114 わたくしもあなたにお話ししたいことがありますの


「イゼリア嬢! イゼリア嬢も生徒会室へ行かれるんですか?」


 放課後、階段の先にイゼリア嬢の可憐な後姿を見つけた俺は、声を弾ませて急いで階段を駆け上がった。


 イゼリア嬢が階段の踊り場のところで足を止め、俺が上がるのを待ってくれる。


 ああっ、立ち姿も麗しいっ! まるで天使が天から舞い降りたようだぜ……っ!


「よかった……。わたし、イゼリア嬢にお話したいことがあって……」


 本当は、昼休みにイゼリア嬢に会いに行きたかったのだが、クレイユにつかまってしまったせいで、時間が無くなったのだ。


(早くテスト期間が終わって、イゼリア嬢に『クレエ・アティーユ』でペンを作る話を伝えられるようにならないかなって、うずうずしてたんだよな……っ!)


 イゼリア嬢のテスト勉強の邪魔をしてはいけないと、期末テストが終わるまで我慢していたのだ。どんな反応を返してくれるかと想像するだけで、どきどきする。


(一緒に『クレエ・アティーユ』に行きませんか? って誘うんだ~っ♪ やっぱろ行くなら休日だよな? 私服姿のイゼリア嬢と二人でお出かけ、って……。それって、「デート」って言ってもいいじゃね!? うわっ、そう考えたらものっすごくドキドキしてきた……っ!)


 緊張のあまり、階段を踏み外さないように注意しながら踊り場まで上がると、俺よりほんの数センチ背の高いイゼリア嬢と、ぱちりと目が合った。


 それだけで、心臓がどきんと跳ねる。


 ああっ! アイスブルーの瞳が、今日も宝石よりもまばゆく輝いてます――っ! イゼリア嬢の瞳に、俺が映っていると思うだけで、天にも昇りそうなほど幸せなんですけどっ!


「オルレーヌさん。わたくしもあなたに確認したいことがありましたの」


 イゼリア嬢の言葉が、ただでさえ浮かれていた俺をさらに舞い上がらせる。


 ええっ!? イゼリア嬢から聞きたいこと!? そんなの言われたの初めてなんですけどっ! も、もしかして、ついに俺に興味を持ってくれた……っ!?


 はいは~い! イゼリア嬢に尋ねられたら、今回のテストの点も、俺の好物も、なんなら銀行口座の暗証番号だって答えちゃいますけどっ!?


 浮かれる俺に、イゼリア嬢は淡々と口を開く。


「今回のクレイユ様のテストの結果……。お昼休みに、あなたがクレイユ様と密談していたという噂も耳にしましたわ」


 イゼリア嬢のアイスブルーの瞳が、睨むように細まった。


「オルレーヌさん。あなた、一位を獲るために、何かよからぬことをクレイユ様になさったのではありませんの?」


 ……へ?


 イゼリア嬢の言葉に、舞い上がっていた気持ちが、針で突かれた風船さながら、ぺしゃんと一瞬でしぼむ。


「ご、誤解です! 私はクレイユ君にまったく何もしていません!」


 あわてて反論するが、アイスブルーの瞳は冷ややかに俺を睨みつけたままだ。


「信じられませんわ! 常に一位を獲られていたクレイユ様が、急に三位になられるなんて……っ! いったい、クレイユ様に何をなさったの!? 先週の勉強会の時だって、わたくしとエキュー様が合流する前に、クレイユ様と何か話してらしたでしょう!? あの時にクレイユ様に何かよからぬことをしたに違いありませんわ! 正直にお言いなさい!」


