67 本番では絶対にアドリブぶっ込んでくんなって言っただろぉ――っ!


 りんと告げた俺の言葉に、ヴェリアスが喉を震わせ、紅の瞳をすがめる。


「なるほど。しかし、花が遭う苦難は、枯れるだけではなかろう?」


 挑むように唇を吊り上げたヴェリアスが、俺を抱き寄せようとする。


 抵抗しようとしても、ヴェリアスの力には敵わない。

 俺を腕の中に閉じ込めたヴェリアスが、宛然えんぜんと微笑む。


 わずかに首をかしげた拍子に、後ろへ撫でつけていた前髪が一筋額にかかり、えも言われぬ色気をかもし出す。


 紅い瞳に魅入られたように、視線が外せない。

 そっと伸ばされた指先が、肌のなめらかさを確かめるように、ゆっくりと俺の頬をたどる。


「美しい花ほど、こうして手折たおりたくなる」


 ヴェリアスの唇の弧を描く。と。


「ハルシエル!」


 ディオスが舞台ヘ飛び出してくる。ディオスを導いているのはエキューだ。


「悪魔め! 花の乙女は僕達の宝! 返してもらうよ!」

「ハルシエルからその手を放せっ! 彼女はわたしのものだ!」


 ディオスが腰にいた剣を抜き放つ。


 この後、ハルシエルはいったんヴェリアスから離れ、寸劇のクライマックスともいえるディオス達三人の戦いが始まる。


 俺はすぐに動けるように身構えながら、ヴェリアスの次の台詞を待つ。が。


「オレが、ハルシエルをやすやすと放すとでも?」


 ん? ここは「オレからハルシエルを取り戻したければ、実力で取り戻すんだな」じゃ……?


 台本にないヴェリアスの台詞を不思議に思う間もなく。


「ハルシエルがオレのものだとお前に教えてやろう」


 挑戦的な笑みをひらめかせたヴェリアスが、俺の頬にふれていた手に力をこめて引き寄せる。


 前によろめいた拍子に、ヴェリアスのスパイシーなコロンの香りが鼻をくすぐったかと思うと。



 左頬に、柔らかなものが押しつけられる。

 「ちゅっ」と耳を打つリップ音。


 きゃあああぁぁっ! と、歓喜とも悲鳴ともつかぬ声が観客席を震わせる。


 何が起こったのか、理解するより早く。


「貴様っ!」

 ディオスが憤怒の声とともにヴェリアスに斬りかかる。


 マントをひるがえし、ディオスの視界を遮ったヴェリアスが、その隙に俺を後ろに庇い、腰の剣を抜き放つ。


 マントを払い、振り下ろしたディオスの剣をヴェリアスが己の剣で受ける。

 そのまま、二人はつば迫り合いにもつれ込んだ。


 その段になって、俺はようやく我に返った。


 ふらふらと何歩か後ずさり、そのままぺたん、と舞台の上に座り込む。


 信じたくない。信じたくない。信じたくない。


 理性が、全力で理解することを拒否している。が、劇の真っ最中に現実逃避で気を失うわけにもいかず。


 い、今。俺、全校生徒の前で……っ!



 ヴェリアスにほっぺにキスされた――――っ!?



 嘘だっ! 誰か嘘だと言ってくれっ!


 ヴェリアスめっ! 俺を精神的、社会的に殺す気かっ!?

 男なのに、男にキスされるなんて――っ!


 本番では絶対にアドリブぶっ込んでくんなって言っただろぉ――っ!


「ヴェリアスはたぶん、本番でアドリブを突っ込んでくるだろうから、それに乗れば生徒のハートをかっさらうこと間違いなしよ!」


 って姉貴が言ってたけど……!

 まさか、頬にキスさけるなんて聞いてないっ!


 生徒のハートをかっさらうどころか、俺の心臓ハートが止まるかと思ったよっ!?


「ヴェリアス! 貴様は許さんっ!」


 ディオスがヴェリアスへ荒々しく剣を振るう。


 あれ? この決闘シーン、もうちょっとゆっくりとした動きの殺陣たてだった気がするけど……。


 今はそんなことはどうでもいい! 俺が許すっ! ヴェリアスの野郎を叩き斬ってしまえっ!

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