380 こ、これがイゼリア嬢とおそろいのペン……っ!


「ハルシエルお嬢様? いかがなさいましたか?」


 動きを止めた俺に、ローデンスさんがいぶかしげにわずかに首をかしげる。


 俺の様子に気づいたのか、周りのイケメンどももざわつき始めた。


 怪訝けげんそうに俺を見るイゼリア嬢のアイスブルーのまなざしに、何とか口を開かねば、とさらに焦る。


「そのっ、あの……っ」


 緊張に声がかすれるのを感じながら、俺はローデンスさんにびくびくと尋ねた。


「こ、このペンって、素手でふれても大丈夫なんでしょうか……っ!?」


 俺の問いかけに、一瞬、ローデンスさんが虚をつかれたように目を見開く。が、すぐにこちらの心をほぐすような柔らかな笑みが口元に浮かんだ。


「もちろんでございます。わたくしが手袋をつけておりますのは、完璧な状態でお客様の手にお渡しするためですので、ハルシエルお嬢様は、どうぞ遠慮なく素手でおさわりください」


 優しく促されても、すぐにはふんぎりがつかない。


 だって、見れば見るほど、超絶技巧が凝らされたこの繊細な細工って、ペンじゃなくて芸術品なんだもん……っ!


 ほんとにほんとに素手でさわって大丈夫っ!? ローデンスさんが怒らなくても、他の誰かから「罰当たりな!」って怒られたりしない!?


 ローデンスさんに言われてもなおためらっていると、「ハルシエルお嬢様」と穏やかな声で呼びかけられた。


 いつのまにか下に向けていた視線を上げると、優しいまなざしにぶつかる。

 ローデンスさんがゆっくりと口を開いた。


「ハルシエルお嬢様が、当店の品を尊重してくださるお気持ちは、たいへん嬉しく存じます。ですが、わたくしが最も求めていることは、当店の品をお使いくださったお客様が笑顔になってくださることなのです。ペンは使ってこそ価値があるもの。ハルシエルお嬢様は、このペンでどんなものを書かれるご予定ですか?」


「それ、は……」


 心に染み入るようなローデンスさんの声に、胸をつかれる心地がする。


 とっさに脳裏に思い浮かんだのは、鈴蘭の柄の便箋びんせんに向かって、イゼリア嬢への手紙をこのペンを手に一語ずつ丁寧に書いている自分の姿だ。


 そうだ……。ローデンスさんの言うとおりだ。


 道具は使ってこそのもの。せっかくローデンスさんや職人さん達が精魂込めて作ってくれたのに、使わずにしまい込んだら申し訳なさすぎるよなっ!


「すみませんっ、ローデンスさん! 私が間違ってました! そうですよねっ、ちゃんと使わないとそちらのほうがもったいないですよね……っ!」


 何より、しまい込んだら、イゼリア嬢と一緒にペンを見てきゃっきゃうふふとおしゃべりできないもんなっ!


「確認させていただきますね!」


 ひるみそうになる気持ちをおして、ローデンスさんからそっとペンを受け取る。


 ふぉおおお……っ! こ、これがイゼリア嬢とおそろいのペン……っ!


 感動で手が震えそうになるが、間違っても落とすわけにはいかない。


 俺が選んだデザインは、薔薇の花の陰から、ぴょこっと黒いうさぎが顔を覗かせているという可愛らしいものだ。


 もちろん、このうさぎはイゼリア嬢をイメージして選んでいる。


 いやっ、イゼリア嬢はいつだって気品に満ちていて、ぴんと背筋を伸ばしてらっしゃる姿に、こっちまでしっかりしなきゃと気が引き締まる思いがするんだけど……っ!


 でも、このうさぎの可愛さに一目惚れしちゃったんだよ~っ!


 それに、うさぎをイゼリア嬢のイメージで作っておけば、眺めてによによしたり、なでなでしてたりしても、『このうさぎが可愛くって可愛くって! すっごく好きなんです~っ!』って言えば変じゃないっ!


 実際のイゼリア嬢にそんなことはできないけど、自分のペンなら遠慮しなくていいもんな!? 俺って天才じゃね!?


 ローデンスさんから受け取ったペンを右から見て、左から見て、上から見て、下から見て……。と、全方位からあますところなくじっくりと眺める。


 うさぎのデザインは可愛いものの、装飾が黒なので、全体的に引き締まってシックな印象を受ける。


 っていうか、やっぱりこの黒うさぎがちょー可愛いっ! 選んだ俺、グッジョブ!


 一時間でも眺めていられそうだけど、さすがにローデンスさんを待たせては申し訳ない。


 俺は試し書きの紙にさらさらとハルシエルの名前を書いてみる。


 うぉぉ……っ! すげぇ……っ!


 何この書きやすさ……っ! まるでペンが手にすいついて、指の一部になったみたいに書きやすい……っ!


 すみませんっ、ローデンスさん! 心からお詫びしますっ! いままで、ペンなんてどれを使っても一緒だと思ってました……っ!


 けど、これは、ほんとぜんぜん違う……っ!


「すごいっ! すごいですっ、ローデンスさん! このペン、びっくりするくらい書きやすいです……っ!」


 抑えきれぬ感動に、ローデンスさんを見上げ、はずんだ声を上げる。


 いつも紳士で穏やかなローデンスさんが、珍しく満面の笑みを浮かべた。


「それはようございました。お客様にお喜びいただけることが、わたくしの最大の幸福。ハルシエルお嬢様に気に入っていただけて、何よりでございます」


「ローデンスさん……っ!」


 自分の仕事を誇らしく思っているのだとひと目でわかる様子に、感動の声が洩れる。


「はいっ! すっごく素敵で、とってもとっても気に入りました! 素敵なペンを作ってくださって、本当にありがとうございます……っ! 私、一生の宝物にしますっ!」


 ぎゅっと両手でペンを胸元に握りしめ、心からお礼を述べる。


 イゼリア嬢とおそろいのペンというだけじゃなく、このペン自体が本当に素晴らしい。


 ほんと、一生大事にしよう……っ!


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