392 こんなに絵がうまいなんて意外すぎるほどに意外でした


「それにしても、ヴェリアスが描く絵は、相変わらず見事なものだね」


 ヴェリアスが描いたスケッチを見つめながら、しみじみと感嘆の声をこぼしたのはリオンハルトだ。


「なかなか見られる機会がないのが残念だが……。わたしはきみの絵が好きだよ、ヴェリアス」


 にこりとリオンハルトが包み込むような笑みをヴェリアスに向ける。見る者を思わず見惚れさせずにはいられないような、柔らかで優雅な微笑み。


 真正面から告げられたてらいのない賞賛に、さしものヴェリアスも混ぜっ返すのを忘れたように口をつぐむ。


 ヴェリアスだけじゃない、まるで後ろの真紅の薔薇の幻影を背負っているかのようなリオンハルトの微笑みに、イゼリア嬢までもが小さく息を呑んで見惚れていた。


 ふだんこんな近くでリオンハルトの微笑み爆弾を受けることのない周りの美術部員の女生徒達なんて、もう、今にも気絶しそうになっている。


 さすがリオンハルト。正面からの攻撃力が半端ねぇ……っ!


 っていうか、おいっ、姉貴! 落ち着け! シノさんも!


 リオンハルトが言ったのは『ヴェリアスの絵が好き』であって、『ヴェリアスが好き』って言ったわけじゃないから!


 シノさんと二人で感極まった様子で至福の笑みを浮かべてるんじゃねぇ!


 でもそうか。リオンハルトが『相変わらず』と言うってことは、ヴェリアスの絵はたまたま今回だけ奇跡が起こったわけじゃないらしい。


 まあ、多少のまぐれじゃ、このレベルの絵は描けないよな……。その程度のことは、まったくの素人の俺でもわかる。


「ヴェリアス先輩がこんなに絵がうまいなんて意外すぎるほどに意外でしたけど……。絵を習ったことがあるんですか?」


 ふと好奇心に駆られて聞いてみる。


 ヴェリアスのことだから、『オレが芸術的センスに満ちあふれているからに決まってるじゃん♪ ナニナニ、ハルちゃん、やっぱりオレの絵が欲しくなっちゃった?』といつもの軽口を叩くかと思いきや、返ってきたのは意外なことに、気まずそうな表情だった。


「うん、まぁ……。子どもの頃に機会があってね……」


「へぇ~。そうなんですね」


 貴族の子どもだと、ピアノとか絵画とかダンスとか乗馬とか、手間とお金がかかりそうな習いごとをしてそうだもんな。


 うんうん、と納得した俺はピエラッテ先輩に向き直る。


「ではピエラッテ先輩。聖夜祭の準備が特にない日には来ようと思うんですけれど……。事前にお知らせしてからうかがったほうがいいですよね?」


「私は放課後はたいてい美術室にいるから、いつだっていいけれどね。でも、きみにもし空振りをさせては申し訳ないから、来れる日は事前に休み時間や昼休みに声をかけてもらえると嬉しいかな」


「はい、わかりました!」


 こくりと頷くと、クレイユが口を挟んだ。


「なら、さっそく明日来たらいいのではないか? 明日はきみがいなくても――」


「何を言うのっ、クレイユ君!」


 即座にクレイユの言葉を遮った俺の語気の鋭さに、クレイユが驚いたように目をみはる。


「明日、生徒会室に行かないなんてありえないわっ! 明日は、明日は……っ! イゼリア嬢が『ラ・ロマイエル恋愛詩集』の朗読をされる日なのよっ!?」


 文化祭の時、一年二組の展示で俺やイケメンどもが『ラ・ロマイエル恋愛詩集』を朗読したテープを流し、姉貴の発案でそのテープを販売して、売り上げを聖夜祭の準備資金にあてることになったけど……。


 テープを販売することになった際に、『イゼリア嬢の朗読も収録しないと不公平ですっ!』と俺が強硬に主張したのだ。


 結果的に、姉貴がイゼリア嬢を説得して、イゼリア嬢も朗読を録音してくださることになったけど……。


 その場に立ち会わないなんて、天地がひっくり返ってもありえねぇっ!


 テープを購入すれば、イゼリア嬢の美声をいくらでもエンドレスに聞けるけれど、それはそれ! これはこれ!


 イゼリア嬢の生朗読を聞き逃すなんて、そんなことできるわけないだろ――っ!


「そ、そうか……」


 俺の勢いに呑まれたようにクレイユが頷く。


「だが、きみが朗読するわけではないのだし……」


 ええいっ! まだ言うか!?


 俺がクレイユに反論するより早く、イゼリア嬢が眉をひそめて口を開く。


「クレイユ様のおっしゃるとおりですわ。どうしてオルレーヌさんが立ち会う必要がありますの? オルレーヌさんはピエラッテ嬢のモデルをしていたほうが、どう考えても有意義でしょう?」


「そ、そんな……っ! イゼリア嬢までそんな哀しいことをおっしゃるんですか……っ!?」


 思わず情けない声が飛び出す。


「『白鳥の湖』でたくさん練習なさったイゼリア嬢の朗読は、きっと素晴らしいものに違いありませんっ! ぜひ私も後学のために聞かせていただきたいんです……っ! お願いしますっ!」


 がばっと身を二つに折るようにして頭を下げると、仕方がなさそうな溜息が降ってきた。


「そこまで言うのでしたら、別にかまいませんけれど……。ですが、騒いだりして邪魔はなさらないでちょうだい! よろしくて!?」


「は、はいっ! もちろんですっ! おとなしくしていますっ!」


 こくこくこくっ! と首が千切れんばかりに何度も頷く。


 明日は、何としても俺のテープレコーダーにお宝音声を録音してみせるんだ……っ!


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