29 よければ、俺がコーチをしようか?


「あ、ディオス先輩!」


 放課後。生徒会室へ向かおうとしていた俺は、廊下の人混みの向こうに、長身で赤毛の目立つ姿を見つけて駆け寄った。


 組決めが行われた姉貴主催のお茶会から四日。ディオスのそばにいれば、ヴェリアスが余計なちょっかいをかけてこないので、ヴェリアスけとして非常に重宝している。


「あ、すみません。お邪魔してしまいましたか?」

 近づこうとして、男子生徒と話をしていたのに気づく。


「いや。クラブ対抗リレーのことについて質問されていただけだ」


 ぺこりと、一礼して去っていく男子生徒に軽く手を振ったディオスが、俺を振り返って微笑む。


「本来なら、体育部長のエキューの仕事かもしれないが……。あいつも生徒会役員になったばかりで大変だからな。手伝えるところは手伝ってやらないと」


 そう言って穏やかに笑うディオスは、いかにも頼りになる兄貴という感じで、ディオスが女子生徒だけでなく男子生徒達からも慕われているのが納得できる。


 俺も、腐った姉貴じゃなくて、こんな頼りになる兄貴が欲しかった……。


「どうした? 体調でもよくないのか?」


 ふう、と吐息した俺の顔を、ディオスが長身を折り曲げるようにして覗き込む。

 濃い緑の瞳に、純粋な心配が浮かんでいるのを感じ取って、俺はあわててかぶりを振った。


「なんでもありません。ディオス先輩も生徒会室へ行かれるのでしたら、一緒に行きませんか?」


 もし、隣にいたのがリオンハルトなら、いきなり額に手を伸ばしていただろう。

 が、ディオスはそんなことはしない。


 ヒロイン・ハルシエルではなく、単なる生徒会の後輩として接されることが、俺にとってはものすごく嬉しい。心が安らぐ。


 他の奴らにも、ぜひこの姿勢を見習ってほしいところだ。

 特に、リオンハルトとヴェリアスなっ!


「オルレーヌ嬢はもう、出場する種目は決まったのか?」


 並んで生徒会室へ向かいながら、ディオスが尋ねる。


 角を曲がって階段にさしかかると、生徒の姿がまばらになった。教室は二階と三階にあるが、生徒会室は四階なので、上に行けば行くほど、生徒の数が少なくなる。


 小柄なハルシエルの身長は、ディオスの肩ほどまでしかない。が、さりげなく俺の歩幅に合わせて歩いてくれるところが紳士だ。


「はい、決まりましたよ、今日のホームルームで」

 ただ……。


「浮かない顔をしているが、どうしたんだ? やっぱり、体調がよくないんじゃないか?」


 吐息した俺に、ディオスが再び眉を寄せる。俺はあわててかぶりを振った。


「違うんです。その……。女子の皆さん嫌がるので、私がハードル走に出ることになったんですけれど、実は私もハードル走は苦手で……。中学校の時に、ハードルに引っかかって、顔から地面につっこんだんですよね……」


 中学校といっても、転んだのはハルシエルの中学時代じゃなくて、俺自身の経験なんだが。


 力なく呟いた途端、ぽふぽふと大きな手に頭をでられた。

 いたわるような、優しい手つき。


 驚いて隣を振り向くと、ディオスが優しい笑みを浮かべて俺を見ていた。


「自分も苦手な種目なのに、引き受けるなんてオルレーヌ嬢は優しいな」

「い、いえ……」


 ハードルに引っかかって転んだらどうしよう、と女子達が怖がる気持ちはよくわかる。俺だって嫌だ。でも。


「お嬢様達と違って、私は転んだってへっちゃらですからね!」


 たとえ、すっ転んで顔に絆創膏ばんそうこうを貼る羽目になったって、男の俺ならなんということもない。

 むしろ、イケメンどもけになってくれたらありがたいくらいだし。


 それに、ハルシエルの外見でも中身は男だ。女子達が困っているのを放っておくなんて、できるわけがない。


 俺の返事に、四階へと続く階段に足をかけたディオスが、ためらいがちに口を開く。


「よければ、俺がコーチをしようか?」


「え?」


 思いがけない言葉に視線を上げると、目が合ったディオスが、照れたように視線をそらした。


「いや、きみがよかったらだが……。これでも、スポーツは得意だからな。練習してコツを掴んでおけば、ハードルに対する苦手意識もなくなるだろうし、転びにくくもなるだろう? ああ、俺が嫌ならエキューに頼んでくれてもかまわないが……。陸上部のあいつのほうが適任だろうし」


「嫌だなんて!」


 気遣いに満ちた声にかぶりを振る。


「お気遣いいただいて、ありがとうございます。嬉しいです。ディオス先輩に教えていただけたら、きっとあっという間に上達しますね!」


 生徒会役員になってまだ数日だが、副会長として陰に日向にリオンハルトを支えているディオスを見ていれば、ディオスが見かけよりもずっと気遣いに満ちていることや、指導力にけていることはすぐにわかる。


「でも、お忙しい先輩のご迷惑になりませんか?」


 練習できる機会があるのなら嬉しいことこの上ない。が、ディオスに無理をさせてまでしたいわけじゃない。


 まあ、一人で練習する気はないけどな。ディオスがいなくなったら、ヴェリアスあたりが絡んできそうだし。そんなのはごめんだ。


 長身のディオスを見上げようとした瞬間、階段を踏み外した。


 やばい、と思う間もなく、身体がかしぐ。

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