390 ここまできたら、男らしく諦めなよ♪
「ハルシエル嬢っ、その、無理に見る必要はないぞ?」
いつも冷静沈着なクレイユがこんなにあわてた声を出すなんて、滅多にないことだ。
珍しいクレイユ様子に、ヴェリアスがこの上なく楽しげな悪戯っ子の顔になる。
「クレイユってば往生際が悪いんじゃない? もう、ここまできたら、男らしく諦めなよ♪」
「く……っ!」
ヴェリアスのからかいに、クレイユが悔しげに唇を噛みしめる。
文句を言いたいが、言えばまたからかわれているとわかっているんだろう。クレイユがこらえるように唇を噛みしめる。
そんなに見られたくないのか……。
たいていのことはそつなくこなすクレイユが、こんなに悔しそうにするほど、苦手な絵なんて……。
――それは逆に気になってくる!
我ながら意地が悪いと思いつつ、いそいそとクレイユが向かっていたイーゼルへと歩み寄ると、クレイユから何とも言えない低いうめき声が洩れた。
が、さすがに諦めがついたのか、力づくで止められたりはしない。
ひょい、とスケッチブックを覗き込み……。
「……苦手なのに、努力したっていうことが大事だと思うわ、うん」
数秒の間のあと、何とか言葉を絞り出した俺の言葉に、クレイユががっくりと肩を落としてうなだれ、力なく声をこぼす。
「……本当に、絵は苦手なんだ……」
うん、それは見ただけでわかる!
クレイユのスケッチは、前衛的というか、何というか……。
構図が独特というか、正直な感想はと問われたら、お世辞にもうまいとは言えない。
「で、でも、独特の雰囲気があって個性的だと思うけど……?」
「大丈夫だ。下手な慰めなんてしなくていい。笑いたければ、笑ってくれたほうが気が楽だ」
クレイユの言いように、思わず唇をとがらせる。
「ちょっと! 私をなんだと思ってるの? クレイユ君なりに一生懸命書いてくれたってわかっているのに、笑ったりなんてするわけないでしょう!? 確かに、上手かと問われたら、首をかしげざるを得ないところがあるけれど……。それでも、一生懸命に描いてくれたのはわかるもの! 私は好きよ、この独特の味わい」
「好き……」
俺の言葉に、クレイユが弾かれたように顔を上げ、信じられないと言いたげに呟く。
銀縁眼鏡の奥の蒼い瞳は感動したように潤んでいた。
へっ!? どうした、そんなに感動した顔をして……っ!? もしかして、今まで一度も絵を褒められたことがなかったとか……っ!?
「うんっ! ぼくも味わいがあって好きだよ! クレイユの絵! だからあんまり落ち込まないで!」
エキューも明るい声でクレイユに告げる。その声にクレイユもようやく持ち直したようだった。
「二人とも、ありがとう……」
珍しく照れくさそうにはにかんでクレイユが礼をいう。
「ううん! どういたしまして! ……ねぇ、ハルシエルちゃん。僕の絵はどうかな?」
にこっとクレイユに笑顔を向けたエキューが、次いで俺を振り返って小首をかしげる。俺はクレイユの隣に並べて置いてあるエキューのスケッチブックに視線を移した。
「エキュー君のスケッチは、勢いがある線の感じがエキューくんらしいわね」
クレイユの隣にあると、たいていの絵はさらにうまく見える気がするけれど、それは口に出さない。
「そう言ってもらえると嬉しいな~!」
エキューがぱぁっと輝くような笑顔を見せる。
続いて、リオンハルトとディオスのスケッチブックも見たが、力強いタッチのディオスに対し、優美な線のリオンハルトと、それぞれの性格が出ていておもしろい。
そして、最後のヴェリアスのスケッチは。
「え……っ!? 嘘……っ!?」
見た瞬間、思わず驚きの声が飛び出す。
自分の目が見たものがとっさに信じられない。
「すごい……っ!」
ヴェリアスのスケッチは、俺の予想以上のうまさだった。ひょっとしたら生半可な美術部員よりうまいかもしれない。
流れるような線に、確かなバランス。何より――。
ピエラッテ先輩が描いたオディールとは異なる、幸せそうに微笑んだ表情に、否応なしに
きっとピエラッテ先輩の下描きは、コンクール出品のために多少の脚色が入っているんだろう。
対して、ヴェリアスのスケッチはイゼリア嬢を見つめている俺の幸福感がスケッチブックからあふれてくるようで……。
こちらが俺が本当に浮かべていた表情なんだろうと素直に信じられる。
「どう? ハルちゃん♪ 俺のスケッチは?」
ヴェリアスに声をかけられて、俺は初めてスケッチに魅入っていたことに気づく。
よりによってヴェリアスが描いた絵に見惚れていたなんて、なんだか妙に悔しい。
「念のために確認しておきますけれど、本当にヴェリアス先輩が描いた絵なんですよね?」
ひょっとして、近くの美術部員の絵と取り換えたのかも……?
信じられなくて疑いのまなざしを向けると、
「ちょっ!? ハルちゃんひどすぎないっ!? そこまで疑われたらオレ泣いちゃうよ!?」
と、ヴェリアスが哀れっぽい声を上げた。
「まさか、そこまでハルちゃんに疑われてたなんて……っ!」
いつもの芝居がかった泣き真似に比べ、本気で哀しそうな様子に罪悪感が刺激される。
「だ、だって、まさかヴェリアス先輩がこんなに絵がうまいなんて、思いもよらないじゃないですか! いつもはこれでもかとふざけてるくせに、こんな心洗われるような絵を描くなんて……っ!」
「へ~っ♪ ハルちゃんの口からそんな台詞が出てくるなんて、かなり気に入ってくれたんだ♪ やっぱり欲しくなっちゃった?」
俺の言葉に途端に泣き真似をやめたヴェリアスが、くすりと笑って俺の顔を覗き込む。
「ち、違いますよっ! 気に入ったどうこうより、単に意外過ぎて、ほんとにびっくりしただけです!」
ぱくんと跳ねてしまった鼓動をごまかすように、早口で告げてふいと横を向く。
「も~っ、ハルちゃんってば素直になっていいのに~♪」
「私は最初から正直なことしか言ってません!」
ヴェリアスがにまにまとにやついてるのがやけに腹立たしい。
ちょっと素敵かも……。なんて思ったことは、口が裂けても言うもんかっ!
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