356 たとえ演技でも近いんだよ、顔がっ!


「おお、可愛いオディール。もっとわしのそばにおいで」


 ヴェリアス演じるロットバルトの台詞に、オディールである俺は、しぶしぶロットバルトへ歩み寄る。


 黒い羽飾りがふんだんに使われた豪奢ごうしゃな衣装に身を包んだヴェリアスが手を伸ばし、そっと俺の頬を包んだ。


 そんな俺も、黒鳥オディールにふさわしい黒い羽根飾りのついたスレンダーなシルエットのドレスを着ている。


 紅い瞳に愛しげな光が宿り、甘やかな笑みがヴェリアスの顔を彩る。


 他の女生徒なら「きゃ――っ♡」と黄色い悲鳴を上げそうなヴェリアスの笑み。


 くそう、ふだんがふだんだからあんまり意識しないんだけど、ヴェリアスもやっぱり顔だけはやたらとイケメンなんだよな……。


 俺も思わず見惚れてしまいそうになるけど、まぁ、中身は結局ヴェリアスだもんなっ! っていうか、演技だし。


 っていうか、たとえ演技でも近いんだよ、顔がっ!


「可愛いオディール。お前が望むことならば、何でもわしが叶えてやろう」


 とろけるような笑みを浮かべて、ロットバルトが溺愛する娘に告げる。


 その様子は、父娘の仲の良さをクレイユ演じる「クライン」に見せつけようとするかのようだ。


 クラインとロットバルトの間で、まるで剣で斬り結ぶように険しい視線が交わされる。


 ふだんの練習の時も互いに一歩も譲らず睨み合ってたけど、やっぱりヴェリアスとクレイユは相性が微妙なせいなんだろうか……。


 腐女子大魔王な姉貴は、「ヴェリアス×クレイユは最初はお互いに気が合わなくて、いがみ合っている二人が、最終的にお互いを認め合っていく過程がおいしいのよぉ~っ! ご飯三杯、ううん十杯はいけるわっ!」って妄想の翼をはためかせて力説してたけど、絶対に理解したくねぇ……っ!


 ともあれ、本番のいまは、二人ともやる気に満ちているせいか、いつも以上に視線がバチバチしてる気がする。間に挟まれてる俺まで背中に冷や汗が出てきそうだ。


「うん? どうしたオディール。何かあったのか?」


 頬から顎に手をすべらせ、俺の顎をくいと上げたヴェリアスが顔を近づけて囁く。


 ヴェリアス! お前は――っ!

 いきなり序盤からアドリブをぶっこんでくんな――っ!


 クレイユの視線がさらに鋭くなり、俺が一瞬固まった隙に、ヴェリアスが本来の台詞を口にする。


「愛らしいお前の憂い顔を見るのは忍びない。お前が望むなら、どんなことでも叶えてやろう」


 オディールが愛しくて仕方がないと言いたげなヴェリアスが、ふと酷薄に唇を吊り上げる。


「お前が嫌っていたオデットは白鳥に変えてやったぞ? 他に何を望む? この父に何でも教えておくれ」


「……いまは別に。望みなんてありませんわ、お父様」


 ふいと顔を背けてロットバルトの手から逃れ、俺はつれなく距離を取る。


 オディールの最初のシーンで観客に示すべき情報は、オディールはロットバルトの溺愛を受けつつも、それを鬱陶うっとうしく思っているということだ。


 最初、シャルディンさんの脚本を読んだ時、このシーンのオディールの心情に、俺が心から共感したのは言うまでもない。


 うんっ! わかるぞ、オディール! 望んでもないのにあれこれべたべた構われるなんて、鬱陶しい以外の何物でもないよなっ! ほんとわかるっ!


 ロットバルトはこれでもか! とばかりにべたべたオディールにかまってくるけど……。


 演技じゃなかったら「鬱陶しいっ! べたべたすんなっ!」って殴ってるからなっ!?


 ……いやまあ、ヴェリアスも演技でべたべたしてきてるのはわかってるんだけど……。


 おかげでこのシーンは「内心でロットバルトを嫌がっているオディールの心情がよく表現できている!」とヴェリアス以外のイケメン達だけじゃなく、イゼリア嬢にもお褒めいただいた。


 イゼリア嬢にお褒めいただけるなんて……っ! 嬉しすぎますっ! このシーン唯一の救いと言ってもいいっ!


 ヴェリアスのアドリブの衝撃から立ち直った俺は、演技に集中する。


「忌々しかったオデットは白鳥に身を変えられて嘆いているに違いないもの! うふふ、愉快だわっ!」


 オディールは高笑いを上げるが、その響きはどこか空虚だ。


 だが、ロットバルトは娘の気持ちに無頓着むとんちゃくだ。


 オディールを溺愛し、望みを何でも叶えるロットバルトだが、ロットバルトがオディールを愛しているのはあくまで表面だけ。娘を溺愛する自分に酔っているだけで、オディールの本当の気持ちなど見ていないのだ。


 ロットバルトとクラインがいったん下がった舞台の上で、オディールは胸に鬱屈する感情を吐露する。


 父親に束縛され、恋人はおろか友人さえも作ることができないオディールは、誰にでも愛され、常に周りに人が集まるオデット姫に嫉妬し、ロットバルトに頼んでオデット姫に白鳥になる呪いをかけてもらう。


 オデット姫への憎しみは寂しさの裏返しでもあるのだが、オディールは自分の感情に気づかない。


 白鳥に変えるという呪いが成就したにもかかわらず、なぜ自分の心が晴れないままなのかも。


 そして、オディールの独白が終わったところで舞台に再登場するのが、クラインだ。


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