109 お願いだから内緒にしてくれる?


「ありがとう、エキュー君。送ってもらっちゃって……。迷惑だったんじゃない?」


「えっ、そんなこと全然ないよ! 気にしないで」


 高級車の向かい合わせになった後部座席。ぺこりと頭を下げた俺に、向かいに座るエキューは笑顔でかぶりを振った。


 けど……。

 あの、エキュー? 隣に座ってるクレイユがものっすごく不機嫌そうな顔をしてるんだけど?


 『クレエ・アティーユ』で、俺とイゼリア嬢が相談してペンの仕様を決めることになった後、


「実際の商品を見せてもらって、オーダーしたいペンのイメージをふくらませてはどうだい?」

 と促すリオンハルトの提案を、俺は丁重に辞退した。


 イケメンどもに囲まれて説明を受けるなんて、真っ平御免だ。それに、この後にはコロンヌでのバイトが入っている。

 遅刻するわけにはいかないので、いとまを告げようとしたのだが。


 なぜか、誰が俺を送るかでリオンハルト、ディオス、ヴェリアス、エキューの四人がもめだした。


 もちろん、誰とも同乗したくない俺は、一人で電車で帰ると主張したのだが、俺の意見は一顧だにしてもらえず、逆に、「きみは誰に送ってもらいたい?」と尋ねられる始末。


 っていうか! 一人で電車で帰るって言ってるだろ――っ!?


 女性を一人で歩いて帰すわけにはいかないという、リオンハルト達の紳士っぷりは見事だけど、ほんと俺にはそんな気遣いいらないから……っ!


 リオンハルトに送ってもらうのは論外だ。そんな危険に自分から飛び込む気はない。


 となると、ディオス・ヴェリアス組か、エキュー・クレイユ組だが……。ディオスがいるとはいえ、ヴェリアスと一緒の車にも乗りたくない。


 というわけで、エキューが「この間の勉強会の日は送れなくて残念だったし……。今度こそ、送らせてくれないかな?」と言ってくれたこともあり、エキューに送ってもらうことになったのだが。


 エキューの笑顔のまぶしさと、クレイユの仏頂面の落差がすげえ……っ!


 いや、ふだんからクレイユはにこにこ笑うタイプじゃないけど……。ってゆーか、そんなクレイユがいたら怖いし。


 が、今のクレイユはふだんの表情が実は笑顔だったんじゃないかと思えるほどの険しい顔つきだ。


 いつもの冷淡な表情とも違う。細めの眉はぎゅっと寄り、眉間には縦皺たてじわが刻まれている。まるで、必死で苛立いらだちをこらえているかのような表情。


 そんなに俺と一緒の車に乗ってるのが嫌なのか……? エキューと二人っきりでいられるドライブの時間を、お前なんかが邪魔するな、って……?


 いいぞいいぞ……っ! クレイユに嫌われるのは望むところだぜっ!


「ハルシエルちゃん、ほんとに家までじゃなくてよかったの?」


 クレイユの態度に内心にやにやしていた俺は、エキューの問いかけに何も考えずに頷いた。


「ええ、この後はコロンヌでアルバイトだから……」


 言ってから、はっと我に返るが、もう遅い。


「えっ!? ハルシエルちゃん、アルバイトをしてるの!?」

 エキューが身を乗り出して食いついてくる。


 しまったぁ――っ! アルバイトのことは、イケメンどもには絶対知られないようにって注意してたのに……っ!


 うっかり正直に答えてしまった自分の迂闊うかつさを呪う。

 イケメンどもにアルバイトのことを知られたら、どんな反応が返ってくるか……っ!


 エキューが明るい緑の瞳を好奇心に輝かせる。


「すごいね! アルバイトをしてるなんて! 僕、したことがなくって……」


 だろうな~。大貴族の跡取り息子は、アルバイトなんてしたことがないよなぁ。


 仮にも貴族の娘がアルバイトなんて、と呆れられ、馬鹿にされるかと思ったが、エキューのきらきらした瞳には、純粋な感嘆と好奇心が浮かんでいる。暗い感情は微塵みじんもない。


 エキューはほんと、この真っ直ぐなところが魅力だよなぁ……。攻略対象キャラってわかってても、思わず癒される……。


「『コロンヌ』ってお店でアルバイトをしてるってことだよね? どんなお店なの?」


 わくわく! という心の声が聞こえてきそうな様子でエキューが尋ねてくる。


 うううっ、宝物を見つけた子どもみたいな目で尋ねられたら、とてもじゃないけど、内緒だなんて言えねぇ……っ!


「コロンヌっていうのは、パン屋さんなんだけど、その……。私がアルバイトをしているってことは、他の人には内緒にしておいてくれる……?」


 胸の前で両手を合わせて頼むと、エキューがきょとんとした顔になる。


「えっ? どうして駄目なの?」

「その……」


 無垢な問いに、俺は困って言葉を探す。助けの手は、意外なところから現れた。


「聞いた者によっては、貴族の令嬢が働くなんて、と眉をひそめる者もいるだろう? 良くも悪くも、オルレーヌ嬢は目立つ存在だからな。こちらから、わざわざ噂の元になるような情報を与えてやる必要はない」


 眉間にきゅっと皺を刻んだクレイユが、苦々しげな声で告げる。エキューの愛らしい面輪がハッと凍りついた。


「そっか……。そうだよね。ごめんね、ハルシエルちゃん。僕、そこまで気が回らなくて……」


 しゅん、と肩を落としたエキューに俺はあわてて声をかけた。


「ううん、謝らないで。エキュー君に偏見がないところは、すごく素敵だと思うもの! でもほら……。クレイユ君が言う通り、貴族としてふさわしい行いじゃないと思う人もいるでしょうから……。ね?」


 いや、ほんとは何より警戒してるのはイケメンどもなんだけどな!

 リオンハルトかヴェリアスあたりは、空気も読まずに押しかけてきそうだし……。そんな事態は、絶対に御免だ!


 コロンヌは時給もいいし、帰りにはいっつも売れ残りのパンをもらえるから家族だって喜ぶし……。迷惑をかけてやめるような羽目にはなりたくないんだよ!


「うん、わかった! 気をつけるよ!」


 エキューが大きく頷く。


 ふう。うっかりバレたのがエキューでよかったぜ……。エキューに注意してくれたところを見ると、クレイユも言いふらす気はなさそうだし。


 これがヴェリアスだったら、「じゃあ、口止めの見返りに、ハルちゃんは何をしてくれるワケ?」とか言い出しそうだもんな……。


 自分の想像にぞっとする。

 口は災いの門っていうし、次からは気をつけよ、ほんと……。

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