整列していた。一見すると普通の神社の境内のように変わったところはないが、左側の社殿のさらに一角離れた場所に、中央の社殿よりもさらに一回り大きなものも見えた。

「いちばん中央の社殿は賢所です。この場所の中心的なものなので、ここら一体の構内のことを総称して賢所と言いますが、それはあの建物から来ています。そこから向かって八百万の神を祀る神殿。左は皇霊殿、歴代の天皇や皇后などを祀っているそうです。あの賢所の真ん前にあるのは御神楽のための神楽舎。それを取り囲むのは握舎です」

 イシカワは覗きこんでいるわたしに気がついて説明してくれた。

 イシカワは胸ポケットから小さな二つ折りの半紙を取り出し、その中でさらに四つに折り包まれた和紙を指でつまんだ。

「手を出してください」

 イシカワはおもむろにわたしにいうと、片手でわたしの手首をつかんだ。思ったより力強くつかまれてすこし痛みを感じた。そうして和紙を開いて、わたしの手に粉末を振りかけた。

「両手で擦ってなじませてください」

 わたしが戸惑ってされるがままにしているとイシカワは大きな声でいった。いわれたとおり、おそるおそる手をすり合わせると粉末が皮膚のあいだの溝に入り込んでいった。

これは塩だ。わたしは掌のざらざらとした肌触りを感じて思った。

「おしろものです。ほんとは賢所のうらのお手水を汲んできたり、いろいろ作法があるようですが、まあ内掌典の方たちに敬意を表してかたちだけということで」

 イシカワはもうひとつ半紙を取り出して手袋を外すと自分の掌にふりかけた。

 わたしはイシカワが手袋を外すところをさりげなく見たが、黒の皮手袋の下はいたって普通だった。左手にはシンプルな結婚指輪も見えた。わたしの目線に気がついたイシカワがわたしにウィンクをしていった。

「これは絶縁手袋の代わりなんです。これでわたしも工学系エンジニアなんで電気器具類に触れる機会が多いんでね」

 イシカワはお清めが終わると、いよいよわたしに、「それでは入りましょう」といって、山門を潜った。わたしはイシカワに続いて躓を門の段に引っかからないように注意しながらその聖域に足を踏み入れた。

「さっきもいいましたが、あの中央の社殿が賢所で、皇祖の天照大神の形体である鏡が祀っています。それから神殿の後ろにあるのが祭祀の際に陛下がお着替えなどの用途でご使用される綾綺殿。他にも三殿の奥のほうにいろいろあるんですけど、まあ機会があったら説明しますよ」

 わたしはイシカワに言われるのをききながら、首を左右に振り見まわした。どの社殿も木造でできているが不思議と古めかしい印象はなく、むしろ丁寧に日々手入れされているおかげか、ほとんど新築のような堅牢さすら感じられた。

 イシカワが説明してくれた右側の神殿のさらに右側に小さな納屋ほどのものがみえたが、その扉の前にはひとつ学校の音楽室によくあるようなヒーターと同じくらいの大きさの金属製の箱とそれに付随して10メートルほどの高さがある鉄柱が立てられていた。鉄柱の先には、拡声器が二つ取り付けられそのままそのコードが巻き付けられている。あれはイシカワたちが持ち込んだものだろう。わたしはようやく御神楽と警蹕の音の出所をこの目で見ることができた。

 また、注意深く聖域のなかの音に耳を澄ませると、そこにはものが爆ぜる音がときおり混じっていることに気がついた。この自然音はむしろスピーカーと反対方向から聴こえてくるようで、気づけばすこし焦げた空気が握舎の後ろから匂ってきているのがわかる。

「篝火ですよ。となりの新嘉殿のほうで焚いているんです。新嘗祭の最中は電燈を用いず、篝火だけの光でおこなわれるのが習わしですからね。祭祀のあいだに燃やしていたものがまだ燃え尽きていないのです」

 イシカワは三殿のほうからみて右の握舎の向こうにみえるひときわ大きな神殿を指さしてわたしに説明を続けた。

「新嘉殿はあれです。あれは三殿とはまた別の建物で、新嘗祭でのみ使われる特別の社です。我々がこの賢所を強襲したときには既に陛下はあそこの新嘉殿に入られ祭儀の真っ最中でした。ですので、我々はそのまま新嘉殿のなかで陛下をご拘束させていただいております。ほかの握舎のなかで待機していた人たちは一箇所にまとめて収容させていただいているのですが、陛下だけは一応VIP待遇ということで」

 イシカワはまるでそのことを事務的にそしてどこか慇懃な調子でいう。まるで本棚の本を右に左に移すようにほんとうにあっさりと言ってのける。それは無関心な装いとも言えた。これほどまでの重大ごとをなぜ彼はこうも無関心なそぶりで言うのだろうか。それは裏返した強がりだろうか。それともすでに狂っているのだろうか。どちらも違う気がする。

「イシカワさん」

 わたしはずいぶんと久しぶりにまともに口を開いた気がする。

「どうしてこんなことをするんですか」

 どうしてわざわざ皇居のこの一区画である宮中三殿を掌握するんですか。

 どうしてわざわざ大音量で警蹕と御神楽を流すんですか。

 どうして天皇を人質にするんですか。

 どうして。どうして。どうして。思わず頭に浮かんだ、どうしての数はあまりにも多かったがけっきょくことばになってでてきたものは、バカに思えるほど直截的な言葉だった。まったく、記者にあるまじき失態だ、わたしはそう思った。

