64 オレはハルちゃんの可愛い姿を見れただけで十分満足だけどね♪


 俺は、こわごわとシノさんに問う。


「……シノさん、姉貴が何を企んでるか……知ってます?」


「いいえ」

 シノさんの返事はあっさりしたものだ。


「別のもので対価になったりは……?」

「エル様からは」


 俺の言葉を遮るように、シノさんがおもむろに姉貴の名前を紡ぐ。


「ハル様がぐだぐだ言うようでしたら、すぐに撮影を取りやめるようにと命じられておりますが」


「あんの悪魔――っ!」


 思わず、心の底からの罵声ばぜいれ出る。

 人の心を持たない冷血大魔王めっ! 嗜好しこうだけじゃなくて性根まで腐りきってやがるっ!


「わかったよ! わかりましたよっ! 条件を飲めばいいんですよねっ!?」


「さすがハル様。見事なご判断でございます」


 クールな声音でシノさんが褒めてくれるが……。

 姉貴の指示で恫喝どうかつしたの、あなたですからねっ!


 姉貴の悪魔っぷりに歯噛みしたいところだが、イゼリア嬢がダンスを披露しているというのに、そんなもったいないことはできない。


 姉貴なんざ、イゼリア嬢の尊さの前じゃあ、ちりだ、塵!


 リオンハルトの巧みなリードで踊るイゼリア嬢は、まさに地上に降りた星だ。


 くるり、くるりと華麗にターンを決めるたび、ダイヤモンドが縫いつけられたドレスの裾がひるがえり、陽光を跳ね返してきらきらと輝く。

 夜空の色の黒髪は珍しく編み込んで結い上げ、いつもは見えない白いうなじが見えている。それだけで、わけもなくどきどきしてしまう。


 リオンハルトを見つめるイゼリア嬢のアイスブルーの瞳は柔らかな弧を描いて微笑み、唇は満ち足りた笑みを浮かべていた。


 女神だ……っ! 女神が目の前にいる……っ!


 リオンハルト! お前が俺にしたことは許さないけど、イゼリア嬢のリードが巧みなことだけは認めてやる!


 シノさんからデータをもらえる約束はしたとはいえ、相手は姉貴だ。実際にデータをもらえるまで、油断はできない。


 何より、イゼリア嬢の生ダンスを見逃すなんて! そんな真似、天地がひっくり返ってもできるかっ!


 俺はイゼリア嬢の姿を目に焼きつけるかのように、またたきも忘れて踊る二人の姿を見つめる。


 曲が終わり、イゼリア嬢達の動きも止まる。

 その瞬間、わっ! と弾けるように歓声が上がった。所属する組を問わず、全生徒が惜しみない拍手を送る。


 イゼリア嬢が舞台袖に入り、リオンハルトがマイクを手にした。星組の生徒達へ激励の言葉を送るのだろう。が、リオンハルトの激励には興味ない。


 次に応援を披露するのは花組だ。舞台に背を向け、準備をしようとして。


「ハルちゃんってば、もう舞台袖に来てたの?」


 振り返ったところで、ヴェリアスに声をかけられた。


 ヴェリアスもすでに応援合戦用の衣装である黒いタキシードに着替えている。衣装と同じ黒く長いマントが歩くたびに揺れ動き、腰にいた模造の剣の柄がちらちらと見える。模造とはいえ、鞘も柄の握りも、思わず感嘆してしまうほどった造りだ。


 今は前髪をバックにしているせいか、ヴェリアスはいつもより大人びて見える。一房だけ垂れた前髪が妙な色気をかもし出していた。


「はい。星組の応援合戦を見たかったので」

「オレは着替えてたから見てないんだけど、どうだった?」


「すごく素敵でしたっ!」

 答える声が思わず弾む。


「イゼリア嬢が本当に可憐でお美しくて! 星組の名の通り、まるで天上の星が舞い降りたようでした!」


 イゼリア嬢の素晴らしさなら、いくらでも語れる。

 俺の返答に、ヴェリアスが感心したように笑った。


「ハルちゃんってば、星組は対抗相手だっていうのに、素直に褒めるんだね♪」


「素晴らしいものを素晴らしいと褒めたたえるのはおかしなことではないと思いますけど。ヴェリアス先輩も、イゼリア嬢のダンスを見たら、その可憐さに絶対見惚れていたに違いないですからっ!」


