344 いったい何がクレイユの心を捕えているのか


「クレイユ君……? いる……?」


 文化祭の会場としては使われていない本校舎の、しかも最上階ともなれば廊下は無人だった。


 生徒会室の前まで来た俺は、おずおずと声をかけながら重厚な扉をノックする。


 だが、応答は返ってこない。


 ヴェリアスはクレイユなら生徒会室にいるハズだって言ってたけど、違ったか……?


 ともあれ、室内を確認して無人だったら別の場所にクレイユを探しに行こうと、ノブに手をかけ、回そうとしたところで。


 不意に、きぃっと扉が引かれる。


「きゃっ!?」


 ドアノブに手をかけていた俺は、前のめりに転びそうになり、すんでのところで踏ん張る。その耳に入ってきたのは。


「ハルシエル嬢……。どうして……?」


 信じられないと言わんばかりのクレイユのかすれた声だった。


 体勢を立て直した俺は、思わずクレイユを睨み上げる。


「どうして、って、目の前であんな顔で逃げられたら、心配になって追いかけてくるのは当たり前でしょう!?」


 俺の言葉に、クレイユが虚をつかれたように目をしばたたく。


「わたしを心配して……? 呆れ果てて、なじりに来たんじゃないのか……?」


「はいっ!? 何を言ってるのよ!?」


 クレイユの言葉に、ぎゅっと眉間にしわが寄るのを感じる。


「なんでクレイユ君をなじる必要があるわけ? クレイユ君は何も悪いことなんてしてないでしょう!?」


「だが……。軽蔑しただろう……?」


 かすれ気味のクレイユの声は、いつもの冷静沈着さが嘘のように頼りない。


 眼鏡の上から両手で顔を覆ったクレイユが、震える声を絞り出す。


「昔だって同じだった……っ! 初めて出席した貴族のパーティーで、恥晒はじさらしだと陰口を……っ!」


「ちょ、ちょっと待ってよ! いったい……っ!?」


 指の間から覗くクレイユの目はここではないどこかを見ているかのようだ。


 何やら過去にトラウマがあるみたいだけど……。いったい何がクレイユの心を捕えているのか、俺にはさっぱりわからない。


「クレイユ君、しっかりして! いったい、どうしたの!?」


「あ……」


 クレイユの腕の掴んで揺すると、ようやくクレイユの目が焦点を結んだ。


「ハルシエル、嬢……?」


 ようやく俺がいることに気づいたとばかりに呆然と呟いたクレイユを見上げ、問いかける。


「ねぇ、いったい過去に何があったっていうの? クレイユ君もシャルディンさんも、顔をあわせるなり様子がおかしくなって――」


「……何でもない」


 俺の言葉を断ち切るようにクレイユが不意とそっぽを向く。

 整った横顔には、明らかな拒絶が浮かんでいた。


「きみには関係のないことだ。追いかけてきてくれたのに申し訳ないが――、っ!?」


 クレイユが最後まで言わぬうちに息を詰まらせる。


 ――拳を握りしめた俺に、脇腹を殴られて。


「な、何をするんだっ!?」


「何かしてるのはそっちでしょ!?」


 非力なハルシエルの力では痛くなど無かっただろう。が、急に脇腹を殴られたのはびっくりしたに違いない。


 銀縁眼鏡の奥の蒼い目をみはってこちらを振り向いたクレイユに、間髪入れずに言い返す。


「関係ないってどういうことよ! 目の前であんな顔で逃げられて、気にしないわけないでしょう!? シャルディンさんだってくずおれるし……っ! クレイユ君もシャルディンさんも、私にとって無関係な人なんかじゃないんだからっ! 放っておけるなら、最初っから探してまでおいかけてこないわよっ!」


 ふつふつと胸の奥から湧き上がる怒りのまま、クレイユを睨み上げる。


「クレイユ君にとっては私なんて単なる風景の一部だろうけど、これでも私なりにクレイユ君のことは――」 


 『キラ☆恋』の攻略対象としてイベントなんか起こす気は欠片もないけど、それでも生徒会のメンバーとして、友人程度の親愛の情は持ってるんだからなっ!


 それを「関係ない」と拒絶されて黙ってられるかっ!


 感情の赴くままに怒りをぶつけようとして。


 不意に右腕を掴まれてぐいと引き寄せられたかと思うと、次の瞬間、クレイユに抱きしめられていた。


「な――っ!?」


「……すまない。失言だった」


 ぎゅっと俺を抱きしめたクレイユが低い声で謝罪する。


 いやっ、謝罪するならさっきの言葉よりもいまの状況だろうがっ!?

 なんで急に抱きついてきてるんだよっ! 離しやがれ――っ!


「ちょっ!? クレイユ君っ!?」


 ぐいぐいと押し返すと、名残り惜しそうにクレイユの腕がほどかれた。


 あわてて距離をとろうとするが、腕を掴んで引き止められる。


「……やっぱりきみも……。わたしを軽蔑して離れていくのか……?」


 まるで置いていかれる幼子みたいな泣きそうな声。ぎゅっと手首を掴む手は、すがるようにかすかに震えていた。


「ちょっと!? なんでそこで急に軽蔑するって話になるのよ!? クレイユ君は軽蔑されるようなことなんてしてないでしょう……?」


 いったいどうしたっ、クレイユは!? 情緒不安定すぎるぞ、おいっ!


 クレイユの手をほどくことを諦め、俺は下手に刺激するまいと、できるだけ優しい声音で話しかける。


「ねぇ、いったい、昔に何があったの……?」


「それ、は……」


 問われた瞬間、クレイユの面輪が強張る。


「……言いたく、ない……」

「はいっ!?」


 優しく話しかけようと思っていたのに、一瞬で声がとがる。


 びくりと肩を震わせたクレイユが気まずげに視線を落とす。伏し目がちのまま、ぼそぼそと低い声で呟いた。

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