 イシカワは応えた。

「ええ、その説明を三船陸佐にご説明いただくためにお連れさせていただいたんですよ。もちろん、わたしの口から直接説明してもいいのですが、いちおう正式なものとして代表からお話しさせていただくのがよいでしょう」

 そうじゃない。わたしが訊きたいのはあなた自身のことなんだ。あなたはどうして天皇を人質にとるのか。あなた自身の理由を知りたい。わたしは自分自身がいよいよこのイシカワという男に興味を抱き始めたことを感じた。

 しかし、イシカワはわたしの疑問などいっさいかまいなく、さらに賢所の奥に進んで行く。そして、いよいよ賢所の殿上に昇るための正面の階段の前に、文字通りの陛下の前まで来た。

 正面扉は空け放たれている。わたしはその社殿の奥の暗闇を見つめた。目を凝らすと、闇のなかに鈍く光るものが見えた。それは天井に括りつけられている鈴の反射だった。鈴には太い縄が吊り下げられていて、一瞬誰かの肩にその縄が触れてわずかに揺れた。鈴はほんとうに小さく揺れたが、その神音は響かなかった。そして暗闇からその肩の主である胸板の厚い大男が現れた。男はゆっくりと階段を降りるとわたしの前に立った。そして、山門の男たちよりもさらにひときわ力強い微笑みで手を伸ばしてきた。わたしは男の握手に応じた。男は自らの官姓名を名乗った。

「国防軍陸上幕僚幹部防衛計画課二等陸佐の三船哲です」

「NHK報道局取材センター社会部記者室室長の五十嵐正樹です」

 軍服を着ているせいかイシカワほど軽い印象を受けなかった。だがそれでも想像していたよりも柔和な印象を受けた。顔の筋肉は引き締まっていて若くみえるが、それを引いて考えれば実年齢はわたしと同じで40代半ばといったところだろうか。背筋はきっちりと伸びきっており、硬い掌からはいまだ現場の匂いを色濃く感じさせる。

「ここ7、8年は現場のほうの部隊を廻されていましてね。こういった内局に近い肩書きで名乗るのは久々です。もっとも幹部候補生学校を出たばかりの頃は一年半ほどだけ方面隊の通信隊隊長をやらされてからまだ自衛隊時代だったころの陸幕幹部や防衛省の情報本部といった内勤のほうを多く廻されていたから、そういう意味では懐かしく感じますけどね。けっきょく自分は事務方と現場指揮のどっちが向いていたのか正直わかりませんね」

「そうなんですか」

 自分は入局してから一貫して現場の人間だから三船のいう感覚はしょうじきわからなかった。だが、ある意味では三船のように組織政治の近くで軍政に関わる事務方と現場、両方をみてきた人間のほうが組織、そしてその組織の在り方についていろいろと思うところがあるのかもしれない。そういった人間のほうがなにかを変えようという気をより強く起こすのかもしれない。そういう考えが浮かんだ。

「ただ自分がこういった肩書きにつくのも最後でしょう」

 この男はこの計画を、そして自分の最後をどのように思い描いているのだろうか。

「ところで来られたのは五十嵐さんおひとりですか。わたしたちは前交渉の段階で宮内庁職員一人のみの同伴を認めたのですが」

 わたしの横に立っていたイシカワが口を挟んだ。「それに関してなんですが、早期に対処せざるえないケースでした。残念ながら、交渉は反故にされ警備部の方を寄越されたようでした」そういうイシカワの表情は、眉根を寄せて歪んでいた。それは交渉を反故にされた相手への不信以上に事態の推移によって死者が出たことに対する悔悟のようだった。

三船のほうは「そうですか。それは困りましたね」と一言切り捨てたようにいい「あとで原陸尉たちとミーティングして五十嵐さん経由でそれに関する我々のリアクションを声明として伝えてもらいましょう」と簡単にいうにとどまったものだった。イシカワは三船の言葉に黙って頷いた。

「さて、五十嵐さん」

 三船は再びわたしのほうに改まって向き直り、語気を強めた。

「この度我々があなたをお呼びしたのは、あなたを介して我々の声明を放送していただきたいと考えたからです」

「それはネゴシエーションということですか」

「いえ、これはあくまで『放送』です。というのも、我々としては要求をただ伝えることに終始するであろうと予想してますし、こちらに対して向こうからなされる要求に我々は満足のいく行動はおそらくとれないであろうと思っています。ですので、これは交渉ではなく、正確を期するなら宣言とその公布です。だから、あなたにしていただくことは『放送』と呼ぶべきものです。我々の目的とする『放送』には、我々が望む今後の展望に推移させるための要求が当然含まれていますが、その『放送』自体も要求と等価なのです」

 三船は続ける。

「我々が行っていることはテロともクーデターともすこし違います。我々は政治的主張を有していますが、それは政権に対する暴力的な変更の要求でもなければまして現今の体制に代わって我々が権力を握ろうなどという政変の企てでもありません。我々の行動のあともこの国の政権及び政治システムは変わらずに残り続けるでしょう。我々が行うことはあえていえば独立という言葉こそいちばん近いでしょうが、しかしそれもどこかしっくりくるものではありません。わたしたちは完璧に新しい国家をこの地上に誕生させたいわけでもありません。あえていえば、それは国家の『ハードフォーク』といえるのかもしれません」

 わたしは三船のいうことがいまひとつ呑み込めなかった。

「なにはさておき、あなたにお願いしたいのは、ひとまず我々の宣言を放送していただくことです。詳しいディティールはのちほど詰めさせていただきましょう」

 三船はわたしを見据えて言った。

「わたしたちは現在皇居内部においてその占拠の達成を宣言します」

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