110 俺は絶対に首を突っ込まねぇからっ!


「しかし……。週明けから期末テストだというのに、『クレエ・アティーユ』に出かけるだけでは飽き足らず、パン屋でアルバイトとは……。よほど、テストが余裕と見える」


 蒼い目をすがめ、クレイユが憎々しげに吐き捨てる。


 って、クレイユだって、エキューのつきそいで『クレエ・アティーユ』に来てたじゃん!


 うへぇ~、と言いたげなエキューのしかめっ面を見るに、帰ったら二人はみっちり勉強するんだろうけどさ!


 クレイユは苛立ちを隠そうともしない。蒼い瞳は一見冷ややかだが、その裏には忌々しさと腹立ちが渦巻き、今にもあふれ出しそうだ。


「ちょっとクレイユ! そんな言い方はないだろう!?」

 エキューが珍しく険しい目つきでクレイユをたしなめる。


「いいのよ、エキュー君」

 俺はあわててエキューを押しとどめた。


「学生の本分は勉強だもの。テスト前にアルバイトをしている私に、クレイユ君が呆れるのは当然だわ。でも」


 俺を睨みつけるクレイユの視線を、真っ直ぐに見つめ返す。


「アルバイトを言い訳に、テストの手を抜くつもりはないから。今回も、一位を獲ってみせるわ」


 イゼリア嬢にすごいって感心してもらうためになっ!


「っ!」


 俺の言葉に、クレイユの怜悧れいりな顔立ちが歪む。


 まるで、血を流す傷口に不用意にふれられたかのうような、痛みに満ちた表情。血が出るんじゃないかと心配になるほど、ぎゅっと唇が噛みしめられる。


 一瞬、クレイユの表情が泣き顔に見えて焦る。が……。うん、見間違いだよなっ!


 プライドの高いクレイユが人前で涙を見せるなんて、恥じらってぐいぐい来ないリオンハルトか、品行方正なヴェリアス並みに不気味だぜ!


 クレイユの表情は予想外だったが、順調にライバル視されているようで安堵する。

 うんうん、このままクレイユとは絶対にフラグを立てねーぞっ!


「ハルシエルちゃんはすごいなぁ……。勉強だけじゃなく、他のことだって頑張ってるなんて。そういえば、勉強会の後だって、図書館に残って参考書を探してたもんね!」


 不穏になった車内の雰囲気を変えようとするかのように、エキューが明るい声を出す。

 が、エキューの気遣いにも関わらず、場を満たしたのは微妙な沈黙だった。


 そういえば……。勉強会の後、俺が別れたのは参考書を探すためだとエキューは思いこんでるけど、ほんとは詩集を探すためだったんだよなぁ……。


 きらきらと尊敬のまなざしを向けてくるエキューの純真さに罪悪感が沸き起こり、俺は「そのぅ……」と歯切れ悪く口を開く。


「実は、勉強会の後に探しに行っていたのは、参考書じゃなくて、詩集なの……。どうしても読みたい詩集があって……」


「あ、そうなんだ」


 さほど気にした様子もなく、エキューがあっさりと頷く。気まずさを払拭するようにクレイユが咳払いした。


「下校時間までさほど間がなかったが、探していた詩集はみつかったのか?」

 ぶっきらぼうな声に俺はこくりと頷く。


「ええ、おかげ様で。ありがとう」


 はからずもヴェリアスに会って捕まっちまったけどな!

 まあ、そこまではクレイユのせいじゃない。が……。


 ふと、ディオス達との会話が甦り、クレイユへの意趣返しを思いつく。イゼリア嬢が読んでいた詩集を馬鹿にした仕返しだ!


「『ラ・ロマイエル恋愛詩集』って……。ディオス先輩に教えていただいたところによると、学園では有名な詩集なんですってね?」


「っ!?」


 告げた瞬間、クレイユの目が、まるで信じられない言葉を聞いたかのように見開かれる。


 急に、心臓にナイフを突き立てられたような、そんな顔。


 が、俺が反応するより早く、何かを振り切るかのように、クレイユがふいっと顔を背ける。


「有名であれ無名であれ、身分差の恋をうたった詩集など……」


 「くだらん」と吐き捨てたそうな顔立ちでクレイユが言葉を濁す。図書館で言い争いをしたことを思い出して、かろうじて自制したのかもしれない。


 俺としても、エキューもいる前でもう一度、クレイユと喧嘩けんかをする気はさすがにない。クレイユが言葉を濁したのをいいことに、聞かなかったふりをする。


 激情をはらんで張り詰めたクレイユの横顔からは、何を考えているかまではうかがえない。


 何か、恋愛詩集によほど嫌な思い出でもあるのかもしれない。

 が、もちろん俺は突っ込んだ事情を聞く気なんかない。いったい何がフラグのきっかけになるか、知れたもんじゃないからな!


 エキューが気遣うようなまなざしでクレイユを見やる。


 幼なじみのエキューは、クレイユの表情の意味を知っているのかもしれない。


 うん、クレイユのことはエキューに任せた! その純真さでクレイユのすさんだ心を癒してやってくれ!


 俺は絶対にクレイユの事情になんざ首を突っ込まないから!

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