400 イゼリア嬢への想いだけは、何があろうと譲れない


「うん?」


 俺の声が届かなかったのか、小首をかしげたピエラッテ先輩に、俺はもう一度問いかけた。


「イゼリア嬢が果報者だと……。本当に、そう思われますか……? 私がイゼリア嬢を思っても、迷惑なんかじゃないと……っ」


「ハルシエル嬢?」


 ピエラッテ先輩を凝視ぎょうしし、かすれた声で問うた俺に、先輩がいぶかしげな声を上げる。


 その声に我に返った俺は、あわててかぶりを振った。


「い、いえっ、すみません……っ! 変なことを聞いてしまって……っ!」


 不安とわずかな期待に心臓がとどろいている。


 いままで、イゼリア嬢への想いを正面から認めてくれた人物なんて、ひとりとしていなかった。


 そもそも俺自身、この気持ちを誰かにわかってもらおうと思ったことさえない。そんな期待なんて、抱くだけ無意味だと思っていた。


むしろ、『こんな暑苦しい気持ちなんて、イゼリア嬢に迷惑だ』と言われても仕方がないと諦めているほどだ。


 いくら俺の中身が男子高校生の藤川陽ふじかわはるだとしても、この世界では外見がハルシエル・オルレーヌであることは変えようがなくて。


 いやだからこそ、俺にとって、イゼリア嬢への想いだけは、何があろうと譲れない。


 誰に何と言われようと、この想いだけが――。


 どんどんうつむいてゆく俺の顔を止めるように、ピエラッテ先輩が口を開く。


「ハルシエル嬢。せっかくの愛らしい顔なのに、険しい顔をしていては私まで哀しくなってしまうな。私は、そんなにも心をかたむけられる存在があるのは、素晴らしいことだと思うよ」


「先輩……っ!」


 ピエラッテ先輩の真摯な言葉が、清水のように俺の心にみ込んでいく。


 まるで、心をほぐすかのような優しい声音。


 穏やかな沈黙が美術室を満たし――。


「……ハルシエル嬢?」


「ハルシエルお嬢様っ!?」


 ピエラッテ先輩のいぶかしげな声と、ジョエスさんのあわてふためいた声に、俺はようやく自分が涙を流していることに気がついた。


「す、すみません……っ! ピエラッテ先輩の言葉が、あまりに嬉しくて……っ!」


 人前で泣くなんて恥ずかしい。あわてて顔を背け、手のひらでごしごしと涙をぬぐう。


「そうなんですっ! 私にとって、イゼリア嬢は誰よりも大切な方なんですっ! イゼリア嬢が幸せになってくださったら、私も幸せで……っ! 叶うことなら、そんなイゼリア嬢のおそばに、親友としてずっと寄り添えたら嬉しいんですけれど……っ!」


 喜びのあまり、胸の奥にしまっていた夢までついぽろりとこぼしてしまう。


「なるほど、ハルシエル嬢の望みは、イゼリア嬢と親友になることというわけだね」


 ピエラッテ先輩が低い呟きを洩らす。


「そ、その……。やっぱりピエラッテ先輩のも難しいと思われるでしょうか……?」


 観察眼に優れたピエラッテ先輩の目から見た俺とイゼリア嬢は、どんな風に見えているのだろう。


 不安に駆られて思わず問うと、逆に質問を返された。


「ひとつ確認しておきたいんだが……。ハルシエル嬢は、異性との恋とイゼリア嬢との友情のどちらかしか取れないとしたら、どちらを選ぶ気なんだい?」


「もちろんイゼリア嬢との友情ですっ!」


 間髪入れずに即答する。


「そもそも、恋になんてまっっったく興味がありませんし! 恋人なんて、一生いなくていいと思ってますっ!」


 ハルシエル(♀)の恋人ならふつーは男性だろうけど、俺は男なんざと恋人になる気はまったくねぇっ!


「……」

「……」


 俺の返事に、なぜかピエラッテ先輩とジョエスさんが沈黙する。


 二人の顔に浮かんでいるのは、何やら難しそうな表情だ。まだ十六歳なのに、『恋人なんて一生いらない!』とは、大げさすぎると呆れられているのかもしれない。


 気まずい沈黙を破ったのは、ピエラッテ先輩の声だった。


「……つまり、ハルシエル嬢はリオンハルト殿下の手を取る気はないと?」


「……へっ?」


 思いもよらない問いかけに、ほうけた声が出る。


「リオンハルト先輩ですか!? いったい、どういう理由でリオンハルト先輩の名前が……? っていうか、当然ですっ! リオンハルト先輩に限らず、生徒会メンバーの誰ともおつきあいするつもりはありませんっ! そもそも、あちらだって私とつきあいたいだなんて、思うはずがありませんし……っ!」


 確かにイケメンどもはぐいぐい来るけれど、それは高等部からの外部入学生で貴族の社会にうとい俺を気遣ってくれているためだと、ちゃんとわかっている。


 もしかしたら、ここが『キラ☆恋』の世界だということも関係しているかもしれないけれど、そうであれば、聖夜祭さえ過ぎれば、俺になんて見向きもしなくなるハズだ。


 そもそも、いくら外見がヒロインのハルシエルだとしても、中身は男子高校生なんだから、モテにモテまくってるイケメンどもが、俺とつきあいたいだなんて、思うわけがないっ!


 そんな妄想をするのは、腐女子大魔王の姉貴とシノさんだけで十分だ。


「リオンハルト先輩達は学園に不慣れな私を気遣ってくださっているだけですから! ただ親切にしているだけなのに、そんなとんでもないことを言ったら、きっと内心で不快に思いますよ!」


 きっぱりと告げると、ピエラッテ先輩とジョエスさんが、そろって得も言われぬ表情になった。二人のこんな顔は見たことがない。


 一度視線を交わした二人がどちらともなく深いため息をこぼし、ふたたび俺に視線を戻すが……。


 なんで、残念な子を見るようなまなざしを向けられてるんだろう……?


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