342 思いがけない邂逅


 一時間ほど、ほとんど見学者が来ないホールで暇なこと極まりない当番をこなした俺は、当番時間が終わるといそいそとホールを出た。


 もちろん向かうはイゼリア嬢がいらっしゃるだろう一年一組の展示会場だ。


 食堂の混乱はそろそろ収まって来たのか、学園内の通路を行き交う人波はそこそこ戻ってきている。


 うきうきと一年一組の展示会場を目指して歩いていた俺は、通路の先に知り合いの姿を見つけた。


「あっ! シャルディンさんにアリーシャさん! 来てくださったんですねっ!」


 学園の入口で招待状チェックの時に配布している文化祭用のパンフレットを立ち止まって見ている二人に、急いで駆け寄る。


「あら、ハルシエルちゃん!」


 いち早く俺に気づいたアリーシャさんが、華やいだ声を上げて片手を振って応えてくれた。


 女優のアリーシャさんは目立たないようにだろうか。豊かな髪はシンプルに結い上げ、地味な服に伊達眼鏡までかけている。が、大輪の花のような華やかな雰囲気は隠しようもない。


 シャルディンさんもアリーシャさんに合わせて地味なスーツに銀縁の眼鏡をかけているが、もともとがイケメンなのでどう見てもお忍びの大女優とお付きの敏腕マネージャーっていう雰囲気だ。


 シャルディンさんの眼鏡姿って初めて見るけど、銀縁眼鏡のせいか知的な雰囲気が爆上がりしている。


 いや〜、イケオジは何を身に着けててもイケオジだなぁ〜。


 っていうか、シャルディンさんの横顔に妙に既視感がある気が……。


「やあ、ハルシエルちゃん。お邪魔しているよ。とても盛況で素晴らしいね」


 パンフレットから顔を上げたシャルディンさんも笑顔で挨拶してくれる。


 ああっ、同じイケオジの外見でも中身が腐女子大魔王な姉貴とは真逆の、安心感のある穏やかな微笑みよ……っ!


「来てくださって嬉しいです! どこかお探しだったんですか?」


 俺は挨拶してシャルディン達に駆け寄ると、ちらりとパンフレットを覗き込む。


「聖エトワール学園は広いですもんね。もし行きたい場所があるのならご案内しますよ?」


 このパンフレットの監修は生徒会がしたから、俺も中身は覚えている。


 ロイウェル達も一年二組のホールに来るのに迷ってたし……。無駄に広いから、初めて来たお客さんは迷っても仕方がないよなぁ……。


 俺の申し出に、シャルディンさんが困ったように口ごもる。


「いや、道に迷ってはいないんだ。ずいぶん前とはいえ、わたしもここの卒業生だからね。おおまかな建物の配置は変わっていないようだし……」


「えぇっ!? シャルディンさんって聖エトワール学園の卒業生だったんですか!?」


 さらりと告げられた言葉に、すっとんきょうな声が飛び出す。


 そう言われてみれば、シャルディンさんのこの上品さにも納得だけど……。俺と同じく特待生だったんだろうか?


「ただ、卒業生といえど、わたしは……」


「もうっ! ここまで来てぐずぐずしてるなんて、あなたらしくないわよ、シャルディン!」


 顔を伏せ、力なくこぼしたシャルディンさんに、アリーシャさんがじれたように声を出す。


「ハルシエルちゃんに協力を申し出たくらいだもの。やっぱり会いたいんでしょう!? いい加減、覚悟を決めなさいな。もうここまで来たんだったら、思い切って一年一組に行くべきよ! あなたもいい加減、会いたいんでしょう?」


 会いたい? 一年一組?

 アリーシャさんの言葉に、俺の頭の中で疑問符が踊ると同時に。


「ハルシエル嬢、ここにいたのか。ちょうどきみを誘いに――」


 背後から聞こえたクレイユの声が、不意に途切れる。


「クレイユ君?」


 振り向いた俺の目が捉えたのは、血の気の引いた顔で銀縁眼鏡の奥の蒼い瞳をみはり、こちらを見つめるクレイユの姿だった。


「叔父さ――」


 かすれた声で呟きを洩らしたクレイユが、不意に身をひるがえしたかと思うと、脱兎の如く走り出す。


「クレイユ!」


 思わずといった様子で叫んだシャルディンさんが、追いかけようとし――。


 数歩進んだところで、糸が切れた操り人形のように膝をついた。


「ちょっ!? シャルディンさんっ!?」

 あわてて駆け寄ろうとして、俺は初めて気づく。


 シャルディンさんの顔立ちが、親子かと思うほどクレイユとよく似ているということに。


「急にどうしたんですかっ!? クレイユ君とシャルディンさんはいったい……っ!?」


 まばたきも忘れたようにクレイユが走り去った方向を呆然と見つめるシャルディンさんの肩に手をかけ、アリーシャさんを振り返る。


 突然のことに目を瞠っていたアリーシャさんが、痛みをこらえるようにかすれた声で囁いた。


「あの子が、シャルディンがずっと会いたがっていたおいなのね……。でも……」


「わたしはもう、カルミエの名前を捨てたんだ。いまさら会いたいと願っても、クレイユが許してくれるわけがない……。わかっていたはずなのに……っ!」


 シャルディンさんが慟哭どうこくするような声で言い、両手で顔を覆う。


 えぇぇっ!? クレイユとシャルディンさんが親戚っ!?


 いや、確かに顔は似てるけど……っ! でも、親戚なのになんで会った瞬間、クレイユが逃げ出すんだよっ!? どう考えたって尋常じゃないだろっ!?


「本当は、もう関わってはいけないとわかっていたんだ……。だが、もう一度ひと目だけでも会いたいと願ってしまったばっかりに……っ!」


 両手で顔を覆ったまま、シャルディンさんが懺悔ざんげするように告げる。


 聞いている俺の胸まで締めつけられるような哀しみに満ちた声。


 シャルディンさんの姿を見た途端、身を翻して逃げるなんて、よほどのことだ。いったい、クレイユとシャルディンさんの間に何があったのかはわからない。


 けど……。


 俺の心の中に、いいようのないもやもやした気持ちが湧き上がる。


 叔父と甥なのに、顔を合わせることすらできないなんて、そんなのおかしすぎるっ!


 頭が固くて融通がきかないところがあるけど、クレイユが悪い奴じゃないことも、シャルディンさんが立派な紳士だということも知っている。


 よくわからないけど、きっと二人の間に何か誤解があるに違いない。


「ちょっと待っていてくださいっ! 私がクレイユを連れてきますから!」


 どうすればいいかなんてわからない。二人を引き合わせたら何か変わるのかどうかさえ。


 けど、このまま放ってことだけはできなくて――。


 俺はシャルディンさんに告げると、人混みの向こうに消えたクレイユを追って駆け出した。


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