その4-銃声と警蹕B

4.


 品の良いダークスーツに包まれた塊の下部は湿り、そこから漏れだした液体と汚れ物が額から流れる血液とともに皇居内の大地を穢していた。ほんの数十分前までは、それは踏み入ることすら畏れおおいこの土地に自らの足跡を残すことさえ躊躇っていた人間の塊だった。そして、その剥き出しの肉体を見下ろす男はこちらに向きなおり、声をかけた。

「さて、それでは今度こそほんとうにいきましょうか」

 わたしはイシカワの呼びかけに返事ができずただ黙っているだけだった。わたしは彫像のように固まって松永の死体を見ていたが、実際のところそれは見ていたというよりも、焦点を合わせることもできずひたすら現実をシャットアウトしていただけだった。

 御神楽と警蹕の音だけは不思議と感覚器から遮断されずにわたしに入り込んできたが、それももはやさきほどまで聴こえていたこの場所のただの神秘的なではなく、たしかにこの空間が外とは原理が違う何かが流れる異世界であることを証しだてるものに変化していた。まぬけな話わたしはようやく自分がいまいる場所について正確にその自覚をもったのだった。

「この人は宮内庁職員ではありませんよ」

 イシカワは松永を粗野に見下した。

「どこの世界にこんなふうに拳銃を扱う宮内庁職員がいるでしょうか」

イシカワはそうわたしに告げたあと、松永から取り上げた拳銃を持ち上げ無邪気に観察した。そして、えーと、安全装置はこれでいいのかな、とわざとらしく呟いて操作した。

「正直にいうと、これ系統はわたしの専門外でして、こんかいの行動にあたって陸佐たちにちょっと教えてもらっただけなんですが、この拳銃はP230という型番のものだそうです」

 イシカワはばつが悪そうに苦笑いして、いやあ、モバイル端末の機種ならわたし国内で販売されたものぜんぶいえる自信あるんですけどね、と付け足した。いやそれなら拳銃を扱うNTT職員ってのもいないか、はは。イシカワはまた一丁拳銃を取り出して、両手で比べるように捧げ持つと、わたしに続けていった。

「ええとですねえ、こっちは陸佐から貸してもらったものなんですがP220というやつなんだそうです。ぜんぜん趣味じゃないからわかんないんですけど、9ミリ拳銃とか呼ぶらしいです。これも教えてもらったんですけど、ほら、ここ、桜にwのマークが入っているでしょ。これは自衛隊時代から軍で使われたものだから自衛隊マークっていうらしいんですけど、こっちの松永さんがもっていた拳銃はなんにもついてないでしょ。こっちのP230は国防軍ではなく、日本ではおもに警察官と呼ばれる身分の人たちが使っているものなんです」

 わたしはイシカワのどこか気の抜けた説明をきいて、ようやく手元に冷たい風の温度を感じた。ようやく血の巡りがまともなものに戻ってきたのか五感が感じられるようになってきた。

「それでこのP230を使っているのは、警察以外だと、というかまあこれらも警察の括りといえばそうなんですが、たとえば警視庁警備部警護課いわゆるSPと呼ばれる人たちや機動隊職員、それから皇宮警察の人たちが使っているんですね」

 イシカワは最後を強調していった。「松永さんはおそらく皇宮警察のそれも警備部公安課の方でしょう」そして、大げさに溜息をついて、拳銃をもったままの手で額に手をついた。

「敷地内見回りの人たちも含めての署の総員は敷地外完全退却のうえ御所以南上道灌濠以西に踏み込まないという前交渉の取り決めは、やはり守られていないのですね。おそらく、ほかにも守られていないことは多そうですね」

 イシカワは額から手を放してわざとらしい独り言を続ける。「まあ、よいでしょう。帰ったら、三船陸佐や立案担当の原陸尉に相談してみましょう。なんなら大臣官房の稲葉さんに調査をお願いしてみるか」

 イシカワはもう一度わたしのほうに向きなおり言う。「あ、もうこんな時間だ。しまったはやく戻らないと。すみません、お待たせしてしまって。ただ拠点は本当にここのすぐ近くですから」

 イシカワは借りたという9ミリ拳銃をしまい、もうひとつ松永のP230という拳銃を眺めた、そして、「どうしようかな、これ。あ、よかったらお使いになりますか」とわたしに言った。「冗談ですよ。さすがにこれはお渡しできませんよ」そういって、P230も同じようにダウンジャケットの内側に入れた。そして、最後に手元に残されたカードをワイシャツの胸ポケットにしまおうとした。

わたしは戻ってきた五感を試すようにおそるおそる口を開いた。

「あの、そのカードは……」

 イシカワが指に挟んでいるそのカードはクレジットくらいの長方形型をしており、みたところなんのへんてつもなく、デザインこそ真っ白でカードにはなにも印字もされていないようだが、材質は一般的なクレジットカードや交通機関で使うICカードと変わらないようにみえる。だが、松永はイシカワがそのカードで額に翳された瞬間まるで全身の霊気でも吸い取られたみたいに力を失ってしまった。