「そ、そんなことしていません! クレイユ君とは何、も……」


 答えつつ、不意に昼休みのクレイユとのやりとりが甦り、動揺に思わず声が途切れる。


 ふだんのクレイユとは別人のような、熱のこもったまなざし。甘い響きの声。


 羞恥のあまり、さまよった視線が怪しく映ったのか、イゼリア嬢が細い眉を吊り上げる。


「ほら! やはり心当たりがあるのでしょう!? 自分が単独一位を獲りたいがために、クレイユ様を陥れるだなんて……っ! 最低ですわっ!」


 イゼリア嬢の言葉が、刃のようにぐさりと胸に突き刺さる。


「イゼリア嬢……っ、わた……」

 かすれる声で弁明しようとする俺の声を遮るように。


「最低? ん? 誰が最低だって?」


 飄々ひょうひょうとした声とともに、階段を上がってきたのはヴェリアスだった。


「ヴェリアス様! 聞いてくださいませ!」

 イゼリア嬢がいち早くヴェリアスを振り返って訴える。


「オルレーヌさんが、テストで自分が一位を獲るために、クレイユさんを陥れたようなんですの!」


「へぇ?」


 ヴェリアスの紅い瞳が興味深げにきらめく。


「クレイユが中学以来、初めて一位から転落したっていう話はオレも聞いたけど。そっかー。ひょっとしてと思ってたケド、やっぱりハルちゃんが絡んでたのか~」


 ヴェリアスがからかうように唇を吊り上げて俺を見る。


「で? ハルちゃんは何をしたワケ?」


「ち、ちが……っ」

 絞り出した声が震える。


 イゼリア嬢に最低だと誤解されたショックでじわりと涙がにじみ、イゼリア嬢とヴェリアスの姿がぼやける。


 ヴェリアスが鋭く息を飲んだ音がかすかに耳に届いた。


「あちゃー。オレとしたことが、加減を見誤ったか~。うん、ごめんごめん。ハルちゃんは何も悪いコトはしてないよね~」


 苦みを帯びた声で告げたヴェリアスが、俺に歩み寄る。


 かと思うと、俺の頭の後ろに手を回し、泣き顔を隠すようにそっと胸元に引き寄せた。胸板に額が当たった拍子に、スパイシーなコロンの香りが鼻をくすぐる。


「ヴェリアス様!? オルレーヌさんの言うことを信じるとおっしゃいますの!?」


 イゼリア嬢が非難に満ちた声を上げる。が、ヴェリアスは悠然としたものだった。


「ん? イゼリア嬢は、オレの言うことが信じられないって?」


 いつもと同じ、ふざけた口調。だが、わずかに低くなった声音に、イゼリア嬢が呑まれたように押し黙る。


「ハルちゃんが何かしたってのは冗談だよ。ハルちゃんは悪いことはしていない。何かあったとしたら、それはクレイユ自身の問題だ。……昔もあったんだよ、よく似たことが。クレイユは、思い悩むと、他のことが手につかなくなるトコがあるからなぁ……」


 片手で俺の背中をよしよしとあやすように撫でながら、ヴェリアスが苦い声で告げる。


 ため息交じりの声は、出来の悪い弟を心配する兄のようだ。ヴェリアスにしては珍しい。

 っていうか!


「大丈夫ですから、放してくださいっ!」


 俺は両手でぐいっとヴェリアスを押し返す。


 慰められて、思わずすがりつきそうになったけど、元はと言えば、お前が余計なことを言ったせいだからなっ!?


 イゼリア嬢に誤解されて「最低」って言われるなんて……っ! ショック過ぎる……っ! 好感度がマイナスに突入してるじゃねーかっ!


 意外とあっさり腕をほどいたヴェリアスから素早く距離を取って、手の甲でにじんだ涙をぐい、とぬぐうと、イゼリア嬢に向き直った。


「イゼリア嬢! 本当に私、クレイユ君を陥れる気なんて、まったくなくて……っ。勉強会の日に、言い争いをしたのは確かなんですけれど、クレイユ君がそれを気にしていたんだなんて……。今日、本人に言われて、初めて知ったんですっ」


 しかも、それが「もっときみを知る必要がある」につながるだなんて……。フツー、どう考えても読めないだろっ!?


 俺の言葉に、ヴェリアスが楽しげに紅の瞳をきらめかせる。


「へぇ? ハルちゃん、クレイユと言い争いなんてしたんだ♪ ヤるね~♪ あ、もしかして、この前、ベンチで言ってたアレ?」


「ええ……」


 くそーっ! こんなことになるんなら、クレイユに恋愛詩集を馬鹿にされた時に、言い返したりしなかったのに……っ!

 って、いや、それはダメだ! イゼリア嬢が読んでた本を馬鹿にされて引くのは無理っ! たとえ、イゼリア嬢の俺への好感度がマイナス街道驀進ばくしん中でも!


「オルレーヌさんがクレイユ様と言い争いをしたのが不調の原因なのでしたら、やはり今回の元凶は、オルレーヌさんではありませんか!」


 イゼリア嬢が勢いを取り戻したように非難の声を上げる。


 俺が答えるより早く、「んー?」と首をかしげたのはヴェリアスだった。


「オレもその場にいたワケじゃないから、正確なことは言えないけど、たぶんハルちゃんのせいじゃないと思うよ? ハルちゃんは他人を傷つけるようなことを言う子じゃないじゃん」


「ヴェリアス先輩……」


 俺のことを信じて味方してくれるヴェリアスの言葉に、不覚にもじんとなる。

 と、ヴェリアスがにぱっと笑った。


「だって、オレにもいっつも熱烈な愛の言葉を言ってくれるもんね♪」


「はっ!? ヴェリアス先輩に愛の言葉なんて、一度も言ったことがないですけどっ!?」


 速攻で否定する。ヴェリアスがにやついた顔で、「まったまた~」と笑った。


「きっつい言葉も、ハルちゃんなりの照れ隠しなんデショ? だいじょーぶ、ちゃあんとわかってるって♪」


「違いますからっ! 常に全力で本気ですからっ! 全然、わかってないじゃないですかっ!」


 一瞬でもヴェリアスを見直すんじゃなかったよっ! くそっ、俺の感動を返せ――っ!

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