282 眠気MAXな理由はもちろん……っ!


「ふぁ、ふあぁぁぁぁ~」


 朝、登校する生徒達に交じり聖エトワール学園の立派な玄関ホールに入ったところで、俺はこらえきれずに、口元に手を当てて大きなあくびをこぼした。


 ねっむ……っ! 登校したばっかりだけど、いますぐベッドにダイブしたいくらい眠いぜ……。


 原因はわかっている。


 夕べ、イゼリア嬢のお声を聞くという誘惑にどうしてもあらがえず、日が変わってもまだ、何度も巻き戻しをしては、眠気が限界を迎えるまで、『白鳥の湖』の録音テープを聞いていたからだ。


 いやでも最推しのイゼリア嬢のお声が録音されたテープがあったら聞くだろっ!? エンドレスリピート確定だろっ!?


 正直、授業なんて面倒くさいほど眠いけど、昨日、ロイウェルにもランウェルさんにも無理はしないと約束したばっかりだし、朝食の席では、こみあげてくるあくびを必死にみ殺していた。


 電車は混んでて座れなかったから立ってたけど、吊り革を持ったまま、寝落ちるかと思ったもんな……。もし座ってたら、即落ちして絶対寝過ごしてただろう。


 こうなったら、教室の自席で、授業が始まるまでの何分かだけでも、突っ伏して仮眠して……。


「くあぁぁぁ~」


 もう一度、さっきよりも大きなあくびをしたところで。


「おはよう、ハルシエル嬢。……どうかしたのか?」


「んぁ?」


 クレイユのいぶかしげな声に、俺はぼんやりとした声をこぼしながら、そちらを振り返った。


 途端、クレイユの怜悧れいりな面輪が驚愕に強張る。


「どうした!? 何があったんだ!? 元気のない足取りだと思ったが、涙まで浮かべて……っ!」


「へっ!?」


 つかつかと歩み寄ってきたクレイユが、俺の両肩を強く掴む。


 いやっ、違うからっ! とぼとぼ歩いてたのは眠いからであって、涙はあくびした拍子ににじんだだけだからっ!


 っていうか近いっ! 近い近い近いっ!

 そんな間近から顔をのぞきこんでくんな――っ!


 息が降れそうな近距離で見つめられ、じわりと頬が熱を持つ。と、クレイユが蒼い瞳を見開いた。


「もしや、熱が――っ!?」


 言うが早いが、整った面輪が近づき、こつんと額にクレイユの額が押し当てられる。


 ぎゃ――っ! やめろっ! 何すんだよっ!? 熱なんかねぇ――っ!


 玄関ホールにいた生徒達から、「きゃ――っ♡」と黄色い叫びが巻き起こるが、それどころじゃねぇっ!


「ち、違うからっ! は、放してちょうだい!」


 ぐいっと力任せにクレイユを押し返す。


 が、文系とはいえ少年のクレイユと華奢きゃしゃなハルシエルでは、力の差は明確だ。押したほうの俺の身体がぐらりとかしぎかける。


「おいっ!?」


 支えようとしたのだろう。あわてた声を上げたクレイユが腕を伸ばして俺を抱き寄せる。ふわりと爽やかなクールなクレイユのコロンの香りが揺蕩たゆたった。


 ぱくんっ! と心臓が大きく跳ねる。


 うぉ――っ! 放せぇ――っ! 支えなくていいから! むしろ放り出してくれていいからっ!


 そう思うのに、とっさに言葉が出てこない。


「あの……っ!」

 それでも、必死でクレイユの腕の中から逃げようとすると。


 不意に、クレイユが腕をほどいた。かと思うと、突然の浮遊感が俺を襲う。


「きゃ――っ♡」


 ひときわ大きく響いた女生徒たちの黄色い歓声が俺の鼓膜を打ち抜く。


 ……って。えぇっ!? えぇぇぇぇっ!?

 お、俺、クレイユにお姫様抱っこされてる――っ!?


 寝不足のぼんやりした頭が、衝撃でぐわんと揺れる。


「何かあってからでは大変だ。すぐに保健室に連れて――」


「お、下ろして! 下ろしてちょうだいっ!」


「おいっ!?」

 足をばたつかせて抵抗する俺に、クレイユがあわてた声を上げる。


「暴れたら危ないだろう!? 落ちたらどうする気だ!?」


 落としてくれていいからっ! そのつもりで暴れてるからっ!


 こんな生徒達がいっぱいの玄関ホールで抱き上げられるって、どんな罰ゲームだよっ! 下ろせぇ――っ!


 だが、「落ちたらどうする気だ!?」という言葉とは裏腹に、俺を抱き上げるクレイユの腕は力強い。


 夏休みの旅行の時にも、靴擦れした俺をほんのいっとき抱き上げたけど……。確かに、あの時も危なげなかった。


 海岸沿いから別荘まで、クレイユにおんぶされて帰った時のことが反射的に脳裏によみがえり、ぱくんと心臓が跳ねる。


 っていやいやいやっ! 今はそれどころじゃないからっ!


 一刻も早く下ろしてもらうのが最優先事項だからっ!


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