97 君の前では格好悪いところは見せたくないからね


「では、ごきげんよう」


 イゼリア嬢が優雅に挨拶をして自習室を出ていく。

 ぱたりと扉が閉まる音に、なんとなく空気も緩む。


「んーっ」

 とエキューが大きく伸びをした。


「今日はいつもよりいっぱい勉強した気がするよ。きっと、ハルシエルちゃんが教えてくれるのが上手だったからだねっ」


 エキューがにっこりと親しみをこめた笑顔を向けてくる。


「そんなことないわ。エキュー君がしっかり聞いて、真面目に勉強してくれたからよ」


 俺はゆるりとかぶりを振った。


「今日は、いつも教えてくれるクレイユ君とは違う相手だったし、雰囲気が違う分、新鮮な気持ちで勉強できたからじゃないかしら?」


「うん。ハルシエルちゃんが相手をしてくれたのは大きかったかも」

 エキューが照れたようにはにかむ。


「やっぱり、ハルシエルちゃんの前では、格好悪いところは見せたくないからね」


「エキュー君のことを格好悪いだなんて思ったことは、一度もないけれど?」


 小首をかしげて答えると、エキューの面輪に見る者の心を弾ませるような笑みが浮かんだ。


「そう? だったら嬉しいなっ」

 「ところで……」とエキューが遠慮がちに問う。


「イゼリア嬢のペンを熱心に見ていたけれど、そんなに気に入ったの?」


「ええ! イゼリア嬢が選ばれたデザインがすごく素敵だったから……。さすがよね! 気品があって優雅なだけじゃなくて、センスまでいいだなんて!」


 答える声に思わず熱が入る。エキューが小さく苦笑した。


「へえ。そんなに気に入ったんだね。あ、『クレエ・アティーユ』のペンだったら、僕とクレイユも持ってるよ! おそろいのデザインなんだ」


 エキューが一本のペンを見せてくれる。


 基本の色は光沢のある黒だが、軸だけがエキューの髪の色を彷彿とさせる金の色。要所に明るい緑と濃い蒼の装飾を配したペンのデザインには、なぜか妙に見覚えがあった。


 って、あ――っ! これ、『キラ☆恋』の公式グッズにあった通称『クレ×エキュ・ペン』じゃん! 姉貴が買って、


「やっぱりクレイユ×エキューは萌えるわよね~っ♡ クレイユのエキューにだけ見せるあの柔らかな表情がたまんないわっ! いやでも、エキュー×クレイユも捨てがたいっ! エキューが天真爛漫にクレイユに迫って、クレイユが悩むっていうシチュもイイ……っ! あ~っ、二人の髪と瞳の色が一本に配された至高のペン! これは妄想がはかどるわ~っ♡」


 って、ぐぇっへっへっへっへ……、と不気味な笑いをこぼしながらペンを撫でまわしてたから覚えてるっ!


 そっか……。これが本物の『クレ×エキュ・ペン』かぁ……。


 やっぱり、既製品のグッズとはクオリティが違うよな。ひと目見てわかるあふれる高級感といい、細部の造形の繊細さといい……。姉貴が見たら垂涎すいぜんものの逸品だろうなぁ。


「ありがとう、見せてくれて。素敵なペンね」

 礼を言って、ペンをエキューに返す。


「どういたしまして。これ、書き味もすごくいいんだよ」


「きっとそうでしょうね。本当に、憧れちゃうわ……」


 ほんと、欲しいなぁ……。いったいいくらくらいするんだろ……?

 エキューに聞けば、教えてもらえるかな……?


 と、エキューに尋ねようとしたところで。


「では、わたし達も今日はここまでにして帰ろうか」

 今まで黙って俺達のやりとりを聞いていたクレイユに声をかけられる。


「そうだね。あ、ハルシエルちゃん。よかったら家まで送っていこうか?」


 にこやかにエキューが申し出てくれるが、もちろん、俺が「うん」というワケがない。


 イケメンどもと一緒の車に乗るのは危険すぎるって、リオンハルトで嫌というほど身に染みたからなっ!

 たとえ、相手がエキューだろうと、警戒するに越したことはない!


