150 先輩を踏み台にするなんてできませんっ!


「うう……」


 俺はエクレール号を見上げて思わずうめいた。


 ディオスとのティータイムはなごやかに終わり、「そろそろ戻ろうか」とふたたびエクレール号に乗ることになったのだが……。


 もう一度、ディオスに抱き上げられてなるものかと、「自分で乗ります!」と宣言したのはいいものの……。


(いやうん、どう考えても物理的に届かないよな、これ……)


 サラブレッドの中でも比較的大きいほうだというエクレール号の背中の高さは、身長一六〇センチくらいのハルシエルの身長とほぼ変わらない。


 もし今日の服装がワンピースじゃなかったとしても、エクレール号がじっとしてくれる保証はないし、あぶみに足をかけてよじ登るのは、ハルシエルの身体能力では不可能だ。


 エクレール号の前で困り果てていると、ディオスがためらいがちに声をかけてきた。


「すまない。きみのために踏み台を用意しておくべきだったな。俺でよければ台になるから、遠慮せずに乗ってくれ」


 あろうことか、ディオスが地面に四つんいになろうとする。俺は泡を食って押し留めた。


「いえいえいえっ!お願いですからやめてください! ディオス先輩を踏み台にするなんて……! そんなこと、天地がひっくり返ってもできません!」


 先輩をひざまずかせて踏むって……どこの女王様だよ!? そっちのほうが心臓に悪いよ!


「ディオス先輩、軽やかに乗ってらしたので、私でも乗れそうな気になってたんですけど、すみません、やっぱり高すぎて無理みたいです」


 正直に打ち明けると、ディオスが柔らかく微笑んだ。


「確かに見た時には簡単そうに見えても、実際にしようとすると意外と難しいことも多いからな」


 気を悪くした様子もなくディオスが、「じゃあ…」と、壊れ物にでも触れるように俺を抱き上げる。

 ふわりとディオスのさわやかなコロンの香りが鼻をくすぐった。


 うううっ! 男に抱っこされるなんて、やっぱりすごい屈辱だぜ……っ!


 そっと俺を鞍の上におろしたディオスが、次いで自分も身軽に鞍にまたがる。


 くそーっ! 俺もイメージではこんな感じで華麗にまたがるはずだったのに……っ! って、ワンピースなのにまたがるのはマズイか。


「進ませても構わないか?」

 紳士なディオスが手綱を握って確認してくる。


「あっ、はい! 大丈夫です」


 こくんと俺が頷くと、ディオスは手綱を操ってエクレール号をゆっくりと進ませ始めた。ぶるる、と軽くいななき、たてがみを揺らしたエクレール号が、かっぽかっぽと歩き出す。


「結局ガトーショコラは一つしか食べていなかったが、良かったのか?」


「はい。小さめのケーキとはいえ、お昼もいっぱいただいたのであまり入らなくて……」


 気遣わしげに訪ねたディオスに、俺はこくこくと頷いた。


 結局、俺がおかわりで二つ目に選んだのは、あっさりしていて食べやすそうだったレモンのシフォンケーキだった。レモンのさわやかな風味がきいたシフォンケーキは雲かと思うほどふわふわで、ガトーショコラでかなりお腹がいっぱいになっていた俺でも苦もなく食べられた。


「でも、先輩は私に気を使って遠慮なさったんじゃないですか……?」


 二つしか食べなかったおれに気を遣ったのか、ディオスが食べたのは巨峰のタルトとブルーベリーレアチーズケーキと、夏蜜柑のゼリーの三つだけだった。


 スイーツ好きだと打ち明けて気が楽になったのか、笑顔で嬉しそうにケーキを食べるディオスは、見ているこちらまでほっこりするような幸せそうな笑顔を浮かべていた。


 でも、ディオスの体格なら、食べようと思えば十個くらい食べられたんじゃなかろうか。


 食べている時にも、

「ディオス先輩が用意されたケーキなんですから、私に気を遣わずにお好きなだけ食べてくださいね!」

 と伝えたのだが、ディオスは、


「いや……何だかもう、胸の方がいっぱいで……」

 と言って食べなかったのだ。


「でも、あんなにケーキが余ってしまって……」


 二人でおかわりした後も、ワゴンの上には十個以上のケーキが残っていた。


 あれ、どうするんだろうか、と貧乏人の俺としては気になって仕方がない。『残りはスタッフが美味しく頂きました』って感じでシノさん達が食べるんだろうか……? それとも、ディオスが後で食べるとか?


