205 ごめんね。僕がふがいないせいで……。


「ご、ごめんっ、エキュー君!」


 あわてて身を起こそうとするが、身体にしっかり回されたエキューの腕が緩まない。


 頬がぺたりとくっついているのがエキューの素肌だと理解した瞬間、ぼんっと顔が沸騰した。


「あ、あのっ、エキュー君……っ!」


「大丈夫? ハルシエルちゃん。どこも打ったりしていない?」


 早く放してもらえないかと、うわずった声を上げると、心配そうにエキューに問われた。


「う、うん! エキュー君がかばってくれたから、どこも何とも……」


 頷こうとして、エキューの素肌に頬ずりするようなものだと気づき、動きを止める。


「そう? よかったぁ……」


 心底ほっとしたような声でエキューが呟き、ようやく腕がほどかれた瞬間。


「ひゃっ!?」

 自分で身を起こすより早く、ぐいと肩を掴んで引き起こされる。


「も~っ! ハルちゃんったら、素直にオレの手を取ればよかったのに。オレだったら、しっかり抱きしめて、転んだりしなかったのにさ♪」


 強引に俺を引き起こして座らせたヴェリアスが、俺の顔をのぞきこむ。


 間抜けな俺に呆れているんだろう。眼光がやけに鋭い。紅の瞳が底光りしているようだ。


 一瞬、ひるみそうになった心を振り払うように、ぶんぶんとかぶりを振る。


「ち、違いますよ! 転んだのは私がどじなせいで、エキュー君のせいじゃありませんっ! エキュー君はちゃんと私を助けてくれたんですから、そんな言い方はしないでください!」


 俺がうっかりしていたから転んだっていうのに、まるでそれがエキューのせいだと言いたげな台詞には、さすがに頷けない。


「ふぅん。そーゆー風に言うワケ?」


 ヴェリアスの声が不穏な響きを帯びる。かと思うと。


「ひゃあっ!?」

 突然、ヴェリアスに横抱きに抱き上げられる。


「な、何するんですか!? 下ろしてくださいっ!」


「ちょっとハルちゃん! 暴れたら危ないよ! 足元が不安定なんだからさ」


 告げた瞬間、ヴェリアスの身体が「おっとっと」とかしぐ。

 俺は思わず目をつむって身体を固くした。ヴェリアスの腕がぎゅっと俺を抱き寄せる。が。


「な~んてね♪」


 おどけた声におそるおそる目を上げると、至近距離でヴェリアスが紅の瞳を悪戯っぽくきらめかせていた。


「冗談だよ、じょーだん♪ オレがハルちゃんを落とすワケないじゃん♪」


「っ! 下ろしてください! 落ちたほうがマシです!」


「え――っ! それはヒドくない? ハルちゃんが転んだりしないようにって気を遣ったのにさ♪」


「これのどこが気遣いですか!? こんなっ、こんな……っ!」


 恥ずかしさのあまり、声が喉で詰まって出てこない。

 なんでもいいから今すぐ下ろせ――っ!


「ヴェリアス! ハルシエル嬢が困っているだろう!? 二人そろって転んだらどうするつもりだ!?」


 尖った声でヴェリアスを注意したリオンハルトが、いつになく厳しい表情で近づいてくる。


「ちぇーっ。だから転んだりしないって言ってるじゃん」


 唇をとがらせながらも、ヴェリアスが渋々といった様子で下ろしてくれる。

 足が床についた途端、俺はささっとヴェリアスから距離を取った。


 って姉貴! 満面の笑みでサムズアップしてんじゃねぇよっ! 好きで転んだんじゃね――っ!


「ハルシエル! 大丈夫だったか!?」


「すまない。滑るから気をつけるようにと事前に注意しておくべきだったな」


 水上ハウスに上がったディオスとクレイユが、あわてた足取りで心配そうに近づいてくる。


 二人の後ろには、しょぼんと肩を落としたエキューもついてきていた。


「ごめんね、ハルシエルちゃん。ちゃんと受け止めなきゃいけなかったのに、僕がふがいないせいで……」


「違うわ! お願いだから、そんなことを言わないで」


 ディオスとクレイユを押しのけるようにして、うなだれるエキューの正面に立つ。


「注意不足で足を滑らせた私が悪かったんだもの。エキュー君はまったく悪くないわ! 謝らないといけないのは、私のほうなのに……っ」


 悄然しょうぜんとうつむいているエキューの顔をのぞきこみ、視線を合わせる。


 悔しそうに唇を噛みしめたエキューの表情に、俺の胸まで痛くなる。なんとかしてエキューを元気づけられないかと、両手でぎゅっとエキューの右手を握り。


「あのね。言うのが遅くなってごめんなさい。助けてくれて、ありがとう」


 碧い瞳を見つめ、にっこりと笑って告げると、エキューが驚いたように目を見開いた。


「ハルシエルちゃん……」


「助けてもらって嬉しかったから……。だから、そんな顔をしないで」


 ね? と小首をかしげると、なぜかエキューの面輪が赤く染まった。かと思うと、こくこくこくっ、と首が千切れんばかりに何度も頷く。


「ありがとう、ハルシエルちゃん! 僕、もっと鍛えて、次こそハルシエルちゃんをしっかり抱きとめられるように頑張るね!」


 エキューが空いていたもう片方の手で、ぎゅっと俺の手を握って力強く宣言する。


 えっ、いや……。俺としては、イケメンに抱きしめられる事態なんてもう二度と御免なんだけど……。


 だが、せっかく復活したエキューに水を差すのも申し訳なくて、俺はあいまいに笑って頷いた。


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