「ありがとう、エキュー君。でも、この後、用事があるから、気持ちだけいただいておくわね」


「用事って? どこか寄るところがあるのなら、ハルシエルちゃんさえよければ、つきあうよ?」


 エキューがこてん、と可愛らしく首をかしげる。


 ううっ、純真なまなざしは、断るのに心が痛むぜ……。

 だが、すまんエキュー! 俺はこれ以上、イベントを起こすのなんざ、絶対にごめんなんだっ!


「違うの。図書館で探したい本があって……」


 俺の言葉に、クレイユがわずかに表情を歪める。


 勉強会の前に俺とやりあったのを思い出したのだろう。

 俺のほうも、もう一度クレイユとやり合うなんて真っ平御免だ。


 が、エキューが探すのをつきあうと言い出せば、きっとクレイユももれなくついてくるだろう。

 さて、エキューの申し出をどうやって断ろうかと悩んでいると。


「エキューは今日一日でずいぶんと勉強熱心になったんだな。オルレーヌ嬢が探しているのは、数学の応用問題の参考書だそうだが……。エキューも何冊か借りて勉強するか? わたしがじっくり教えてやるぞ?」


 クレイユが珍しく悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべてエキューに告げる。

 途端、エキューが塩の塊を口に突っ込まれたように愛らしい顔を歪めた。


「え――っ、今日はもう数字を見るのもこりごりだよ! 絶対お断りっ!」


 心底嫌そうな表情に、思わず吹き出しそうになるのをこらえる。


 そっか……。今日は、俺に教えてもらうからって無理して頑張ってたんだろうな。やっぱりエキューっていいヤツだよな。


 クレイユが諭すように言葉を続ける。


「今日はもう、オルレーヌ嬢に勉強を教えてもらって、さんざんつきあってもらったのだから、そろそろ、彼女自身の勉強のために時間を使わせてやったらどうだ?」


「そう、だね……。ごめん、ハルシエルちゃん。わがままを言っちゃって……」


 エキューが尻尾を垂らした子犬のようにしゅんとした様子で詫びる。


 よっし、クレイユ! ナイス発言!

 たとえ一緒に恋愛詩集を探すのが気まずいからという理由であっても、俺にとっては助け舟だぜ!


 そんな事情を知らぬエキューが、きらきらしたまなざしを俺に向けてくる。


「あんなに勉強したのに、まだ参考書を探すなんて、ハルシエルちゃんはすごいね! 体育祭の時も、ハードル走の練習をすごく頑張っていたし……。ハルシエルちゃんは頑張り屋さんなんだねっ」


 うううっ、エキューが諦めてくれたのは嬉しいけど、純真なまなざしが胸に突き刺さる……っ!

 すまん、エキュー! 俺が探したいのは、ほんとは参考書なんかじゃないんだ……。


「じゃあ、私達もそろそろ出ましょうか?」

 このままここにいたら、そのうちボロを出しそうだ。


「そうだな」とクレイユが頷き、それぞれ出していた教科書やらノートやらを鞄にしまう。


 リオンハルトのペンも、しっかりペンケースに入れてチャックを閉めた上で、鞄にしまいこんだ。

 万が一、失くしたりしたら弁償できるかどうかわかんねーほどの高級品だ。丁寧に扱うに越したことはない。


 三人そろって自習室を出て、階段を下りる。

 二階の踊り場に来たところで。


「オルレーヌ嬢。参考書と……。あと、詩集などの文芸作品の棚は二階にある」


 ふと足を止めたクレイユが小さな声で呟く。


「え?」

 思わずクレイユを振り向いたが、視線をそらすように、ふいと顔を背けられてしまった。


「下校時刻まであと半時間もないからな。見つからなかったら困るだろう」


 つんと冷たいぶっきらぼうな声。

 だが、その裏に明らかな気遣いが感じられて。


「ありがとう、クレイユ君。おかげで、一階まで行かずに済んだわ」


「礼など不要だ。そこの案内板を見れば、すぐにわかることだからな」


 そっぽを向いたまま、クレイユがそっけなく壁の一画を指し閉める。


 やっぱりこれって……。図書館に不慣れな俺を、明らかに助けようとしてくれてるよな?

 クレイユって……。面倒な性格だけど、悪いヤツじゃないんだよな……。


「さあ、エキュー。わたし達は帰ろう」

「じゃあまた明日ね、ハルシエルちゃん!」


「ええ。二人ともさようなら」

 二人に手を振ると、俺はいそいそと本棚へと近づいた。

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