220 ネグリジェ姿の大天使!


「……別に、もう怒ってはおりませんわ」


「えっ!?」


 弾かれたように身体を起こした俺の目に映ったのは、仕方がなさそうにもう一度吐息するイゼリア嬢の姿だった。


「あなたも故意で怪我をしたわけではありませんし。もちろん、お散歩が切り上げになったことは残念でしたけれど……。いまさら言っても詮無いことですもの」


 淡々と告げたイゼリア嬢のアイスブルーの瞳が、ついと俺に向けられる。

 たったそれだけで、どきりと心臓がとどろいた。


「かかとの怪我は、もうよろしいの?」


「は、はい……っ! 今のイゼリア嬢のお言葉で、すっかり治りました!」


 イゼリア嬢に心配していただけた喜びにうち震えながら大きく頷くと、アイスブルーの目がすがめられた。


「下手な冗談はやめてくださる? そんなにすぐに治るわけがないでしょう? それとも、実は嘘だったとでもいうのかしら?」


「とんでもありません!」

 誤解されてはたまらないと、激しく首を横に振る。


「ええと、そのっ。ほらっ、病も気からといいますでしょう!? イゼリア嬢にご心配いただいた嬉しさで、痛みも忘れたという意味で……っ!」


 わたわたと説明すると、不意にイゼリア嬢が小さく吹き出した。


「オルレーヌさんって……。よく変なことを言うわね。「病は気から」って……。怪我と病気は別物でしょう?」


 くすくすと、こらえきれないと言わんばかりに、イゼリア嬢が鈴を転がすような笑い声をこぼす。


 ふだんのクールで、隙を見せないよう肩肘かたひじを張った態度とは違う、年相応の少女らしいあどけない笑顔。


 初めて見る柔らかな笑みに、「ずきゅ――んっ!」と心臓が撃ち抜かれる。


 何……っ!? この超ド級の可愛らしい笑顔……っ!


 いつものクールでツンとした微笑みも麗しくて神々しいばかりだけど、こんな素直で無邪気な笑顔もされるなんて……っ!


 ま、まぶしい……っ! もう夜なのに、昇りくる朝日よりもなおまぶしい……っ!


 俺は今、奇跡の瞬間に立ち会っている……っ!


 もしかして、もっとイゼリア嬢と親しくなって心を許してもらえるようになったら、こんな笑顔を毎日のように向けてもらえるようになったりするのか!?


 ぜひイゼリア嬢とそんな関係に……っ! 自然な笑顔を見せてもらえる間柄になりたいっ!


「あのっ、イゼリア嬢――」

「きゃっ」


 話しかけようとした瞬間、小さな悲鳴を上げたイゼリア嬢が、突然、ばたんとドアを閉める。


 同時に、背後から能天気なヴェリアスの声が聞こえてきた。


「あっれ~? ハルちゃんってば、こんな時間にどーしたの?」


 振り返った先にいたのは、ちょうど階段を下りてくるイケメンどもだった。


 イゼリア嬢が急にドアを閉めたのは、ネグリジェ姿を男子に見られるのが恥ずかしいからだろう。


 うんっ! 確かに輝くばかりのイゼリア嬢のネグリジェ姿をイケメンどもに見せるなんて、言語道断だ!


 イゼリア嬢のネグリジェ姿は、俺だけの思い出の一ページにするんだから!


 けど、あまりにもタイミングが悪すぎだろ、お前ら――っ!


 極レアなネグリジェ姿と、無邪気な笑顔をもっともっと目に焼きつけたかったのに……っ!


「どうしたっていうのは、こっちの台詞ですよ! いったい、何しに現れたんですか!?」


 怒りを隠さずイケメンどもを睨みつけると、


「え? オレ達?」

 と、ヴェリアスが間の抜けた声を上げた。代わって答えたのはリオンハルトだ。


「昼間はよく動いたし、夕食もしっかり食べたけれど、散歩にも行ったからね。どうにも空腹で眠れそうになくて……」


 それはわかる! 元男子高校生としてよくわかる! なんでか食べても食べても腹が減るんだよな……。


 けど、よりによって下りてくるのがなんで今なんだよっ!


「それで、キッチンに行けば、何か夜食にできるものがないかと思っておりてきたんだが……」


 ディオスがなぜか視線を明後日の方向に向けながら、リオンハルトの後を継ぐ。


 よく見ればリオンハルトも、その後ろにいるクレイユとエキューも、なぜか挙動不審な様子で視線をさまよわせていた。


 唯一、いつもと変わらない――いや、いつも以上ににやけ顔のヴェリアスが、そわそわとした様子で口を開く。


「ねーねー、ハルちゃん♪ どーしても気になるから、一コ確認しておきたいんだけど……。それって、もしかしてパジャマ?」


「……へ? そうですけど……」


 俺がいま着ているのは、ふだん家でも着ている半袖半ズボンのパジャマだ。ちゃんと洗濯もしてある。


 が、俺にとって重要なのはそこじゃない。

 アイスブルーの生地に、黒い水玉模様。つまり、ばっちりイゼリア嬢カラー!


 イゼリア嬢カラーのオア邪魔を着て、イゼリア嬢を思いながら眠る……。俺にとっては、この上ない安眠スタイルだ。


 あっさり答えた俺の返事に、なぜかイケメンどもが顔を赤らめてざわつく。


 そこでようやく、俺はイケメンどもの様子がおかしい理由に気がついた。


 可愛い悲鳴を上げてドアを閉めたイゼリア嬢と、挙動不審なイケメンどもが脳内で結びつく。


 そうか! 男が男にパジャマを見せたって、どうってことないと思ってたけど……。

 俺の外見だけはハルシエルだもんな!


 ヴェリアスがにやけながら口を開く。


「ハルちゃんってば意外と大胆だよね~♪ それってもしかして、オレへのお誘い? 一人寝が寂しいっていうんなら、オレがいくらでも添い――」


「ヴェリアス! なんてことを言うんだ!? 冗談にしても、口にしていいことと悪いことがあるだろう!?」


 ディオスが荒々しい声で、ヴェリアスの言葉をぶった切る。


「確かに、ハルシエルはその、無防備すぎると思うが……」


 赤い顔でもごもごと呟くディオスの熱が移ったかのように、俺も顔もじわじわと熱を持ち出す。


 おいディオス! 反応すんなよっ! そんな風に言われたら、俺までなんだか恥ずかしくなってくるだろ――っ!?


 違うから! これは、たまたまイゼリア嬢に謝りに行くのが寝る寸前になったであって、別にイケメンどもにハルシエルのパジャマ姿をお披露目する気なんてまったく……っ!


 や、やばい! なんかどんどん恥ずかしくなってきた!


「こ、これは、まさかみなさんが下りてくるなんて思ってもみなかったからで……っ」


 今さら遅い気もするが、身体を隠すように両腕を胸の前にやる。


「と、とにかく、私はもう寝ます! おやすみなさい……っ!」


 イケメンどもの視線から逃げる等に、俺は背を向けて駆け出すと、大急ぎで自分の部屋へと飛び込んだ。


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