347 クレイユ君がどうして眼鏡をかけているのかわかったわ!


「伯父さんは、カルミエ家に迷惑をかけてはと、家を出て以来、まったく連絡をしてこなくなった。伯父さんの劇団の公演が成功したという噂をかすかに聞くくらいで……」


 うつむいたクレイユが悔しげに眉を寄せる。


「優しい伯父さんが遠慮をして自分から連絡をとろうとしないことくらい、少し考えればわかったはずなのに……っ! 伯父さんと疎遠になりたくなければ、わたしから連絡を取るべきだったんだ。なのに、伯父さんに捨てられたような気持ちになって、勝手に壁を作って距離を置いて……っ! 今もまた、逃げ出してしまった……っ!」


 俺の手を放したクレイユが両手で顔を覆う。


「きっと伯父さんだって呆れ果てているに決まってる……っ!」


「そんなわけないでしょっ!」


 嘆くクレイユに、考えるより早く言い返す。


「クレイユ君がどうして眼鏡をかけているのかわかったわ! 目だけじゃなくて視界まで悪いってことねっ! ううんっ、ほんとに悪いのは頭かも!」


「な……っ!? 何だ、急に……っ!?」


 突然、暴言を吐いた俺に、クレイユが愕然と顔を上げる。


「わたしの頭が悪いと……っ!?」


 俺の発言はクレイユのプライドをいたく傷つけたらしい。眼鏡の奥の蒼い瞳に剣呑な光を宿したクレイユが俺を睨みつける。


「だってそうでしょう!?」


 負けじと俺はクレイユを睨み返した。


「シャルディンさんがクレイユ君やカルミエ家のことを考えて距離を置いたってわかってるのに、クレイユ君に呆れてるなんて言うなんてっ! どうしてシャルディンさんがカルミエ家と距離を置いたと思ってるの!? クレイユ君達のことが大切で、自分のせいで悪い噂を立てられたくなかったからでしょう!? そんなの、部外者の私にだってわかるわよっ! 演劇に関わってる程度で蔑む貴族達もどうかと腹立たしいけど、とりあえずいまは横に置いとくとして!」


 俺はすぅっと大きく息を吸うと、クレイユを真っ直ぐ見つけて告げる。


「あのね、今回演じる『白鳥の湖』の脚本は、ほとんど全部シャルディンさんが書いてくれたの」


「っ!?」


 俺の暴露にクレイユが息を呑む。


「脚本を書いてもらうために、生徒会の面々のことを伝えた時……。シャルディンさん、クレイユ君のことを聞くたびにすごく嬉しそうだった。その時はどうしてなのかわからなかったけど……。いまならよくわかるわ。自分からは会いにいけないクレイユ君のことを聞いて、喜んでいたんだと思う」


 俺は凍りついたように表情を失くしたクレイユを見ながら言を継ぐ。


「あのね、脚本を書く代わりにシャルディンさんが望んだことは、何だったと思う? 文化祭の招待状だったの。これは私の想像に過ぎないけど……。きっと、シャルディンさんは、遠目からでもクレイユ君を見たかったんだと思う。自分が心をこめて書いた脚本をクレイユ君がどんな風に演じてくれるのか……。シャルディンさんはきっと胸を躍らせながら書いたに違いないわ」


 クレイユ演じるクレインが原作にはないオリジナルキャラにも関わらず、いきいきと描かれていたのは、絶対、シャルディンさんがクレイユのことを思い描きながら台詞を考えたからに違いない。


「そんなシャルディンさんが、クレイユに呆れると思う!? クレイユ君が走り去ったあとのシャルディンさんは見ていられないくらいだったんだから! シャルディンさんがクレイユ君を嫌っているなんて言ったら、代わりに私が怒るわよ!」


「だが……」


 俺が言葉を尽くしても、クレイユの表情は晴れない。


 いったい、どんな風に伝えたら、俺の言いたいことが伝わるんだろう。


 シャルディンさんもクレイユも、お互いに相手を思いやるがゆえにすれ違っていることに、言いようのないもどかしさを感じる。


「そりゃあ、私の言葉なんかじゃ信用できないっていうのはわかってるけど、でも……っ!」


 あーっ、もう! じれったいなっ!


 怖いのはわかるけど、「でも」だの「だが」だのうじうじとっ! 男だったら覚悟を決めてぶつかってみろ!


「もうっ! クレイユ君の意固地っ! シャルディンさんが勇気を出してクレイユ君と関わろうとしてるのに、その手を取ろうとしないなんて臆病者よっ!」


 やり場のない気持ちをぶつけるように思わず拳を振り上げる。


 ハルシエルの力じゃたいしたダメージじゃないだろうけど、いっそのこと一発くらい殴ってやったほうが目が覚めるかもしれない。


「クレイユ君の馬鹿っ!」


 胸元へ拳を振り下ろそうとして。

 ぱしっと手首を掴まれる。


「ハルシエル嬢」


 こちらを見るクレイユの顔は真剣そのものだ。


 や、やべ……っ! さすがに手を出しすぎて怒られるか……っ!?


 一瞬身を強張らせた隙をつくように、クレイユが握りしめた手首をぐいと引く。


「ひゃっ!?」


 バランスを崩し、前のめりになった俺は、次の瞬間、クレイユに強く抱きしめられていた。


「きみを信用しないはずがないだろう? きみはいつも、わたしが気づいていない視点を開けてくれる。わたしが素直に受け止められなかったのは……」


 耳元で聞こえるクレイユの声が低く沈む。


「きみが言うとおり、わたしが臆病で信じられなかっただけなんだ。……すまない。きみを傷つける気はなかった……っ!」


 聞いている俺の胸まで締めつけられるような切なげな声。


 謝罪の気持ちを伝えるかのように、腕に力がこもり、クレイユがつけているコロンの香りが押し寄せる。


「ちょっ、クレイユ君……っ!」


 だーかーら――っ! 急に抱き寄せるんじゃねぇって言ってるだろ――っ!


 いますぐクレイユの腕を振りほどきたいのに、自分のものではなくなったかのように身体が動かせない。


 うつむいているクレイユが震えているのが、嫌でも伝わってきて。


 いまここでクレイユの腕をほどいたら、せっかく振り絞ろうとしている勇気まで、ぺしゃんとしぼんでしまいそうで。


 どのくらいの間、そのままでいただろうか。


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