「ああ、これですか。これはね、ちょっとしたPANの概念を応用してわたしが試作した新しい人体通電装置です。いちおう、特許はわたしが持っているんですよ。もっとも人体通電装置なんて大げさに言ってますけど、そのへんにあるSuicaとかスマフォのSIMと原理はほとんどおなじです。このタイプは非接触型と呼ばれるものなんですが、カード内部のコイルの巻き方をすこし工夫しましてね。一般的に流通しているフェリカ規格のものよりも強力な電磁界を発生させられるようにしているんです」

 イシカワは嬉しそうに話しだした。技術屋らしく、自分の発明を語るのは楽しくてしょうがないらしい。

「このカードのなかに入れている集積回路は変調波を最新の分子生物情報学の知見に基づいていて人体内の細胞膜内のイオン電流を搬送波として定義しているんです。それによって従来のものと異なる方式で人体表面のみの電界化から生体内部にいたる人体そのものをリーダライタ化することに成功したんです。つまり、それは人体でもっとも電流が帯電する頭部を電極と見做して、人体電気抵抗を考慮に入れずに生体回路の自己増幅過程を達成したことを意味するのです」

 イシカワは眉根を寄せるわたしの表情をみて、できの悪い子どもに諭すようにいう。

「そんなに難しい話じゃないですよ。ようは、人間をバスの運賃機とか駅の改札と同じ仕組みにして、このカードでピッとタッチすれば人間のなかの電気回路を利用していろいろな情報を読み取ったり送り込んだりできるということです。さすがにまだそこまで研究はいっていないですが、研究がすすめば大脳から筋電位の命令形をこのカードで乗っ取ることにより、身体の運動や各種臓器の動きを人為的に制御できるようになるでしょう。改札機にカードをかざすとその改札機の身体である自動バーがパタッと開いたり閉じたりするでしょう。あれみたいに、たとえば工場内でアルバイトがシフトの前に工場長にカードを翳してもらえば、決められた時間だけ工場内作業をするように自動で人体を動くように設定できるかもしれないということです」

 わたしには、イシカワの言葉が透明な水中の向こうから響いてくるように遠く聴こえた。

「それはつまり、意思にかかわらず、身体を勝手に動かすことができるようになるということです。まあ、けっきょく身体を動かすのだからよくよく考えたらそれが「自動」なのかほんとのところよくわかりませんが、しかし、人間の意志と判断に基づかない「自動身体作業」というのは、認知面でのミス、つまりヒューマンエラーはこれで確実に無くせるはずです。こんなことを言っていると、すごく怖いことのように聴こえますが、実際は介護やリハビリテーション、それから心臓医療の分野への応用くらいまでしか研究は進んでいませんから心配は無用です。いまの技術トレンドはやはりディープラーニングに基づく情報認識技術やその応用としてのIoTによる遠隔制御技術などですからね」

 イシカワはわたしが口を挟む間もなく続ける。

「このカード自体には、べつに電気が大量に帯電しているわけではありません。そんなものただのスタンガンと何も変わりませんからね。こいつはね、比喩的にいって扉の鍵です。人間を電化させるためのトリガーなんです。松永さんもこいつによって頭部の入電部位から、起動電圧を与えられ、それらが神経系の活動電位のパルスパターンと同調し仮想的な発電所が作られました。そして、その後電位が閾値を超えた瞬間に全身の筋繊維に伝わるニューロンと軸索を通して、電源が入れられたみたいに一気に突入電流が流れ20mアンペア以上の世界への扉が開いたというわけです。本来、人の不随意筋はおおよそ10mアンペア以上でその制御を奪われるといいます。とくにもっともデリケートな心筋組織0.1ミリアンペアでも危険です。ただ、このカードが定義する搬送波の方式は手前味噌ながらよくできていましてね。人体の生命維持に関連するパルスパターンのみはその電流量を自動で抑えて流れてくれるように調整してあるのです。ですから、松永さんの場合、心臓臓器などの危険な人体部位を除くようなかたちで全身が電気回路となって、そのニューロンの先の神経筋接合部からすべてのモーターユニットを巡りそれが信号として各イオンチャンネルからカルシウムイオンを放出し、全身を収縮硬直させ、その後再び体内を通電し足元からこの皇居の地に抜けていき、脱力したというわけです。そして、気がついたときにはバキューンですね」

 イシカワは説明の最後にふざけて指鉄砲の引鉄を引いた。

「さっきの警蹕は……」

「ああ、あれはただのおまじないですよ」

 イシカワは引いた指鉄砲をそのままに片目を閉じてウィンクをした。

「おおっと、またながながとすいません、どうも研究者というのはいつもひとりでながながと永遠に話し続けてしまうものなんです。わたしの学生時代の先生も話し始めたら止まらない人で、ゼミは何時間も延長されてたいへんでしたよ。いいかげんに拠点に戻らないと。一定の時間を過ぎてもわたしが戻らないと陸佐たちが問題発生とみなしてべつの行動プロトコルを発動してしまう」

 そして、イシカワは最後に一度だけ背後の洋館を見上げてわたしにいった。

「この建物はなにか松永さんからききましたか」

「いいえ」

「ここはね、研究所なんですよ。主としては皇居内の生物相のための。昭和から平成、そしていまの今上陛下に至るまで近代天皇はみな生物学研究者のその端くれでした。ここはその陛下自身による生態系観察施設です」

 そして、歩みを進める前に一言付け足した。「もちろん、それは一般にはそういうことになっているというだけですが」

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