4 きみを見かけて、思わず声をかけてしまったんだ
何事もなく午前中の授業が終わり。
(さー、昼メシ、昼メシ~っと♪)
俺はうきうきと鞄から淡いピンク色の巾着に入った弁当箱を取り出した。
聖エトワール学園は、一流シェフが腕をふるう、高級レストランと見まごうほどの立派な学食があるが、もちろん値段もお高い。
貧乏男爵家の娘である俺は、食費を抑えるために弁当だ。
とはいえ、オルレーヌ家の家政婦のマーサさん(御年五十四歳の三人の子持ち)が心を込めて作ってくれた弁当は、色どりもよくて、ものすごく美味しそうだ。
(ってゆーか、こんな小っちゃい弁当箱で腹がふくれるなんて、女子ってすげぇ……)
昨夜、家族で食卓についた時、テーブルの上に並ぶ夕食の皿を見て、絶対足りねえと思ったが、実際に食べてみると、食べきるのが苦しいほどだった。
常にどんぶりで飯を食う男子高校生の食欲と、おいおいこんなちょっとでほんとに身体が維持できんのか? って不安になる女子高生の食べる量の差はすごすぎる……。ほんとに同じ人間かよ。
そりゃ母ちゃんも「あんたが大きくなるにつれ、エンゲル係数が上がっていく!」って嘆くはずだよ。
でもしょーがないじゃん! 何もしなくったって腹が減るんだからさ!
ともあれ、うきうきと食べ始めようとして。
(……しまった。お茶を持ってき忘れた……)
確か、玄関のところに自動販売機があったはず……。と俺は財布を持って教室を出た。
乙女ゲームの世界といえど、『キラ☆恋』の世界は、現代と文明レベルがそれほど違わない。
助かった。中世ヨーロッパが舞台の不便で不衛生な環境だったら、俺、本気で泣いてたかも。
玄関を出たところで見つけた自販機は、路面電車と同じく、これまた妙に可愛らしいデザインだった。丸みを帯びたフォルムで、ピンクと白で塗られている。
が、お値段は可愛くない。
(いちごオレとかりんごジュースとか、マンゴージュースとか……。なんで売ってるのが甘い系ばっかりなんだよ……。しかも、特選だが高級だが知らねーけど、やたらと高いし……)
心の中でぶちぶちと文句を言いつつ、一番安いミネラルウォーターのペットボトルを買って、教室に戻ろうとしたところで。
「こんにちは。また会えたね」
聞き覚えのある甘く響くイケボに、俺は驚いて声の主を振り返った。視線の先にいたのは、予想通り、リオンハルトだ。
「こ、こんにちは……」
あいさつしつつ、俺は思わず一歩後ずさる。
昨日は不意を突かれて、お姫様抱っこをされたが、あんなのはもうごめんだ! っていうか、なんでこんなとこにいるんだよっ!?
「先輩も飲み物を買いに来られたんですか? なら、私はもう済みましたのでどうぞ……」
違うだろうと思いつつ、そそくさと退散しようとすると。
「そうじゃないんだ」
と、案の定否定された。
「心配だったものだから。きみを見かけて、思わず声をかけてしまったんだ」
「心配?」
何かリオンハルトに心配されるようなことがあっただろうか……?
さっさと会話を断ち切って逃げようと思っていた俺は、立ち止まってリオンハルトの言葉を待つ。
リオンハルトは、見る者を魅了せずにはいられない柔らかな笑みを浮かべた。
「昨日、出逢った時にふらついていたし、入学式の間も、ずっと顔を伏せていただろう? もしかして、体調が悪いのに入学式だからと無理をして出席していたんじゃないかと心配していたんだ」
あんな大人数の中、俺に気づいてたのかよ!? 四クラスまであるから、新入生だけでも百二十人はいるぞ?
あ、でも全員が顔を上げている中、一人だけうつむいてたら、さすがに目立つか……。
「だ、大丈夫ですよ! 今日はもう、元気ですから!」
俺は財布を持った手をぶんぶんと振る。
「そうだね。今日は顔色もよさそうだ」
くすりと笑みをこぼしたリオンハルトが、一歩踏み出す。かと思うと。
「咲き誇る桜の色を写し取ったように、愛らしい色だね」
リオンハルトの右手が、壊れ物にふれるように、そっと俺の左頬を包んでいた。
近い――っ! ちょっ! 近すぎっ! パーソナルスペース無視しすぎ――っ!
驚きに心臓がばくんと跳ねる。
俺の身体を心配するなら寄ってくんなっ! 今の行動の方が、心臓と精神に悪いわっ!
あれ、でも……?
緊張に固まった頭脳が、既視感を訴える。
リオンハルトのさっきの台詞、どっかで聞いた覚えが……?
そうだ! ヒロインの恋路を邪魔する悪役令嬢登場の時の――!
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