63 対価は「何も」なんてありえないっ!


「シノさん! ちゃんと撮ってます!? お願いですから絶対ぜぇったい! 一秒逃さず撮ってくださいねっ!?」


 リオンハルトの開会宣言で始まった体育祭はつつがなく午前の競技を終え、これが高校の体育祭か!? と叫びたくなるような豪華で優雅な昼食(費用は学園持ち)の後、今は午後一番目の種目、応援合戦に入っている。


 マリアンヌ祭の時と同じように、グラウンドの一画には特設舞台が設置され、舞台前に生徒と教員用の観客席が設けられていた。


 開会式の際に、くじ引きをし、星組が先手、花組が後手と決まったのだが――。


「麗しいっ! イゼリア嬢のダンスをこんな近くでじっくりと見られるなんて、幸せ過ぎる――っ!」


 俺は特設舞台のそでで感動に震えていた。

 隣ではシノさんが、特設の舞台で華麗に踊るイゼリア嬢とクレイユをビデオカメラで撮影している。


 エキューが予想した通り、星組の応援合戦の内容はダンスだった。


 音楽は歌詞付きで星組をたたえ、応援する内容になっている。リオンハルトが作詞したらしいが、俺にはどうだっていい。


 そんなことより! 華麗に踊るイゼリア嬢のなんと可憐なこと……っ!


 マリアンヌ祭の時にもイゼリア嬢のダンスを見られたが、美しいものは何度見たって見飽きることなんかない!

 むしろ、見るごとに感動で心が洗われてますます惹きつけられてしまう。


 ああっ、俺の目の前にこの世の天国が顕現けんげんしている……っ!


 感動に目が潤みそうだが、イゼリア嬢の御姿を見逃すなどいうもったいない真似はできない。


 先ほど、応援合戦の衣装に着替えてシノさんに薄く化粧までしてもらった俺は、唇の内側を噛んで感動の涙をこらえる。


 この後、大道具を運び入れるための少しの休憩を挟んで、すぐに花組の発表があるので涙で化粧を崩すわけにはいかない。


 今日のイゼリア嬢のドレスは、夜空を連想させる深いブルーのドレスだ。胸元や裾には星をイメージしてダイヤモンドがあしらわれ、イゼリア嬢が動くたび、初夏の陽光を跳ね返してきらきらと輝く。


 闇を融かして染めたような黒の礼服を纏うクレイユと踊るイゼリア嬢は、まるで、そこだけ一足早く夜のとばりが下りたかのようだ。


「シノさん! 絶対に後でイゼリア嬢を撮ったデータをくださいね!?」

 余計な俺の声が入らないよう小声で念押しすると、シノさんも小声で返してきた。


「では、代わりに何をいただけるのですか?」


「俺のことさんざん盗撮しておいてまだ要求しますっ!?」


 今、まさにイゼリア嬢を撮っていなかったら肩を掴んで揺さぶっているところだ。

 が、シノさんは顔色一つ変えず言い放つ。


「エル様から、ちゃんと対価を交渉するように言いつかっておりますので」


 くっそ――っ! 姉貴めぇ――っ!

 シノさんに余計な入れ知恵をしやがってっ!


 でも、イゼリア嬢のダンスを何度だって見られるのなら、受け入れざるを得ない。 


「……どんなものが対価になるんです?」


 おそるおそる問うと、シノさんが小さく唇を吊り上げた。


「今は、何も」


「へっ?」

 拍子抜けして、間抜けな声が出る。


 舞台では、ちょうどイゼリア嬢とクレイユのダンスが終わったところだった。


 俺は両手を打ち合わせて、惜しみない拍手を送る。


 観客席の生徒達からも、星組、花組を問わず、割れんばかりの拍手が送られる。

 一礼したイゼリア嬢とクレイユが、舞台袖を振り向く。


 途端、わぁっ、と生徒達から歓声が上がった。


 俺が控えているのとは逆の舞台袖から颯爽さっそうと姿を現したのは、クレイユと同じく、漆黒の礼装をまとうリオンハルトだ。


 陽光をよりあわせたような豪奢ごうしゃな金の髪が漆黒の礼装に映えて、シンプルなデザインの服なのに、いつも以上に華やかに見えるから不思議だ。


 イゼリア嬢をエスコートしていたクレイユが、リオンハルトの前まで来ると、うやうやしく一礼し、イゼリア嬢とつないでいた手をリオンハルトに差し出した。


 にこりと端麗な笑顔を浮かべたリオンハルトが、イゼリア嬢の手を取り、身を屈めてその手に軽く、くちづける。


 生徒達の間から、感嘆とも羨望せんぼうともつかぬ吐息がこぼれ出た。


 リオンハルトめ――っ! 一度ならず二度までもイゼリア嬢の手にくちづけしやがって――っ!


 血の涙が出そうなほどうらやましいぞっ!


 俺はぎりぎりと奥歯を噛みしめ、悔しさに耐える。


 曲調がゆったりしたものに変わり、イゼリア嬢とリオンハルトのダンスが始まる。こちらの曲も歌詞付きだが……。


 イゼリア嬢の可憐な姿に見惚れる俺の耳にはろくに入ってこない。


 これ、歌詞いらないんじゃね……?

 イゼリア嬢の麗しい姿を見るだけで、身体中に力が湧いてくるもんなっ! 俺が生徒なら、間違いなく全部の票をイゼリア嬢に入れて、イゼリア嬢をMVPにするぜっ!


 ……ってダメじゃん! MVPには俺がならないと……っ! イゼリア嬢をデートに誘えねぇっ!


 自分で自分にツッコむ。


 ちょっと落ち着け俺。えーと……。イゼリア嬢のダンスを撮ったデータの対価の話だっけ?


 俺はしっかりとビデオカメラを構えたままのシノさんにおずおずと尋ねる。


 が、もちろん視線は舞台でリオンハルトと華麗に踊るイゼリア嬢から、一瞬たりとも外さない。

 こんな素晴らしい機会を逃すことなんてできるかっ!


「シノさん。さっきの『何も』って……?」


「『今は、何も』です」


 シノさんが囁き声で即座に訂正する。


「エル様より、ここぞという時に使うので、ハル様の言質げんちを取っておくようにとの指示をたまわっております」


 何その恐怖しか感じない指令はっ!?


 姉貴にいいように使われる危険を負うなんて……っ!

 コワイヤバイ嫌な予感しかしねぇ――っ!


 あの悪魔姉貴め! 俺にナニをさせる気だよっ!?

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