355 イゼリア嬢のオデット姫が可憐すぎて昇天するっ!


 シャルディンさんがアレンジした『白鳥の湖』の台本は、クレイユやディオス、エキューが演じる原作にはない登場人物が増えた分、原作にないシーンもいろいろ増えている。が、もちろん大筋は同じだ。


 ディオス演じる「ディオン」、エキュー演じる「エリュー」の友人二人と出かけた狩りの途中、ひとりはぐれたリオンハルト演じるジークフリート王子は、湖のほとりで白鳥から乙女の姿に変じたオデット姫を見て、ひと目で恋に落ちる。


 同時にオデット姫もジークフリート王子にひとめぼれするんだけど……。


 なんていうか、このシーンのイゼリア嬢はほんっっっっっと! 魂が消し飛びそうなくらい初々しくて可憐極まりないんだよなぁ……っ!


 ぽっと桜色に染まった頬。ジークフリート王子を見上げる潤んだ瞳。恥ずかしげなんだけど気品あふれる仕草……。


 何度見ても尊いっ! 尊すぎて昇天するっ!


 観客達もまばたきも忘れたように舞台に見入ってるもんなぁ……。


 が、のんびりと舞台袖でイゼリア嬢に見惚れている場合じゃない。


 このシーンが終わったら、次はオディール達、魔王ロットバルト側の出番だ。


 イゼリア嬢のオデット姫の可憐さを際立たせるため、俺は見事に悪役オディールを演じきってみせるっ!


「おっ、ハルちゃんも気合い入ってるね♪」


「大丈夫だ、心配はいらない。もし台詞を噛んでもわたしが助ける」


 舞台袖で気合を入れていると、出番が近づいたところでヴェリアスとクレイユに両側から話しかけられた。


 魔王ロットバルトとして、黒い羽根飾りがふんだんについた豪奢ごうしゃな衣装を纏ったヴェリアスと、魔王の部下・「クレイン」役として黒を基調とした衣装を着ているクレイユの表情にも、やる気がみなぎっている。


 ちなみにクレイユはトレードマークの銀縁眼鏡を外している。

 顔の一部じゃないかと思うほど常にかけている眼鏡がないなんて、クレイユであってクレイユじゃないような、なんだか不思議な感じだ。


 いや、確かに舞台では「クレイン」なんだけどさ。


「もちろんですよっ! 本番なんですから! それに、シャルデンさん達に、最高の舞台を見せるって約束しましたし……っ!」


 ぐっ、と両手の拳を握りしめて答えると、ヴェリアスとクレイユがそろって笑みを覗かせた。


「だね~♪ 今日ばかりはオレも本気を出しちゃうよ~♪」


「確かに、ヴェリアス先輩はいっつもふざけてて手を抜いてますからね」


「ヴェリアス先輩は今日くらい頑張ってもバチは当たらないと思います!」


 イゼリア嬢を引き立たせるためにっ! 悪役として見事に踏み台になれっ!


「ちょっ!? ひどっ!? 二人ともオレに当たりがきつすぎない!? 魔王がいじめられるってどういうこと!?」


 舞台袖なので、声をひそめて嘆くヴェリアスに俺とクレイユは淡々と返す。


「舞台上では先輩がわたし達をいじめるんですから、いいじゃないですか」


「そうです、ハルシエル嬢の言うとおりです」


「舞台の最後で一番ヒドい目に遭うのはオレじゃん! 全員からぼこぼこにされてさぁ……」


 ヴェリアスがべそべそと泣き言をこぼすが、どうせ本気じゃないとわかっている俺とクレイユは完全にスルーだ。


 そもそも、舞台袖であんまり騒ぐと迷惑になるし。


 っていうか、俺は一秒でも長くイゼリア嬢が演技なさっているところを見てたいしっ!


「クレイユ君は、聞かなくてもやる気はばっちりみたいね」


「もちろんだ。当然だろう」


 何のてらいもなくクレイユがきっぱりと頷く。いつも冷静なクレイユがこんな風に熱く燃えているのは珍しい。


 いや、今日のクレイユはいつものクレイユとは別人みたいないろいろな表情を見せてくれているけど……。


 これも文化祭という非日常ゆえの魔法なんだろうか。


 ふと、そんならちもないことを考えていると、不意にクレイユに片手をとられた。かと思うと、クレイユが俺に身を寄せ。


「今日はいつも以上に本気を出すつもりだ。『必ずきみを振り向かせて、わたしのとりこにしてみせるよ、オディール』」


「っ!?」


 耳元で甘く囁かれた言葉に、ぱくんっと心臓が跳ねる。


 急に後半の台詞をぶっこんでくんな――っ! 一瞬、このあと演技する台詞が抜けそうになっただろ――っ!?


「さあ、行こうか」


 ぱくぱくと口を開閉させる俺をよそに、クレイユがそっと背中を押す。


 舞台の上ではイゼリア嬢とリオンハルトが逆側の舞台袖に引っ込もうとしていた。


 照明が落ち、舞台装置が変わったら俺達の出番だ。


 っていう大事なタイミングなのにっ! 本番前で集中を乱しにくるんじゃねぇ――っ!


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