 俺の呟きに、ディオスがうっかりしていた、言わんばかりに声をあげる。


「すまない。君と一緒にいる時間を味わうのに夢中になりすぎて確認するのを忘れていた。その、君が迷惑でないと言ってくれるのなら、あのケーキを手土産に持って帰ってもらえたらと考えているんだが……」


「ええっ!? いいんですか!?」


 思いがけない提案に、思わず弾んだ声が出る。


 ワゴンにはガトーショコラも残っていたハズ……! ということは、もう一度、イゼリア嬢お気に入りのガトーショコラを食べられる!? やったーっ!


「嬉しいです! ありがとうございます! 弟のロイウェルも甘い物が好きで……。家族のみんなも喜びます!」


「喜んでくれて嬉しいよ。たくさんのケーキを持って帰るのは大変だろう? シノさんが届けると申し出てくれているから、その点は安心してくれ」


「それは助かります。せっかくですからお言葉に甘えますね」


 確かにクリームたっぷりの生ケーキをを崩さずに電車で持って帰るのは難しいからな……。シノさんには面倒をかけることになるけど、ここは甘えさせてもらおう。


 高級菓子店のケーキなんて、ワイウェルもマーサさんもみんな喜ぶだろうなぁ~。


「そうか、ハルシエルには弟がいるのか?」

 ディオスが少し意外そうな声をあげる。


「何となく、上に兄か姉がいそうな雰囲気だったんだが……」


「そうですか? これでも私、一番上のお姉ちゃんなんですよ! まあ、弟はロイウェル一人だけですけど……」


 もしかしたら、藤川陽として、十八年間あの姉貴に虐げられてきたせいで、弟気質みたいなものがしみついてるんだろうか……。


「ディオス先輩はご兄弟はいらっしゃるんですか?」


 何となく一番上のお兄ちゃんぽい感じがするけど……。

 俺の質問に、ディオスはゆるりと首を横に振る。


「俺は一人息子なんだ。小さい頃は弟か妹が欲しいと思っていたんだが……」


「そうなんですか?面倒見が良いので弟さんがいらっしゃるのかと思っていました」


 ディオスの男子人気はすごいからな……男らしいし、面倒見が良くて頼りになるし、運動神経もいいし……。


 運動部の男子生徒は、ほとんどがディオスに憧れているんじゃなかろうか。もしくは、弟っぽいエキューを可愛がっているか。


 ディオスが男でも憧れるイケメンというのは、俺も認める。


「ディオス先輩が頼りになるのは、そのせいかもしれませんね! 弟さんや妹さんがいなくても、お兄ちゃん気質というか……」


「そうだろうか? ちゃんと頼りになる先輩としてふるまえていたらいいんだが……」


 ディオスが自信なさげな表情で呟く。


 ディオスって、意外と謙虚というか、自己評価が低いというか……。周りが王子様オーラ全開のリオンハルトと、何でも要領よくこなすヴェリアスの二人だと、自信が持ちにくいんだろうか?


 ディオス自身も、十二分にイケメンでいい奴なのに、もったいない。


「もちろんですよ! 私、生徒会のメンバーの中で、一番頼りになるのはディオス先輩だと思ってますから! あ、当然、イゼリア嬢は別ですけれど!」


 イゼリア嬢は俺の中で燦然さんぜんと輝く特別枠だからな! 他の誰とも比べることなんてできないっ!


「そうか! きみにそう言ってもらえるのは……。誰に言われるより、嬉しいものだな」


 ディオスが精悍せいかんな面輪を輝かせる。


 いや、笑顔なのはいいけど……。なんで、うっすら顔が赤いんだよっ!? 変なことは何も言ってないだろ――っ!

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