139 もう少し、二人でゆっくりおしゃべりしたいな


「おいしかったぁ~っ! ごちそうさまでした。エキュー君、本当にありがとう!」


 メインの肉料理の後、デザートのピンクグレープフルーツのソルベで口の中をすっきりさせた俺は、改めてエキューに礼を言った。


 本当はちゃんと頭を下げたいのだが……。あいにく、今の俺は、ろくに動くこともできない。


「苦しい~っ。おいしくて、つい胃の限界を超えて食べちゃった……」


 俺は行儀悪く椅子の背にもたれる。下手に動くと、限界ぎりぎりまで詰め込んだ肉が逆流してきそう……。


 体感的には、腹回りが二倍になった気分だ。エキューに頼まれた通り、今日はワンピースを着てきてほんと正解だったなっ! スカートだったら、途中でホックを緩めなきゃいけないところだったけど、さすがに人前でそんなことはできないし……。


 ひとつだけ後悔があるとしたら、結局、一回しか、おかわりができなかったことだ。ハルシエルの少食さを、これほど悔しく感じたことはない。


 ああっ! 藤川陽の身体だったら、ステーキの十枚や二十枚、軽く食べられただろうに……っ!


 って、平々凡々な藤川陽だったら、そもそもごほうびデートなんかに誘われてないか。


 エキューとディオスが俺をごほうびデートの相手に指名したのは、あくまでも俺が『キラ☆恋』のヒロイン、ハルシエルだからだもんな。


「だ、大丈夫? ごめんね、僕がおかわりを勧めたせいで……。どうしよう? おなかをさすったほうがいい?」


 食後の紅茶を優雅に飲んでいたエキューが、カップを置いておろおろと尋ねてくる。俺は笑顔で緩く首を横に振った。


「ううん。そんなこと言わないで。おかわりをしたことに後悔なんてしてないから……っ! むしろ、おかわりを用意してくれて、本当にありがとう!」


 あのおいしさを思い出すだけで、幸せな気持ちになる。この先、一か月くらいは、ステーキのおいしさの記憶だけで、白米が食べられそうだぜ……っ!


「私、エキュー君とのこのランチ、ずっと大切な思い出にするわ!」


 きっとこの先、こんないいお肉を食べる機会なんてないだろうから、この幸福は、しっかり覚えておこう!


「ハルシエルちゃん……っ!」

 エキューが感動したように声を潤ませる。


「うんっ! 僕にとっても一生の思い出だよ! ハルシエルちゃんもそう思ってくれるなんて……っ。すごく、嬉しいよっ!」


 エキューがまばゆいほどのエンジェルスマイルを浮かべる。


 やっぱり、今日のお肉はエキューにとっても一生もののおいしさだったんだな……。エキューだって二皿目をおかわりしてたしな! 俺と違って、エキューのほうはまだおなかに余裕がありそうだけど。


 ううっ、やっぱり男子高校生の胃の容量は羨ましいぜ……っ!


「今日はハルシエルちゃんの幸せそうな笑顔をいっぱい見られて、ほんと幸せだなぁ」


 エキューがしみじみと呟く。

 とろけるような甘い笑顔は、見ているこちらまで幸せな気持ちになってくる。


「うん。私もいっぱい幸せ……」

 二人で顔を見合わせて微笑み合う。


 陽射しは明るく、レースのように繊細な木の葉の陰は濃い。梢を揺らして渡る風はさわやかで、かぐわしい紅茶の香りを運んでくる。

 テーブルの周りではうさぎ達が思い思いに遊んでいるし、天使みたいに可愛いエキューは上機嫌でにこにこ微笑んでるし、おなかはお肉で満ち足りてるし……。


 天国かな、ここ?


「どうする? まだもう少しだけ時間があるけど……。もうちょっと、うさぎ達と遊ぶ?」


 紅茶を飲みほしたエキューが尋ねる。俺はふるりとかぶりを振った。


「せっかくだけど……。エキュー君さえよかったら、もう少し、ここで二人でおしゃべりしていたいな」


 すまん、エキュー……。おなかがいっぱい過ぎて、今すぐ動くのは無理なんだ……。


 まだ紅茶も飲めてないから、もう少しだけ、ゆっくりさせてくれ……。


「もちろん、僕はそれでかまわないよ」

 エキューがにこやかに頷く。


「そういえば、夏休みの生徒会の旅行も楽しみだね」

「そうね! 本当に楽しみっ!」


 間髪入れずに大きく頷く。


 イゼリア嬢とのお泊り~っ!

 ああっ、リオンハルトのお茶会なんかすっ飛ばして、早く夏休み後半にならないかなぁ~!


 っていうか、ちょっと待て俺! イゼリア嬢とのお泊りだぞっ!? 新しいパジャマを買わなきゃっ!


「エキュー君は、今度、泊まらせていただく理事長の別荘には行ったことがあるの?」


 エキューから情報を得られないかと聞いてみる。


 もし、こじんまりした別荘だったりしたら……。俺とイゼリア嬢が同室の可能性だってありえるかも!?


 だが、俺の質問にエキューは首を横に振った。


「ううん。僕も行ったことはないんだ。今まではずっと、高原の別荘に招いていただいていたからね。海辺の別荘は、今年買われたそうだよ」


 姉貴め……っ! さては、イケメンどもが水着で戯れる姿を見たいがゆえに買いやがったな……っ!?


 自分の萌えのために、ぽんっととんでもない額の大金を出せるなんて……っ!


 なんてうらやましい身分なんだっ! その財力、少しでいいから分けてくれっ! そうしたら、イゼリア嬢に毎日プレゼントを贈れるのに……っ!


 って、俺のセンスじゃ「こんなものをわたくしに持たせようだなんて、なんの嫌がらせですの!? 結構ですわ!」って突き返されそうな気もするけど……。


「でも、聞いた話だと、別荘の前がプライベートビーチになっていて、すぐに泳げるらしいよ! 楽しみだねっ!」


「えっ、ほんとっ!? それは楽しみねっ!」


 ぃよっしゃあああぁぁぁ――――っ!


 ということは、イゼリア嬢の水着は確定だよなっ!? そうだよなっ!?

 姉貴っ! 超GJグッジョブ! よく買った! 買っていただいてありがとうございますっ!


「ハルシエルちゃんも楽しみなんだね! じゃあ、一緒に泳ごうねっ!」


「えっと、実は……。その、泳ぐのはあんまり得意じゃなくて……」


 エキューのまぶしい笑顔に、俺は情けない気持ちで視線を落とす。

 ハルシエルって、どうにも運動は得意じゃないみたいなんだよなぁ……。ダンスは得意なのに。


「そうなの? じゃあ、よければ僕が教えてあげるよ!」


「じゃあ、機会があったらよろしくね。でも、大丈夫だからあまり気を遣わないで。海なら、浜辺を散策したり、ぼうっと波を見ているだけでも、十分に楽しめると思うし……」


 俺にとっては、水着姿のイゼリア嬢を愛でられれば、正直、泳ぐのなんかどうだっていいんだけどなっ!


「そっかぁ。なんかハルシエルちゃんらしいね。浜辺で一緒に、綺麗な貝殻を探しても楽しそう」


 エキューがにこにこと微笑むが……。悪い、エキュー。できるだけイケメンどもには近づかないようにする予定なんだ。

 これ以上、フラグなんざ立ててたまるかっ!

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