364 オディールの決断


「きみの心がわたしを向いていなくてもいい。それでも、きみが好きなんだ。だから……。ロットバルト様の呪縛を解いて、どうか自由になってほしい。そのためならば、わたしの命を賭けてもいい」


 胸に迫る真摯しんしな響き。


「だから……。お願いだ。きみも自分自身の望みを叶えるために、諦めないでくれ」


「望みを、叶えるために……?」


 クレインの言葉を、おうむ返しに呟くと、「そうだ」と、クレインが力強く頷いた。


「これだけは、きみ自身が願わなければ意味がない。わたしがどんなに尽力しようとも、きみが望まなければ、本当の自由は手に入らない。……きみが決めていいんだ、オディール。きみ自身は、どうしたい?」


「それ、は……っ」


 問われて思わず言葉に詰まる。


 今まで、ありとあらゆることを、父であるロットバルトに決められてきた。自分の意志で本当に決めたことなど、ひとつとしてない。


 初めて投げかけられた問いかけに、頭がくらくらする。


 何が正解なのか、何を選べばいいのかわからない。


 すがるように自分を抱きしめるクレインを見上げると、包み込むようなまなざしが返ってきた。


「わたしの顔色をうかがう必要はない。ロットバルト様であろうと、他の誰であろうと。きみが自分の心の望むままに決めていいんだ。それがどんな選択だろうと、受け入れよう」


「あたしの望みは……」


 優しく背中を押すクレインの言葉に、ずっと心の奥に秘めていた願いがぽろりとこぼれ出る。


「あたしは、お父様から自由になりたい……っ! もう嫌なのっ、お父様に縛られるのは! あたしだってひとりの大人よ! お父様に可愛がられるだけの人形じゃない……っ!」


 いままで長年心の中に押し込められてきた鬱憤うっぷんが、ここぞとばかりに口をついて飛び出す。


 紅い目を見開き、驚愕の声を上げたのはロットバルトだ。


「オディール……!? あんなに素直で従順だったお前が何を言う……っ!?」


 信じられぬと言いたげにロットバルトがわななく。と、すぐにその顔が激昂げっこうに彩られた。


「そうか……っ!? クレインのせいだろう!? よくも、わしの可愛いオディールを甘言でたぶらかしおって……っ! 待っていろ、オディール! すぐにクレインを滅ぼして、お前を正気に戻してやる!」


「違うわ、お父様! どうしてわかってくださらないの!? あたしはクレインに惑わされたりしていないわっ! ただ、あたしもあたしの人格があると認めてほしいだけなのに……っ!」


 どうしてこの想いが父に伝わらないのか。


 哀しくて胸が痛くて泣きたくなる。


「お父様、もう十分でしょう……っ!? ずっとお父様の望むままの娘を演じてきたわ。もうこれ以上、自分を押し殺すのは嫌なの……っ!」


 どうしてうまく伝わらないのか。


 たった数歩の距離にいるはずなのに、遥か彼方にいるように父が遠い。


「オディール、もういい。これ以上、きみが傷つく必要はない」


 オディールの頭を抱え込むように自分の胸に抱き寄せたクレインが、切ない声音で哀しげに告げる。


「きみがどんなに願っても、きっとロットバルト様は変わらない。相手を自分の好きに変えることなんてできないんだ。だけど、オディール。きみ自身なら変えられる。大丈夫だ。わたしがついている」


 強くオディールを抱きしめる腕は、すがりつきたくなるほど頼もしい。


 けれど。


「あたしは大丈夫」


 オディールはそっとクレインの腕を押して、身を離す。


 拒絶されたと思ったらしいクレインの面輪が切なげに歪む。が、口に出しては何も言わない。


 オディールはクレインに背を向け、真っ直ぐにロットバルトに相対した。


「おお、オディール。やはりお前は――」


「お父様」


 腕を広げ、歓喜の声を上げたロットバルトの言葉をオディールが遮る。


「あたしはもう、お父様の言いなりにはなりません。お父様があくまでもあたしを縛りつけるつもりなら……。実力行使に及んでも、自由を勝ち取ってみせます」


「「オディール……!?」」


 クレインとロットバルトの声が重なる。


 クレインは歓喜に震え、対するロットバルトは憤怒を宿して。


「クレイン……! 許さん、許さんぞ! 恩を仇で返しおって……っ! お前を滅ぼせばオディールも目が覚めるだろう! お前など即座に滅ぼしてやる!」


 激昂の声とともにロットバルトの手から魔力が放たれる。


 さっとクレインの前に飛び出し、剣でそれを斬り裂いたのはジークフリートだ。


「クレイン、お前と共闘しよう! 四人で魔王ロットバルトを倒すぞ!」


 ジークフリートの声にディオンとエリューの応じる声が重なる。


「非力な虫けらどもが! 人間程度がわしを倒せるものか!」


 ロットバルトがえる。


 確かに、ロットバルトの力をもってすれば、ジークフリート達などすぐに消し炭にできるだろう。だが……。


「オディール……!? なぜそんな者達を庇う!?」


 クレイン達の前に立ちはだかるオディールに、ロットバルトが愕然がくぜんと声を上げる。


 さすがのロットバルトも愛娘を傷つけることはできない。


 その間にも、クレインやジークフリート達が果敢にロットバルトを攻め立てる。


「お父様。あたしはもう、お父様の人形には戻らないわ……っ!」


 オディールの決別の言葉に、ロットバルトの顔が絶望に歪む。そこへ。


「魔王ロットバルト! オデットを呪いから解放してもらおう!」


 高らかに宣言したジークフリートの渾身こんしんの一突きがロットバルトの胸に吸い込まれる。


 己の胸に刺さった剣を信じられぬように見たロットバルトがどうっと崩れ落ちた。


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