28 あ、だめだ。これもう腐りきってる。


 姉貴がさらりとらしたNGワードに気づいて、俺はさーっ、と全身から血の気が引く。


 おい姉貴!? 今さらりとなんて言った!?


 「弟」なんて危険ワード、シノさんに聞かれたらどうするんだよ!?


 ぎぎぎ、と俺は油を差し忘れた機械みたいにぎこちなく、シノさんを振り返る。


 俺と視線が合ったシノさんは、案に相違して穏やかな表情で頷いた。

 まるで、すべてを受け入れる聖女みたいな清らかな笑みで。


「ご安心くださいませ。理事長――いえ、エル様から、ご事情はすべてうかがっております。ハル様は、この世界に尊き萌えを広められるべく転生された――BLの勇者なのだと」


「なんじゃそりゃあ――――っ!?」


 シノさんの台詞を脳が理解した瞬間、すっとんきょうな声で叫ぶ。


 違うからっ! なんかもうツッコミどころ満載っていうか、ツッコミどころしかないっていうか、とにかくまったく全然違うからっ!


 ってゆーかBLの勇者って何だよっ!? 俺、そんなおぞましいモンになんかなる気はないぞっ!?


 ほんとシノさん、しっかりしてっ!? 姉貴になんか汚染されないで――っ!


「姉貴っ! いったいシノさんにどんなロクでもないことを吹き込んだんだよっ!?」


 正体がバレてるんなら、取りつくろう必要もない。

 俺は荒々しく姉貴に詰め寄る。


「ロクでもないなんて、とんでもありません!」

 即座に否定したのはシノさん自身だ。


「エル様はわたくしに、『BL』という素晴らしい世界の扉を開けてくださったのです!」


 ビデオカメラを小脇に抱え、祈るように両手を組んで、シノさんは恍惚こうこつのまなざしで姉貴を見つめる。


 その姿に俺は察した。


 あ、ダメだ。これもう、汚染されてる。腐りきってる。

 と……。


 姉貴めぇ――っ!


 黒髪クール系メイドさんになんていうことをっ!

 一瞬でもシノさんにときめいた俺の純情を返せっ!


 ……はっ! それともこれは、イゼリア嬢以外にときめいてしまった俺への、神様からの罰……っ!?


 許してくださいっ、イゼリア嬢! 心の底から懺悔ざんげします! やっぱり俺にはイゼリア嬢しかいませんっ!


「とにかく! 盗撮なんてロクでもないことはやめてくれっ!」


「いいえっ!」

 シノさんが悲愴な表情でかぶりを振る。


「これは盗撮などではありません! むしろ「糖殺とうさつ」……! 素晴らしい殿方達が発する糖分の尊さに、わたくしられてしまいそうでございます……! ああっ、尊さのあまり、昇天しそう……っ!」


 いやっ、うまいこと言っても誤魔化ごまかされませんからねっ!?

 犯罪ですから!


 俺がツッコむより早く、姉貴がシノさんの尻馬に乗る。


「そうよぉ~! 仕事で動けないあたしの代わりに、シノにしっかり記録してもらおうと思ったのに~っ!」


 姉貴が、ぷぅ、と子どもみたいに唇をとがらせる。


 おいっ、五十代イケメン紳士がそんな表情をしても、ギャップ萌えとかしないからヤメロ!


「おぞましいモンを記録すんな――っ!」


「おぞましいなんて、とんでもありません! これは素晴らしいものです! 学園の、いえ人類の宝と言っていいほど……っ!」


 シノさぁ――ん!? しっかり! しっかりして!? 姉貴に毒されすぎ――っ!


「とにかく! 目に余るようだったら、リオンハルト達に言って、生徒会室を出禁にしてもらうからなっ!」


「……つまり、人目のないところで二人きりでいちゃいちゃしたい、と?」


「っ! それはそれで素晴らしゅうございますね! さすがハル様! 萌えの体現者……っ!」


 ぼそり、と呟いた姉貴の言葉に、シノさんが瞳を輝かせて感動の声を上げる。


「違うからっ! 頼むから曲解しないでっ!? 何だよ、萌えの体現者って! そんなの絶対、体現なんかしないからなっ!」


 俺の血を吐くような叫びをよそに、姉貴とシノさんはきゃっきゃきゃっきゃと盛り上がっている。


「放課後、ディオスと二人っきりの生徒会室で……」

「夕暮れに照らされて、二人の影が寄り添うように床に伸びているんですねっ」


「そう、向かい合って、でも視線は合わせないで……。ハルシエルがねたように言うのよ。「日が高いうちは、みんなの副会長だってわかっています。けれど、今だけは私だけのあなたでいてほしいの」って……」


「きゃ――っ♡」


「で、ディオスが甘く微笑むわけよ! 「きみはワガママですら愛らしいんだな」って。ディオスの大きな手がハルシエルの頬を包んで、二人の距離がそのまま――」

「わたくし、尊さのあまり気絶してしまいそうです!」


「だからっ! おぞましいモンを想像させんな――――っ!」


 俺の叫びは、萌えを語り合う腐女子達の耳には、一片たりとも届かない。


 もうやだ。こいつらどんな都合のいい耳してるんだよっ!?


 姉貴達の萌え語りにこれ以上巻き込まれるなんて、絶対ごめんだ。


「いいか! ちゃんと俺は言ったからな!」


 俺はせめてもの抵抗で最後の捨て台詞を吐くと、姉貴達に巻き込まれないうちに理事長室を逃げ出した。

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