313 お渡ししたいものがあるんです!


「あっ! シャルディンさん! こんにちは! よかったぁ、会えて……っ!」


 日曜日の午後、パン屋『コロンヌ』でアルバイト中の俺は、店に入ってきたシャルディンさんの姿に、レジカウンターで喜びの声を上げた。


「あの、渡したいものがあるんです! シャルディンさんがパンを選ばれてる間に取ってきますから! ちょっとだけ待ってください!」


 幸い今はシャルディンさんの他にお客さんはいない。


 俺は厨房のブランさんにひとこと断りを入れると、バックヤードに置いてある鞄から、大切にしまっておいた文化祭の招待状を取ってきた。


 この招待状は、『白鳥の湖』台本を書いてもらうお礼に、シャルディンさんに頼まれていたものだ。


 本当は、とっくに招待状はできていたんだけど、俺がシャルディンさんの住所を知らないせいで、送ることができてなかったんだよな……。


 文化祭の準備が始まって以降は、コロンヌのバイトも土日だけに減らしてもらってたし……。


 シャルディンさんと会える機会が、ほんとなくて、この土日で会えなかったら、最悪、ブランさんに頼んで渡してもらうことも考えてたんだよな。もう次の週末には文化祭本番が迫ってるし。


 会うことができて本当によかったぜ。


「これ、文化祭の招待状です! お渡しするのが遅くなって、本当にすみませんでした」


 パンを選び終わってレジの前で待ってくれていたシャルディンさんに、深々と頭を撫でて詫びながら、招待状を差し出す。


「こちらこそ、手間をかけさせてしまって申し訳なかったね。ありがとう、いただくよ」


 招待状を受け取ったシャルディンが嬉しそうに声を弾ませる。


 いつも紳士で穏やかなシャルディンさんが、手放しで喜ぶ姿は珍しい。よっぽど文化祭が気になってたんだろうか。


「ちゃんと二枚入っていると思いますけれど、念のため確認しておいてくださいね」

 レジ打ちをしながらシャルディンさんに頼む。


「ああ、大丈夫。ちゃんと二枚入っているよ」


 封筒の中身を確認したシャルディンさんが、丁寧に封筒を鞄に入れ、代わりに財布を取り出す。


「前に、黒鳥オディール演技で悩んでいたけれど……。劇の練習は順調に進んでいるのかい?」


「はいっ! アリーシャさんとシャルディンさんのおかげです! その節は、相談に乗っていただいて、本当にありがとうございました!」


 もう一度、深々と頭を下げる。


「いや、わたしとアリーシャは少しアドバイスをしただけだよ。順調に進んでいるのだとしたら、ハルシエルちゃんの努力のおかげに他ならないよ。頑張っているんだね」


 お世辞なんかじゃなく、努力を認めてくれるシャルディンさんの言葉に、じん、と胸の奥が熱くなる。


「ありがとうございます……っ! でも、頑張れているのだとしたら、シャルディンさんが素晴らしい脚本を書いてくださったおかげです! シャルディンさんの素敵な脚本を、舞台を見に来てくれるお客さんに一番いい形で見せたいって思えるから、練習を頑張れるんです!」


 おつりとレシートをを渡しながら、にっこりとシャルディンさんに微笑みかける。


「生徒会の面々も、本当に素晴らしい脚本だって口をそろえて褒めていて……っ! だからみんな、練習にも熱が入るんだと思います! 生徒会メンバーの中には、気難しい性格の人もいるんですけれど……。そのクレイユ君だって、素晴らしいって褒めてたくらいなんですから!」


「えっ!? そうなのかい?」


 シャルディンさんが驚いたように蒼い目をみはる。


「そうか……。気難しいクレイユにまで……」


 噛みしめるように呟いたシャルディンさんが、不意に口元を緩める。


「ふふっ、それは嬉しいことこの上ないね」


 嬉しくてたまらないと言いたげな笑みをこぼすシャルディンさんの声には、深い愛情がこもっていて……。


 さすが、脚本家……。きっとシャルディンさんにとっては、どんな作品にも思い入れがあるんだろうなぁ……。


 シャルディンさんが俺達に託してくれた『白鳥の湖』を、しっかり演じきらなくてはという思いが、自然とあふれてくる。


「シャルディンさんとアリーシャさんも、文化祭当日は『白鳥の湖』を観に来てくださるんですよね!?」


「ああ、もちろんだよ。正直な気持ちを言うと、早く文化祭の日にならないかと、アリーシャと毎日、そわそわしながら過ごしていてね」


 シャルディンさんが照れたように笑う。


 うぉぉっ! イケメン紳士の照れ顔って破壊力が高い……っ!


 姉貴も外見だけはイケオジだけど、あっちは中身は腐女子大魔王だからな……。笑顔を浮かべてても、脳内でどんな腐妄想を巡らせてるんだろうと背筋が寒くなるばっかりだし!


 その点、シャルディンさんは非の打ちどころのないイケメン紳士だもんなっ! 俺もいつかシャルディンさんみたいな紳士――になるのはハルシエルの身体じゃ無理だけど、こんなあふれる包容力でイゼリア嬢のことを癒やしてさしあげるんだ……っ!


「そんなに楽しみにしてくださっているなんて、とっても嬉しいです! 毎日、一生懸命練習しているんですよ! 当日は、練習の成果をお見せしますから、楽しみにしていてくださいね!」


「ああ。今から観るのが楽しみだよ」


 シャルディンさんが上品な笑みを浮かべる。


 ふふふふふ……っ! 期待してくださいっ、シャルディンさん! イゼリア嬢のオデット姫は、ほんっとにほんと――に! 素晴らしいですから!


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