352 そろそろ舞台の準備をしないといけない頃だろう?


 二人とも、目元がうっすらと赤いが、き物が落ちたようなさっぱりした顔をしている。特にクレイユは、険が取れて、今まで見たことがないような穏やかな表情をしていた。


 二人がどんなやりとりをしたのかはわからないが、きっと長年の心の溝を埋めるようなものだったに違いない。


「ハルシエル嬢。エキュー達も……。待っていてくれたのか?」


 俺達の姿を見たクレイユが驚いたように蒼い目をみはる。


「えっとその、何となく……?」


 待っていたというより、エキュー達にお礼を言われていたら、立ち去るタイミングを失ったっていうのが正しいんだけど。


「それより、クレイユ君こそ、もういいの? もっとたくさんシャルディンさんと話したいんじゃ……?」


 俺の言葉に、クレイユが口元をほころばせる。


 小さな笑みなのに、びっくりするほど優しくて……。なぜか、ぱくりと心臓が鳴ってしまう。


「もちろん、話したいことはまだまだあるが……。連絡先も交換したし、これからはいつだって会える。それに、そろそろ舞台の準備をしないといけない頃だろう?」


「えっ!? もうそんな時間なの……っ!?」


 クレイユとシャルディンさんが和解して、なんかもう一仕事終えた気になってたけど、そういえばまだ文化祭の大トリを飾る『白鳥の湖』の劇が残ってるんだった……っ!


 そうだよっ! そもそも、劇が始まるまでの空き時間でイゼリア嬢のところに行こうと思ってたのに、クレイユのせいですっかり頭から抜け落ちてた……っ!


 くうぅっ! もう一回、一組の展示を見て、イゼリア嬢ときゃっきゃうふふしたかったのに――っ!


 俺の声にもう一度、くすりと笑みをこぼしたクレイユが、シャルディンさんに向き直る。


「シャルディン伯父さん。伯父さんが脚本を書いてくださった『白鳥の湖』、しっかり演じてみせます。……見てくれますか?」


「もちろんだよ! 楽しみにしている」


 クレイユの言葉に、シャルディンさんが満面の笑みで頷く。


「伯父さんが、わたしを想って書いてくれた『クレイン』役……。見事、演じてみせますから」


 きっぱりと宣言したクレイユの銀縁眼鏡の奥の蒼い瞳には、燃えるような熱意が宿っている。クレイユに感化されたようにはずんだ声を上げたのはエキューだ。


「じゃあ、クレイユに負けないように、僕達も頑張らないとねっ! シャルディンさん達に素晴らしい劇を見せなきゃ!」


「ああ、そうだな」


 エキューの言葉に、ディオスが力強く頷く。


「これは、練習の時以上に気合いを入れないといけないね」


 リオンハルトも端整な面輪を引き締めている。いつもと同じように飄々と笑ったのはヴェリアスだ。


「まぁ、もともと手を抜く気なんてなかったケドね♪ しょーがない、クレイユのために、ちょっと本気を出そうかな♪」


「……ヴェリアス先輩って、意外とクレイユ君のこと、好きですよね? さっきだって、クレイユ君のいそうなところ教えてくれましたし……」


「うぇぇぇっ!? ハルちゃん、ナニソレ!? オレは別にクレイユのことなんて……っ!?」


 ヴェリアスが珍しく焦った声を上げる。


「いえ、ヴェリアス先輩に限らず、リオンハルト先輩やディオス先輩も、クレイユ君のことを気にかけて……。エキュー君がいつだってクレイユ君のことを気にかけていたのは知ってますけど。さり気なく見守ってるって、なんだか素敵ですね」


 告げた瞬間、なぜかイケメン達の間に沈黙が落ちる。


 ん? なんか俺、変なコト言っちゃったか?  


 いやっ、別に他意はないぞっ!? 腐女子大魔王の姉貴みたいに「はぁーん! もうっ、五人の友情が萌える〜っ! この友情がいつしか愛情に変わって……っ! うぇっへっへ……」とか言うつもりはないしっ!


「……まったく、ハルシエル嬢はいつも不意打ちなのだから……」


 ややあって、リオンハルトが吐息混じりに小さく呟く。端整な面輪はなぜかうっすらと赤い。


「その分の破壊力は格別だけどな……」


 ディオスもまた赤い顔で呟き、


「もーっ、ハルちゃんったら、ほんっと小悪魔すぎっ!」

 とヴェリアスが楽しげに声をはずませる。


「ハルシエルちゃんに褒めてもらえるなんて嬉しいな!」


 とエキューは相変わらず天使そのものだ。


「その……」

 と戸惑ったように声をこぼしたのはクレイユだ。


 だが、すぐにクレイユの蒼い瞳に強い光が宿る。


 一歩前に踏み出したクレイユが、腰を九十度に折って、かっちりと頭を下げた。

「先輩方、それにエキューも……。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。そして――。今まで、ありがとうございます」


 プライドの高いクレイユから飛び出すとは思っていなかった謝罪と感謝の言葉に、全員が息を呑む。


 代表するように答えたのはリオンハルトだった。


「気にしないでほしい、クレイユ。わたし達は生徒会の仲間なんだから……。力になりたいと願うのは、当然のことだろう?」


 心のわだかまりを融かすような柔らかな笑み。


 やっぱりリオンハルトは人の上に立つにふさわしい人物なんだと、俺は妙に感心する。


「シャルディン氏。今日はいままでで一番素晴らしい演技をお見せしますよ。あなたが書いてくださった脚本に、応えられるように」


「ええ、楽しみにしています」


 リオンハルトの笑みに、シャルディンさんが大きく頷く。


「ハルシエルちゃん、頑張ってね」


「はいっ!」

 アリーシャさんにも応援され、俺は気合いを入れて頷いた。



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