12 このイケメン紳士に逆らってはいけない予感がする


 学園に入学してから高級車に見慣れた俺でも、つい見入ってしまうような黒塗りの立派な車は、よく磨かれて鏡のようにぴかぴかしている。


 窓ガラスはスモークガラスになっていて、誰か乗っているのか、無人なのかすらわからない。車は俺達のすぐそばで止まる。


 今は下校時間だ。誰かの迎えの車だろうかと思っていると。


 リオンハルトとヴェリアスが急に姿勢を正した。


 車から降りた運転手が後部へ回り込み、恭しくドアを開ける。

 戸惑う俺をよそに、リオンハルトとヴェリアスが見事な所作で一礼する。


 ゆったりとした動作で車から降りてきたのは、五十代前半と思われる知的な容貌の紳士だった。


 ひげをたくわえた渋い顔立ちに、高そうな生地のスーツが、あつらえたように似合っている。ってゆーか、ほんとにオーダーメイドなんだろうな、これ。


 どこかで見たような顔の気がするけど……。


 この国の第二王子であり、生徒会長でもあるリオンハルトが頭を下げるなんて、お偉いさんであることは間違いない。


 俺も二人にならって、あわてて頭を下げる。と。


「きみがハルシエル君だね」


 突然、イケメン紳士に名を呼ばれ、俺は驚いて顔を上げた。


 濃いブラウンの目と視線が合う。

 人の上に立つにふさわしい穏やかな風貌。だが、瞳の奥に、こちらを見通そうとするかのような冷徹な光を感じ取り、俺は反射的に視線を伏せた。


「おっしゃる通りです。ですが、なぜ、私などの名前を……?」


 これが格の違いというやつなのだろうか。

 表情は穏やかなはずなのに――まるで、虎のあぎとの前に引き出されたかのように、恐怖に身がすくむ。


 俺の直感が告げていた。

 誰かは知らないが、この紳士に逆らってはいけない。これは勝てない相手だ、と。


 俺の問いかけに、紳士がにこやかに微笑む。


「この学園の理事長なら、きみの名前を知っていて当然だろう。外部から進学して、入学早々、我が学園の秀才、クレイユ君と同点一位になった才女の名前を」


「理事長……」


 そうだ! 入学式の時に壇上で訓辞を垂れていたイケメン紳士だ、この人!


 あの時は、『キラ☆恋』の世界に転生したショックで、ロクに話を聞いてなかったけど……。


 と、俺はこちらをじっと見つめる理事長のまなざしに気がついた。


 心の奥底まで見透かすような視線に、ぞわりと背筋が粟立あわだち、緊張に反射的に唇を噛みしめる。


「中学校からの通知表を見ると、中学時代は平均的な成績だったようだけれど……。爪を隠していたのかな?」


 何だろう……。顔はにこやかなのに、発される圧がすごい。

 中学校の通知表までチェックしてるなんて……っ! さすがにそこまでは考えが及ばなかった。


 っていうか、俺なんか疑われてる?


 と、不意に理事長が微笑んだ。

 同時に、威圧感も霧散する。


「それほど優秀な生徒なら、ぜひお茶会にも招きたいね」

「お茶会……ですか?」


 戸惑った声を上げると、すかさずヴェリアスが説明してくれた。


「月に何度か、理事長が功績のあった生徒を招いて開かれるんだよ。生徒の間じゃ招かれるのが一種のステータスになってるんだぜ? ま、オレ達生徒会役員や、中等部で生徒会に入っていたクレイユとエキューは常連だけど」


 つまり、お茶会に出席したら、嫌でも攻略対象キャラ五人と一緒……。

 嫌だ! 絶対出席したくないっ!


「私が今回、成績がよかったのはたまたまですのでっ! ですから、そんな名誉あるお茶会にお招きいただく資格なんてありません!」


「おや、謙虚なことだね」


 俺の言葉に、予想外の答えを聞いたと言わんばかりに、理事長が片眉を上げる。

 口をはさんだのはリオンハルトだ。


「ハルシエル嬢。謙虚は美徳だが、己を卑下ひげすることはない。たとえ、偶然であろうとも、きみが一位を取ったのは揺るがぬ事実だ」


 リオンハルトがとろけるような笑顔を見せる。


「それに、わたしはきみが来てくれたら嬉しい」

 リオンハルト! お前、余計なことを言うなっ!


「うんうん、オレも〜♪」

 ヴェリアス! お前も!


 思わずにらみつけると、穏やかな笑い声が聞こえた。理事長だ。

 すこぶる楽しそうに微笑みながら、理事長は俺達三人をゆっくりと見回す。


「リオンハルト君とヴェリアス君が、こうも熱心に誘うとは……。なかなか、興味深いね」


 いやっ、興味なんて一ミリも持たなくていいですからっ!


 っていうか……。やけにからんでくるよな、この理事長……。俺がプレイした時には、ほぼほぼ登場しなかったんだが……。


 もしかして、隠しキャラ? 年齢は離れてるけど、やたらとイケメンだし……?

 嫌だ! 若かろうが老いてようが、男に迫られる趣味はないっ!


「きみ達、学生と話しているのは心楽しい時間だが……。あいにくと、これから理事会があってね。悪いが、今日は失礼するよ」


 高そうな腕時計にちらりと視線を向けた理事長が、吐息交じりに告げる。


「また、お茶会に来てくれたまえ。……ハルシエル君。もちろん、きみもね」


 嫌だ――っ! 出たくねぇ――っ!


 俺が返事をためらっていると、理事長は気にした風もなく「では」と背を向けた。


 一礼して見送るリオンハルト達にならって、俺も軽く頭を下げる。そして、リオンハルト達が顔を上げるより早く。


「私、用事がありますのでっ! 失礼します!」

 この場に残ったらろくな目には遭うまいと、俺は後ろも見ずに逃げ出した。

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