 勢い込む俺の言葉に、ヴェリアスは気のない様子で口を開く。


「ふぅん。そんなによかったんだ?」

「そうですよ! 見なかったなんて、もったいなさ過ぎです!」


 こくこく頷くと、ヴェリアスが紅の瞳を悪戯いたずらっぽく輝かせた。


「オレはハルちゃんの可愛い姿を見れただけで十分満足だけどね♪」


「っ!?」

 思わず、息を飲んでヴェリアスを見上げる。


「ヴェリアス先輩って……。そんなに目が悪いんでしたっけ……?」


 イゼリア嬢の可憐な姿をちゃんと見られないなんて、気の毒過ぎる……っ!

 本気で同情して呟くと、ぶっ、と吹き出された。


「なんでそーゆー反応なワケ!? やっぱりハルちゃんってばオモシロイな〜♪」


 ひとしきり楽しげに笑ったヴェリアスが、


「忘れ物だよ」

 と、片手に持っていた小箱を差し出す。

 ぱかりと開けられた小箱に収まっていたのは、例の真珠の髪飾りだ。


「ハルちゃんのためにせっかく用意したってのに、忘れちゃダメじゃん♪」


「忘れていたわけじゃないんですけれど……」


 こんな高価な髪飾り、つけるならできるだけ短い時間ですませたかったんだよ……。


「ほら、つけてあげるよ。おいで」


 ヴェリアスが手招くが、俺はふるふるとかぶりを振る。


「いえ、万が一、寸劇の途中で落としたりしたら大変ですから、シノさんにちゃんと――」


「申し訳ございませんが、無理です」

 俺が言い切るより早く、シノさんがきっぱりと告げる。


「ただいま、手が離せませんので、どうぞヴェリアス様につけていただいてください」


 シノさんが構えるビデオカメラが向く先は、いつの間にか舞台から俺とヴェリアスに移っている。


 って何を撮ってるんですか――っ!?


「ちょっと、シノさん――」

「はいはい。ご指名を受けたし、もう時間もあんまりないからさ。ハルちゃん、おいで?」


 ヴェリアスが軽く首をかしげて俺を招く。気がつけば、リオンハルトの激励は終わり、舞台には花組の寸劇のための大道具が運び込まれつつある。


「自分じゃ、つけられないんでしょ?」


 ヴェリアスの言う通りなので、しぶしぶ指示に従い、ヴェリアスの前に立つ。


 ヴェリアスが肩から下げている黒いマントを払う。その仕草も妙に絵になっているのが、微妙に悔しい。ヴェリアスのくせに!


「ほら、横向いて……」


 ヴェリアスの指先が、結い上げた髪に優しくふれる。


「よし、つけられたよ。ちょっとこっち向いて?」

 ヴェリアスの言葉に従い、顔を正面に向けると、満足そうな笑顔にぶつかった。


「うん、やっぱりよく似合ってる♪」


 今の俺は寸劇用の白いドレスを着て、長い金の髪はシノさんに結い上げてもらって、さらにはお化粧までされている。


 紅の瞳が頭のてっぺんから爪先までひとでしたかと思うと、柔らかな弧を描く。


「綺麗だよ」


 いつもとは違う、真摯しんしな声に、心臓が跳ねる。


 見つめる紅の瞳に宿る熱にあぶられたように、頬が熱くなり、思わず視線をそらせてしまう。


 いきなり真剣な顔なんかすんなっ! 何事かと思っただろ!

 っていうか、男の俺が綺麗って褒められても、嬉しくもなんともないから!


「シ、シノさんの頑張りの成果ですね」

「そう? オレはハルちゃん自身の魅力だと思うケドな〜♪」


 くすくすと笑いながら、ヴェリアスが右手を伸ばしてくる。


 その手が俺にふれるより早く。


「ヴェリアス? ハルシエルも。もう控えていたのか?」

 背後から声がかかる。


 振り返った先にいたのは、舞台衣装に着替えたディオスとエキューだった。

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