281 聞いてるだけで昇天するぅ~っ!


 俺はいそいそとベッドのそばの床に置いたカセットデッキに歩み寄る。


 よしよし、保存用テープへのダビングはもう終わってるみたいだな。


 きっちりと床に正座し、きゅるるるる、とテープを最初まで巻き戻す。


 最初はジークフリート王子のシーンだから、少しだけ早送りして……。

 この辺りかな、というところでカチリと再生ボタンを押す。その途端。


「あなた様は、どなたですか……?」


 カセットデッキからイゼリア嬢の美声が流れ出し、俺は「きゃ~~っ!」と身もだえしながら隣のベッドに身を投げ出した。


 いいっ! 滅茶苦茶いいっ!

 いまだけはイゼリア嬢のお声を独り占めっ!


 自室だったら、どんなに萌えちらかしても、誰にも見咎みとがめられないもんなっ!


「くぅぅぅぅ~~~っ!」


 俺がイゼリア嬢のお声に身体をくねらせて萌えまくっている間にも、テープはどんどん進んでいく。


 ここは森で迷ったジークフリート王子が湖を見つけ、初めてオデット姫と出会うシーンだ。


 凛としつつも、どこか緊張をにじませたイゼリア嬢の澄んだお声が……っ! もう神っ! 天上の調べっ! 聞いてるだけで昇天するぅ~~~っ!


 ベッドに顔をうずめて両手でばんばん布団を叩くだけでは、あふれてくる感情を抑えきれず、枕を両手に抱えてごろんごろん寝返りを打つ。


 ランウェルさん、マルティナさん! カセットデッキを買ってくれて、本当にありがとう……っ!


 おかげで俺、いま天国を味わえてますっ!


 っていうか……。


 枕に顔をうずめたまま、ふと考える。


 こうして、視界がふさがれた状態で、イゼリア嬢のお声が俺の部屋の中から聞こえてくるのって……。


 なんかイゼリア嬢を俺の部屋へご招待したみたいじゃね?


 きゃ――っ! そんなの妄想しただけで狂喜乱舞しちゃうぜ――っ! イゼリア嬢が俺のお部屋に来てくださったりなんかしたら……っ!


 この部屋中にイゼリア嬢成分が染みこんで、ここが地上の天国に変わるってこと!? いや、イゼリア嬢のお声が室内に流れてるってだけで、もうすでに天国だけどっ!?


 心の中で叫びながらベッドの上でごろんごろんしていると、不意に遠慮がちに部屋のドアを叩かれた。聞こえてきたのはランウェルさんの声だ。


「ハルシエル、何かあったのかい?」


「……へ?」


 し、しまったぁ――っ! 暴れすぎて、一階にまで音が響いてたかも!?


 俺はがばりと立ち上がると、カセットデッキの一時停止ボタンをおして、あわててドアへ駆け寄る。


「ご、ごめんなさいっ! えーと、その……っ。そ、そう! 劇でダンスのシーンがあるの! それで、ステップの練習をしてたら予想以上に響いちゃったみたいで……。もう夜なのに、ごめんなさい……」


 ドアを開け、ランウェルさんが口を開くより早く、先手必勝で言い訳を口にする。


「そうか、劇の練習を……。悩みも晴れたようだし、熱心に頑張っているんだね」


 俺の言葉を真に受けたランウェルさんが穏やかな笑みを浮かべる。


「はいっ! それもこれも、カセットデッキを買ってくもらえたおかげで……っ! 本当に、ありがとう!」


 深々と頭を下げる。ランウェルさんとマルティナさんにはもう、ほんと頭が上がりませんっ!


「練習熱心なのはいいが、無理はしすぎないようにな。おやすみ、ハルシエル」


「はいっ、おやすみなさい……」


 ドアを閉め、いそいそとカセットデッキの前に戻る。


 うううっ、失敗したぜ……。つい興奮しすぎてランウェルさんに心配かけちゃった……。自室といえど、もうちょっと周りに気を遣わないとなっ!


 ベッドに乗るのは危険っぽいので、あふれ出る感情をぎゅっと抱きしめるために、枕だけ腕に抱える。


 音量もちょっと落としておいたほうがいいのかもしれない。


 正座し、再生ボタンを押した途端、イゼリア嬢のお声がふたたび流れ出す。


 はぅあ~~~っ! やっぱり小さいボリュームでも、イゼリア嬢のお声は天上の調べです~~っ!


 ……いや、ちょっと待てよ。


 枕を抱きしめ、身もだえしていた俺の頭に、きゅぴーん! と天啓が下りてくる。


 これ、布団の中にカセットデッキを持ち込んで、再生したら、イゼリア嬢と同衾どうきん気分が味わえる……っ!?


 いやそんなっ! ダメだってば! 俺とイゼリア嬢は清く正しく美しい友情を築くんだから――っ!


 そんなそんなっ、一緒のベッドでなんて……っ!


 ぶんぶんぶんっ、と枕を抱えて首を横に振る。


 ……いやでも、女の子同士ならアリ!? アリになっちゃうっ!?


 脳内で欲望と理性が戦っている間にもテープはどんどんと進み、オデット姫とジークフリート王子のシーンが終わってしまう。


 次いで始まるのは、ジークフリート王子と、友人役のディオスやエキューとのシーンだ。


 ええいっ! イケメンどもの演技なんざどうでもいいんだよっ!


 俺は即座に停止ボタンを押すと、次のイゼリア嬢が出てくるシーンを求めて、テープを早送りする。


 どうにか、うまくイゼリア嬢の部分だけダビングできないものだろうか……?


 このままじゃ、ベッドにカセットデッキを持ち込んでも、イゼリア嬢と一緒にもれなくイケメンどもの声も聞く羽目になるもんな!


 そんなの……。どんな悪夢を見るかわかったもんじゃねえっ!


 イケメンどもと同衾なんて……っ! 考えるだけで全身に鳥肌が立つぜっ!


 カセットデッキを持ち込むのは、やっぱやめとこう……。


 ふたたび再生ボタンを押すと、流れ出してきたのは、オディール達悪役サイドのシーンだ。


 ええいっ、イゼリア嬢が出てこないんなら、このシーンも早送り!


 いや、演技の練習のために買ってもらったんだから、アリーシャさんのアドバイス通り、オディール部分をしっかり聞いて、客観的に自分の演技を振り返るべきなんだろうけど……。


 初日の今日くらいは、イゼリア嬢のお声にうっとりひたっててもかまわないよなっ!?


 うんっ! 明日以降も頑張る心の活力を得るためにもっ!


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る