349 臆病者のわたしをお許しください


 クレイユは、同じ蒼い色の瞳に、祈るような光を宿したシャルディンさんの前で立ち止まると。


「伯父さん……。今まで、不義理をしてきた臆病者のわたしをお許しください」


 深々と、シャルディンさんに頭を下げる。


「わたしは、伯父さんがカルミエ家に迷惑をかけないように気遣ってくださっていたのを知っていたのに……。なのに、もう一度自分が傷つくのが怖くて、見ないふりをしてきました。わたしさえ勇気を出せば、昔みたいに伯父さんと交流できたはずのに……。ずっと傷つけ続けてきたばかりか、つい先ほどだって……。誠に申し訳ありません」


 迷いなく告げられた言葉に、シャルディンさんの目がこぼれんばかりに瞠られる。かと思うと。


「クレイユが謝る必要なんてない! すべて、わたしが強欲なせいだ! アリーシャも劇作家としての成功も、カルミエ家のことも……。全部を諦めきれなかったわたしが……っ!」


 今にも泣きそうに顔を歪めたシャルディンさんが、クレイユの肩を掴んで無理やり起こすと、ぎゅっと抱きつく。


「すまない……っ! わたしのせいで、つらい思いをさせたんだろう……っ? わたしこそ、どれほど謝っても足りないというのに……っ!」


「いいえ、それは違います」


 シャルディンの言葉に、クレイユが穏やかに、けれどもきっぱりとかぶりを振る。


「わたしが臆病だっただけで、決して伯父さんのせいではありません。それに――」


 クレイユが珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「たとえ、もう一度人生をやり直すとしても、伯父さんはアリーシャさんも劇作家も、諦めたりしないでしょう?」


「っ!?」


 クレイユの問いかけにシャルディンさんが息を呑む。と、真っ直ぐにクレイユを見返した。


「もちろんだ。何度人生を繰り返そうと、わたしは大切なものをどちらも諦める気はない。だが……。だからといって、大切な甥を傷つけていい理由にはならないだろう?」


「そのお言葉だけで十分です」


 クレイユが驚くほど柔らかく笑う。


「もし、わたしやカルミエ家に気を遣って、伯父さんが夢を諦めていたら、わたしは足枷あしかせになってしまった自分を許せなかったでしょう。何より、伯父さんが劇作家の道を選んだことが間違いではなかったのは、今回の『白鳥の湖』の脚本を見るだけで明らかです」


 クレイユの言葉に他のイケメンどもがどよめく。脚本家がシャルディンさんだと知って驚いたらしい。


 だが、信じられないと言わんばかりに、イケメン達よりも大きく目を瞠っているのは。


「クレイユ……! これほど強欲なわたしを許してくれると言うのかい……?」


 かすれた声で問うたシャルディンさんにクレイユが微笑む。


「許すも何も。伯父さんに許しを請わなければならないのは、わたしのほうです」


「そんな必要なんてないっ!」


 言葉と同時に、シャルディンさんがぎゅっとクレイユに抱きつく。


「ありがとう……っ! ありがとう、クレイユ……っ! まさかもう一度、きみと言葉を交わせる日が来るなんて……っ!」


「伯父さん……。長い間、遠回りをしてしまってすみませんでした」


 クレイユもまた、シャルディンさんの背に腕を回して抱きしめる。


 よ、よかった……っ! クレイユとシャルディンさんのわだかまりが解けて、ほんとによかった……っ!


 長年の疎遠を埋めるかのように、ぎゅっと抱きしめあう二人の姿に、俺まで目が潤みそうになる。


「よかったね、クレイユ……っ!」


 と感極まった声でこぼしたエキューも、今にも泣きそうな顔だ。


 いや、エキューだけじゃない。リオンハルトやディオス、ヴェリアスも嬉しそうな微笑みを浮かべてクレイユ達を見守っている。アリーシャさんなんて、ハンカチでそっと目元を押さえていた。


 シャルディンさんのことは、きっとクレイユの心の中にずっとずっと深く刺さっていたとげだったんだろう。


 一学期、図書館で会った時に詩集や芸術なんてくだらないと言っていたのも、きっとシャルディンさんのことが頭にあったからに違いない。


 クレイユが長年の呪縛から解かれて、本当によかったと思う。


 と、シャルディンさんから身を離したクレイユが照れくさそうに口元をゆるめた。


「実は、こうして伯父さんに向き合う覚悟を決められたのは、自分だけの力じゃないんです」


 うんうん。そうだよな。小さい頃だって、エキューがそばにいたからクレイユも――、


「ハルシエル嬢がわたしに勇気をくれたから……。だから、一歩踏み出すことができました」


 って! 俺っ!? そこで俺の名前が出てくるのかよっ!?


 いやそこは長年の親友のエキューだろっ!? っていうか俺の名前はいいからエキューをあげてやれっ!


「いえいえいえっ! 私なんて全然っ! むしろクレイユ君をずっと支えたのはエキューく……」


「もちろん、エキューにも感謝している。いくらしても足りないほどだ。だが、最後の一歩を踏み出せたのは、きみのおかげに他ならない」


 こちらを振り返って一歩前に出たクレイユが、両手でぎゅっと俺の右手を握りしめる。


「ありがとう、ハルシエル嬢」


 真摯な声音。真っ直ぐに見つめる眼鏡越しのまなざしに、なぜかぱくんと心臓が跳ねる。


「いやだから、私は……っ!」


謙遜けんそんはいらない。きみが追いかけてきてくれて、本当に嬉しかった。それだけじゃない。きみが背中を押してくれたからこそ、一歩踏み出せたんだ。今度はわたしがきみに想いを返したい。叶うなら――」


「はいはい、そこまで〜♪ 今はハルちゃんよりも、せっかく仲直りできた伯父サマとの仲を深めなよ♪」


 不意に軽やかな声が聞こえたかと思うと、俺とクレイユの間にヴェリアスが割って入る。


 ぐいと肩を掴まれて後ろに引かれた拍子に、とすりとヴェリアスに背中が当たる。わずかにクレイユの力がゆるんだ隙に、俺は握られていた手をさっと引き抜いた。


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