357 なぜ、そんな憂い顔をしている?


 シャルディンさんアレンジの『白鳥の湖』の脚本で、一番大きな変更点といえば、クレイユ演じる魔王ロットバルトの部下・「クレイン」の存在だろう。


 クラインは魔王ロットバルトの部下という立場だけれど……。ただ、ジークフリートや友人達、オデット姫を苦しめるだけの存在じゃない。


「オディール、ここにいたのか」


 気遣わしげな声とともに、クレインが舞台にふたたび登場する。


「なぜ、そんな憂い顔をしている? ……ロットバルト様の前にいない時のきみは、浮かない顔をしていることが多いな」


 オディールに話しかけるクレインの声は、先ほどロットバルトに応じていた時とは別人のように優しい。


 だが、オディールは機嫌をそこねたように、ふいとそっぽを向く。


「浮かない顔? そんな顔なんてしていないわ。どうやったらもっとオデットを苦しめられるのか考えていただけよ」


 わーん! すみません、イゼリア嬢……っ!


 ほんとは苦しめるなんてとんでもないっ! 常にイゼリア嬢を褒め称え、崇拝していたいんです〜っ!


 が、以前アリーシャさんにアドバイスをもらったように、俺が悪役であるオディールを立派に演じれば演じるほど、ヒロインのオデット姫が光り輝くというもの!


 イゼリア嬢の素晴らしさを全観客に知らしめるために、心を鬼にしてオデット姫をいじめますっ!


 憎々しげな表情を作って告げたオディールの言葉にクレインから返ってきたのは、いぶかしげな表情だった。


「どうしてオデット姫にそんなにこだわる? そんな必要などないだろう?」 


「別に。理由なんてないわ。ただ、見目がいいからと、ちやほやされているオデットが気に食わないだけよ」


 これ以上、話すことはないと言わんばかりに背を向けて立ち去ろうとするオディールの手を、クレインが掴んで引き止める。


「何を馬鹿なことを。――わたしには、オデット姫よりきみのほうが美しく思えるというのに」


「っ!?」


 思わず頬が赤くなりそうなほど熱っぽいクレインの声。


 オディールを見つめるクレインの瞳は、あの冷静なクレイユが演じているとは思えないほど情熱的だ。


 おお……っ! やっぱりシャルディンさんが観客席で見ているとあって、クレイユも練習の時以上に気合いが入ってるな……っ!


 演技とわかっていても思わず鼓動が速くなる。


 シャルディンさんがアレンジした脚本では、クレインは重要な役どころだ。


 なんと、クラインはオディールに想いを寄せているのだ。


 けど、オディールはなかなかクレインの気持ちに気づけないんだよなぁ……。


 それだけ、ロットバルトに抑圧されてきて、自分の感情をないがしろにしてきたってことなんだろうけれど。


 ともあれ、クレインはオディールをロットバルトの束縛から解放するため、同時に自分の恋心を実らせるために、ロットバルトはもちろん、オディールにも自分の考え明かさないまま、驚くような手段に出るのだ。


 ジークフリート達に近づき、ともに魔王ロットバルトを倒さないかと共闘をもちかける、という……。


 一方、オデット姫と想いをはぐくみながら、彼女の清らかさに胸を打たれたジークフリート王子は、それまで公務をおざなりにし狩りにばかり出かけていた己を反省し、ディオンやエリューの協力を得ながら、王子として立派な自分に成長しようと努力する。


 決して真面目とは言えなかったジークフリート王子を改心させるなんて、イゼリア嬢のオデット姫はマジ天使ですっ!


 わかるっ! わかるぞ、ジークフリート! 素晴らしいイゼリア嬢の隣に立つために己を磨く努力は不可欠っ! ダイヤモンドの隣に石ころを配するわけにはいかないもんなっ! 釣り合うようにせめて自分も貴石くらいいはならないと!


 ……ってまあ、リオンハルトの場合、もともとがきらっきらの王子様だから、生まれながらに宝石みたいなものだけど。


 舞台に登場するたびに、観客席のあちこちからほぅっ、て感嘆のため息が聞こえるもんな……。


 いや、感嘆のため息がこぼれるのは、リオンハルトに限らずどのイケメン達が出ても同じなんだけど。


 でもわかるっ! 俺だって、稽古けいこの時に何度も見てるのに、イゼリア嬢のオデット姫が出るたび感嘆のため息が洩れるもん……っ!


 推し様の素晴らしい姿は何百回、何千回見てもそのたびに感動できるんだよ……っ! 供給はどれだけあってもいいっ! むしろもっとくださいっ!


 特にジークフリートと一緒のシーンのイゼリア嬢演じるオデット姫の可憐さよ……っ!


 潤んだような瞳にうっすらと染まった頬。甘さを秘めた澄んだ声。


 可憐さがっ! 愛らしさが天元突破してらっしゃる……っ!


 俺も一度でいいからあんな目でイゼリア嬢に見つめられた――いっ!


 いや、見つめられたら演技どころじゃなくなって、「尊い……っ! 素晴らしすぎます……っ!」と拝みながら砂になって崩れ落ちそうだけど。


 くそぅっ、羨ましすぎるぜ、リオンハルト……っ!


 演技とはいえイゼリア嬢にあんな表情で見つめられるなんて……っ!


 でもこの後……。


 俺はイゼリア嬢を笑顔にするどころか、オデット姫のお顔を哀しみに歪ませることになるんだけどさ……。


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