348 まだ、今からでも取り戻せるだろうか


「……まだ」


 ぽつりとクレイユが頼りない声を出す。


「まだ、今からでも取り戻せるだろうか? わたしが勇気を振り絞れば、前みたいにシャルディン伯父さんと……。もう一度、笑顔で言葉を交わせるようになるだろうか?」


 いつものクレイユとは別人みたいな不安に揺れる声。


 それを支えるように、俺は力いっぱい頷く。


「もちろんよ! シャルディンさんだって、もう一度、クレイユ君と仲良くなりたいって思ってるに違いないもの! お互いがそう思ってるなら、仲良くなれないわけがないわ!」


 それでも顔を上げないクレイユに、励ますように言を継ぐ。


「もし、周りでうるさく言う人がいても、気にする必要なんてないの! 大事なのはお互いの気持ちなんだから! っていうか、そんな失礼な人がいたら、関係ない人は引っ込んでて! って、私が殴るからっ!」


 ぐっ、と拳を握りしめると、驚いたようにクレイユが動きを止めた。


 かと思うと、ふはっとこらえれないように吹き出す。


「……本当に、きみはいつも、わたしの予想の斜め上を行くんだな。可憐な容姿なのに、意外と好戦的で……」


 ようやく片方の腕をほどいたクレイユが、そっと俺の右手をとる。ハルシエルの拳なんて包み込んでしまう、大きな手のひらと長く繊細な指先。


「きみに、そんなことはさせるわけにはいかないよ。自分のことだ。戦うのなら自分の拳で戦おう。……だが、ありがとう。きみのその気持ちが何より嬉しい」


 いつものクレイユからは想像もできない甘い声の響き。


「あの、クレイユ君……」


 いい加減、放してほしくて身じろぎする。


 クレイユはスポーツに打ち込んでいるわけじゃないのに、それでもハルシエルをすっぽりと抱きしめる身体は引き締まって大きくて。さっきから、心臓が壊れそうなくらいばくばくと高鳴っている。


 クレイユのコロンはすっきりした香りのはずなのに、溺れてしまいそうな心地で。


「きみがそばにいてくれれば、どんなことでも乗り越えられる気がする」


 間近で聞こえたクレイユの声が耳朶じだを震わせる。右手を包んでいた手は、いつの間にか俺の拳をほどいて、俺の指の間にクレイユの指が絡んでいて。


 いやあの、クレイユと恋人つなぎなんてする趣味はないからっ! 俺が手をつなぎたいのはイゼリア嬢だけだっての!


「あの、放し――」


「きみが初めてなんだ」


 俺の言葉を封じるようにクレイユが声を出す。


「伯父さんのことを話したのは。いや、それだけじゃない。言動のひとつひとつでわたしの心をこんなに惑わせるのも、これほどわたしに勇気をくれるのも……」


 放すどころか、俺を抱きしめるクレイユの腕にさらに力がこもる。


「期待しても、いいだろうか。ここまで追って来てくれたばかりか、わたしを励まして、背中を押してくれたきみに……」


「き、期待……?」


 クレイユが言いたいことがとっさにわからず、きょとんとおうむ返しに繰り返す。


 見上げたクレイユの口元に、甘やかな笑みが浮かんだ。


 片腕をほどいたクレイユの手のひらがそっと俺の頬を包む。


 銀縁眼鏡の奥の蒼い瞳と視線があった瞬間、ぱくりと鼓動が跳ねる。振り払わなくてはと思うのに、なぜか身体が動かない。


「ハルシエル嬢。わたしは――」


 熱を宿した声。整った面輪がゆっくりと近づき――。


「クレイユいる!? ハルシエルちゃんも! 大丈夫っ!?」


 どんどんどんどんっ!


 不意にエキューの声と同時に勢いよく生徒会室の扉が叩かれる。

 クレイユが我に返ったように動きを止め、同時に俺も身体が動くようになる。


「だ、大丈夫……っ! あの、鍵はかけてないから……っ!」


 ようやくクレイユの腕から抜け出した俺が立ち上がって告げると、待ちかまえていたようにすぐさま扉が押し開けられた。


「クレイユ!」


 ソファに座ったままのクレイユに真っ直ぐ駆け寄ったのはエキューだ。


 来ていたのはエキューだけじゃない。エキューの後ろから、ヴェリアスとリオンハルトとディオス、それにシャルディンさんとアリーシャさんも生徒会室に入ってくる。


「クレイユ、あの……っ」


「大丈夫だ、エキュー」


 言葉を探すように口ごもったエキューに、優しい声で告げたクレイユが、ソファから立ち上がる。


 それだけで、豪奢ごうしゃな部屋に緊張が満ちた。


 不安や心配、気遣いの視線が集中する中、クレイユが迷いなく歩を進めた先は、緊張に顔を強張らせて立つシャルディンだ。


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