399 ドレスの希望といえば、やっぱり……っ!


 イゼリア嬢の朗読を聞いた二日後の放課後。俺は、前に約束したとおり、ピエラッテ先輩の絵のモデルのために、美術室にいた。


 今日は美術部の活動日でないらしく、美術室にいる部員はピエラッテ先輩だけだ。


 だが、他にもうひとり。


「ああ……っ! そのドレスをお召しになったハルシエルお嬢様にもう一度お会いできるなんて、思いもよりませんでしたわ……っ!」


 なぜか、『プロープル・デュエス』のジョエスさんが、感激したように頬を紅潮させて、先ほどから熱心に話しかけてくれている。


「ハルシエルお嬢様は、どのようなドレスがよいか、ご希望はございますか。具体的でなくてもよいのです。色ですとか、雰囲気ですとか、こんな装飾を用いたいとか些細なことでもかまいません。ハルシエルお嬢様にお気に召していただけるドレスをデザインするために、お好みを少しでもお教えいただきたいのです……っ!」


 いや、なぜかではない。


 忙しい中、俺のドレスのデザインをするためにわざわざ来てくれたのだ。


 しかも、俺がピエラッテ先輩のモデルを務める約束を入れてしまっていたため、どうしようかとあわてていたら、


『ではモデルをなさっているところを見学させてくださいっ! ハルシエルお嬢様のお姿を拝見することで、新しいインスピレーションが湧きそうな気がするんですっ! そしてもしよろしけば、モデルを務められている横でご要望などをうかがわせていただければ幸いです! ハルシエルお嬢様はお忙しいようですし、そちらのほうがよろしいのでは?』


 と、ジョエスさんのほうから申し出てくれた。


 というわけで、ピエラッテ先輩も快諾してくれたので、ジョエスさんはソファーに座る俺のそばに椅子を出して、先ほどからあれこれと意見を聞いてくれている。


 ちなみにピエラッテ先輩に黒鳥オディールの衣装でコンクール用の絵画を描いてもらっていると知った時のジョエスさんは、俺が驚くほどの喜びようだった。


『オディールがオデット姫に化けた時のこのドレスは、わたくしにとって会心の出来なのです! それをお召しになったハルシエルお嬢様を、ピエラッテお嬢様のモデルに選んでいただけるなんて……っ! この上ない光栄でございますわっ! お店の宣伝効果としてもばっちりですっ! どれほど感謝してもし足りませんわ!』


 と。何というか、そこで『プロープル・デュエス』の宣伝まで出てくるのが商売人でもあるジョエスさんらしいと思う。


 が、ジョエスさんは商売人ではなくデザイナーとしても一流だ。


 忙しいだろうに、俺のドレスのデザインまで引き受けてくれるなんて、本当に感謝しかない。


「そうですね……」


 ジョエスさんの質問に、動かないように気をつけながら、うーんと考え込む。


 正直、中身が男子高校生である俺にとって、ドレスは興味の対象外だ。どんなドレスがいいかと言われても、希望なんてすぐには出てこない。


 ジョエスさんにお任せでお願いします! と言うこともできるだろうけれど、それではわざわざ時間を作って俺の意向を聞きに来てくれたジョエスさんに申し訳なさすぎる。


 かといって、「地味なのでお願いしますっ! イケメン達と万が一にでもイベントなんか起こしたくないので、壁に同化しそうなくらい地味なドレスがいいです!」だと、ジョエスさんを困らせるだけだろう。


 となると、次の希望は……。


「あ、あの、具体的な希望じゃななくてもいいんでしょうか……?」


 おずおずと問うと、


「もちろんですわ。どんなご希望でもかまいません。ハルシエルお嬢様のご希望を形にするのがわたくしの仕事ですもの。どうぞ、どんな内容でもおっしゃってくださいませ!」


 と、にこやかな笑みが返ってきた。


 ジョエスさんの頼もしさに背中を押され、俺は希望を口にする。


漠然ばくぜんとした内容で申し訳ないんですけれど……。その、イゼリア嬢を引き立てるようなドレスがいいんです……っ!」


「……はい?」


 俺の言葉に、ジョエスさんが虚をつかれたような顔になる。


 どうやら、百戦錬磨のジョエスさんにとっても予想外の要望だったらしい。


 焦った俺はあわてて説明を続けた。


「ジョエスさん、『白鳥の湖』のオディールのドレスをデザインする時に、言ってくださったでしょう? 悪役であるオディールの存在がヒロインのオデット姫をさらに引き立てるんだ、って……! 劇と聖夜祭は違いますし、当日はたくさんのご令嬢達がいるのは承知の上ですけれど……。それでも、私は誰よりもイゼリア嬢に輝いていただきたいんですっ! もちろん、イゼリア嬢は私の助けなんてなくても常に一番星よりいえ、むしろ太陽よりまぶしい光輝く存在ですけれどっ! 生徒会役員同士ということで私とイゼリア嬢が近くにいる機会は多いと思いますし、少しでもイゼリア嬢を引き立てられるようなドレスが嬉しいですっ!」


「……ふっ。ふふふふふっ」


 語るうちについつい気合いが入ってしまい、拳を握りしめて熱弁する俺の耳に、こらえきれないようにこぼれた笑い声が届く。


 が、声の主はジョエスさんではない。俺とジョエスさんのやりとりを聞きながら、無言で絵筆を動かしていたピエラッテ先輩だ。


「失礼。だが……。ふっ、ふふふ……っ」


 キャンバスから絵筆を下ろしたピエラッテ先輩が、我慢できないと言わんばかりにうつむいて肩を震わせる。


「ピエラッテ先輩……?」


 クールなピエラッテ先輩に笑いの発作を起こさせるほど、変なことを言っただろうか。


 もしや、呆れられただろうかと不安に思いながら声をかけると、ピエラッテ先輩がゆるりとかぶりを振った。


「すまない。だが、先に言っておくが、決して馬鹿にしたわけではないよ。それだけは誤解しないでもらいたい」


 顔を上げたピエラッテ先輩が、すこぶる真面目なまなざしで俺を見る。


「きみのイゼリア嬢を想う心に、微笑ましい気持ちが抑えきれなくてね。あまりに愛らしくて、つい感情をあらわにしてしまった」


 にこり、とピエラッテ先輩が整った面輪に包み込むような優しい笑みを浮かべる。


「愛らしいきみにそれほど思ってもらえるなんて、イゼリア嬢は果報者だな。思わずうらやましくなってしまうよ」


「っ!? …………本当、ですか……?」


 息を呑んだ俺の口から、ぽろりとかすれた声がこぼれ落ちる。


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