393 聖夜祭のことで、確認しておきたいことがあってね


 翌日の放課後。


 俺は、どっきどきと高鳴る心臓を押さえて、生徒会室のドアをノックした。


 嗚呼ああ……っ! これからイゼリア嬢が『ラ・ロマイエル恋愛詩集』を朗読なさるのを聞けるなんて……っ!


 精緻せいちな彫刻が施された生徒会室の重厚な扉が、今日は天国の門に見える。


 今日は朝起きた時から、浮かれに浮かれまくっていた。ロイウェルやマルティナさん達にも、朝食の席で『今日は何か特別なことがあるの?』と不思議そうに聞かれてしまった。


『昨日、美術部のピエラッテ先輩に絵を描いてもらったことが嬉しくて……』


 と何とかごまかしたけれど、ランウェルさんとマルティナさんがピエラッテ先輩のことを知っていたのには驚いた。


 二人が知っているくらい、ピエラッテ先輩は有名人らしい。


 教えてもらったところによると、エリュシフェール国では女性の芸術家の割合が高いそうで、特に絵画の分野では、女性ならでは繊細な筆致が他国でも高く評価されているとのことだ。


 特にひと昔前は、腕の良い女流画家に肖像画を描いてもらうのが貴族の間で流行ったらしい。


『まあ、我が家には一枚もないんだけれどね』


 とランウェルさんが困ったように笑っていた。


 オルレーヌ家が貧乏なのは、いまに始まったことではないらしい。


 とにかく、これからイゼリア嬢の朗読が聞けるなんて……っ!


 お任せくださいっ! すでに準備がバッチリですっ!


 家から新しいカセットを入れたテープレコーダーは持ってきてますし、イゼリア嬢の朗読がよく聞こえるように、耳掃除も念入りにしてきました!


 もちろん、イゼリア嬢がどの詩を朗読なさってもしっかり感想を言えるように、『ラ・ロマイエル恋愛詩集』の復習もちゃんとしてきてますっ!


 いったい、イゼリア嬢はどの詩を選ばれるんだろう……っ!


 そんなことを考えながら詩集を読み直している時間は至福でした……っ!


「失礼しまーすっ!」


 うきうきと声をはずませ、扉を開ける。


 だが、残念ながらイゼリア嬢はまだいらっしゃっていなかった。


 気がはやりすぎて早く来すぎてしまったらしい。


 イゼリア嬢の代わりに室内にいたのはリオンハルトひとりだ。部屋の奥に置かれた生徒会長用の大きな机で書類仕事をしている。


「やあ、ハルシエル嬢。今日はずいぶん早いんだね」


 にこやかな笑みを浮かべたリオンハルトが椅子から立ち上がり、俺のほうへ歩み寄ってくる。


「四階まで運んでくるのは重かっただろう。すまない。教室へ迎えに行けばよかったね」


 ごく自然な動作でリオンハルトが俺が左手に持っていたテープレコーダーの持ち手を握る。


 あたたかく大きな手に指を包みこまれるような形になり、ぱくんと心臓が跳ねた。


 優雅な容貌とは裏腹な、骨張った男らしい手。


「だ、大丈夫です! 別にそんなに重くありませんから……っ!」


 振り払おうとするも、リオンハルトの手は放れない。


「重くないとしても、レディに荷物を持たせるわけにはいかないよ」


 碧い瞳に顔を覗き込まれ、さらに鼓動が速くなってしまう。


 いやいやいやっ! 落ち着け、俺の心臓っ! 何リオンハルト相手にどきどきしちゃってるんだよっ!


「じゃあ、お願いします」


 このまま押し問答をしてもらちが明かなさそうだと悟った俺は、素直にリオンハルトにテープレコーダーを渡す。


 もうほんと女の子扱いしてもらう必要なんて全然ないから! 中身は男なんだから変な気なんか遣うんじゃねぇっ!


 心の中では絶叫してるのに、口に出そうとした途端、うまく口が動かなくなる。


 ほんと、このバグみたいな仕様、何とかしてほしい……っ!


「だが、きみが早く来てくれてよかったよ」


 テープレコーダーをいつもの丸テーブルの上に置いたリオンハルトが俺を振り返っる。


「……何かあったんですか?」


 もしかして、昨日約束したピエラッテ先輩のモデルを務めることになった件について、やっぱり認められないとか、考え直すようにとか言われるんだろうか……。


 警戒する俺の心を融かすように、リオンハルトが柔らかな笑みをこぼす。


「聖夜祭のことで、きみに確認しておきたいことがあってね」


「聖夜祭のことで、ですか……?」


 おうむ返しに呟き、首をかしげる。


 いったい何のことか見当がつかない。


 一年生の俺は聖夜祭について、まだほとんど知識がない。そんな俺に生徒会長であるリオンハルトが改めて確認するようなことなんてないと思うんだけど……。


「ああ、その……」


 リオンハルトの端整な面輪に、少し困ったような、迷っているような笑みが浮かぶ。


「聖夜祭のダンスパーティーで――」


「やほ~っ♪ あっ、ハルちゃんってば、今日は早いじゃん♪ ナニナニ? 俺に早く会いたかったワケ?」


 ノックもなしにがちゃりとドアを開けたヴェリアスが、俺を見て声をはずませる。


「そんなはずがないでしょう!」


 反射的に思いっきり突っ込む。


「今日は、イゼリア嬢の朗読の録音があるので、機材を持っている私が遅れては悪いと思っただけです! ヴェリアス先輩に早く会いたいなんて、まったく全然、考えたこともありませんっ!」


「ちょっ!? ハルちゃんってば容赦なさすぎない!?」


「容赦も何も、これが通常ですけれど?」


 すげなく言い返した俺は、リオンハルトを振り返る。


「あ、すみません。それで、ダンスパーティーのことで確認したいことというのは……?」


「いや、その……」


 俺の問いかけに、リオンハルトがなぜか気まずげに視線を揺らす。ヴェリアスの紅い瞳が不穏な光を宿して細くなった。


「んん~? ダンスパーティーって……。リオンハルトってば、抜け駆けする気だったワケ?」


「え? 抜け駆けって……?」


「いや、ハルシエル嬢に確認したかったのはドレスのことだ」


 俺が最後まで言うより早く、リオンハルトが割って入る。


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