2 アオリ文句は「貴女はどのイケメンに攻略されちゃう!?」


 入学式が始まる直前、無人の男子トイレに駆け込んで見た鏡の中にいたのは、波打つ長い金の髪に紫の瞳の、外見だけはどこからどう見ても完璧かんぺきな美少女だった。


 神秘的な紫の瞳は、アメジストを溶かしたよう。蜂蜜色の金髪は緩く波打ち、愛らしい顔立ちをふんわりと彩っている。


 俺の好みからは外れるものの、まるでお人形のように可愛い顔立ちは、やはり、見知った顔――『キラ☆恋』のヒロイン、ハルシエル・オルレーヌのものだった。


 『キラ☆恋』にハマっていた姉貴が、設定画集まで買って見せつけてきてたから、間違うはずがない。


「ほんとに、『キラ☆恋』の世界に来ちまったっていうのかよ……っ」


 膝から床にくずおれそうになった俺は、ここがトイレだと思い出して、かろうじて耐える。

 とはいえ、さすがお貴族様用のセレブ校。トイレでさえ、目を見張るほど豪華だ。


 トイレなのになんかいい香りが漂ってるし、どこからかクラシックも聞こえるし……。


 『キラ☆恋』は現実の日本とそう大差ない文明レベルの世界を舞台にしている。

 っていっても、名前はみんなおフランス風だし、王国だし、貴族だっているんだけど。


 現実を直視したくなくて、うつむく俺の耳に、間もなく入学式が始まるという校内放送が入る。


「やばっ、一応、式には出ておいた方がいいよな……?」


 これが夢でないのなら、さすがに入学式を無断欠席するのは新入生としてマズイだろう。悪目立ちは避けたい。



 ぎりぎりで駆け込んだ講堂もやはり、既視感あふれる建物だった。


 ダンスパーティでも開けるんじゃないかと思える立派な内装に、ああ、そういやラストの告白イベントに、講堂で開かれるダンスパーティーがあったっけ……。と思わず遠い目になる。


 担任の指示に従い、クラスごとに割り当てられた席につく。


 つつがなく入学式が執り行われている間も、俺はうつむいて頭を抱えていた。


 壇上では、攻略対象キャラでもないくせに、なぜかやたらとイケメン紳士な理事長の、ありがたくも長い新入生歓迎の訓辞がとうとうと語られていたが、そんなもの、耳に入るわけがない。


(俺、ほんとに『キラ☆恋』の世界に転生しちまったのか……?)


 リボンを結んで綺麗に整えられた金の髪をかき乱したい衝動を必死でこらえながら、俺は顔を伏せてぶつぶつと呟く。


 『聖エトワール学園キラ恋☆綺譚~綺羅星のイケメン達との甘い恋~』はタイトル通り、乙女ゲームだ。


 聖エトワール学園に入学したヒロイン・ハルシエルが砂糖まみれの台詞を吐きまくるイケメン達と恋を育んでいくという、乙女ゲームとしては王道ど真ん中なストーリーが展開される。


 なぜ、男子高校生の俺が乙女ゲームを知っているかというと、俺の趣味――というわけでは、もちろんない。

 ゲームは好きだが、俺の好みはRPGとかアクションゲームだ。


 『キラ☆恋』は腐女子であることをはばからぬ姉貴命令で、「萌え語りをする相手が足りないから、ハル、あんたやりなさい!」と、強制的にやらされたのだ。


 くそっ、姉貴め! 俺より二年早く生まれたからって、横暴すぎるんだよ! ……本人を目の前にしたら、怖くて言えないケド……。


 っていうか、家族はどうなったんだろう……?


 俺が最期に覚えている光景は、親父が運転する車で、高速道路で走っていたことだ。


 あ――っ! そういや、昼飯は親父が奮発して、めっちゃ高い肉を食うハズだったんだよ……っ! くそう、せめて、いい肉をたらふく食ってから死にたかった……。


 っていうか! 俺が死んで異世界転生したとして、だ。


 なんで異世界ファンタジーじゃなくて乙女ゲームなんだよ!? しかも正ヒロインっ!? せめて攻略対象キャラのほうだろ! 男子高校生だぞ、俺っ!?


「きゃ~~~っ♡」


 黄色い声が響き渡って、うつむいていた俺は顔を上げた。


 たぶん、ありがたいだろう訓辞を垂れていた無意味に美形な理事長はいつのまにが壇上から消えていて、代わりに登壇していたのは、さっき会ったばかりのリオンハルトとディオス、そして、ダークブラウンの髪に珍しい紅の瞳のもう一人の男子生徒だ。


 司会役の生徒がマイクで聖エトワール学園の生徒会役員だと三人を紹介する。

 嫌な予感の通り、三人目の男子生徒も、やはり見知った顔だった。


 ヴェリアス・ギムレッティ。


 たしか、なんであいつが生徒会役員なんだよ! ってプレイしながらツッコんだチャラい系だった気が……。


 イケメンが三人並んで壇上に立つ姿は、華やかの一言で、これで着ているのが藍と灰色を基調にしたブレザーじゃなければ、アイドルのコンサートかと思うところだ。


「あれがリオンハルト様……。なんて素敵な方かしら……っ」

「ディオス様の凛々しい立ち姿……。眼福ですわ」

「ヴェリアス様があちらこちらに笑顔を! 視線があったら嬉しくて気を失ってしまいそう……っ」


 などなど、そこかしこから、女生徒がきゃあきゃあさざめいている声が聞こえる。


 設定上は聖エトワール学園は貴族の子弟が通うセレブ校となっているので、耳に入ってくる囁きも上品なものだが。


 マイクが置かれた壇上の卓へ一歩進んだリオンハルトが、ゆっくりと講堂に座る新入生達を見回した。


 高貴な気配に圧されたように、さざめいていた生徒達が、しん、と静まる。と。


(――あ)


 澄んだ碧い瞳と目が合った瞬間。

 にっこり、とリオンハルトがとろけるような笑顔を浮かべる。


 きゃ――っ! と沸き立つ歓声と、何人かが失神してくずおれる音。


「リ、リリリリリリオンハルト様がっ!」

「なんて麗しい笑顔っ!」

「わたくし、今、天国を垣間見ましたわっ!」


 一瞬で周りが沸き立つ中、俺は勢いよく顔を伏せ、自分の腕で我が身をかき抱いた。


 何だアレ何だアレ何だアレっ!?


 やばいっ!

 うまく言葉にできないけど、なんかものっすごくヤバイ気配がする――っ!


 震えながら、俺は必死で『キラ☆恋』をプレイした時の記憶を引っ張り出す。


 攻略対象キャラのイケメン達が勢ぞろいしたパッケージに書かれていたアオリ文句は確か――、


「あなたに恋するイケメン達がぐいぐいきちゃう! 糖度200%! 貴女はどのイケメンに攻略されちゃう!?」


 くそっ、こっちが攻略する側じゃなくて、側かよっ!


 そういや、学園内でどっかに移動するたびにイケメンが現れて、砂糖まみれの台詞を吐いて迫ってきてたよ!


 王子様に迎えに来てほしい乙女の夢が詰まってるんだろーが、そんなの知るか! もっと肉食になって、獲物を狙う猛禽もうきんみたいに自分からぐいぐいいけ、乙女っ!


 今すぐ走り去りたい衝動を理性でこらえる。


 入学式の只中ただなかに奇声を上げて走り出すなんて、目立つことこの上ない。確実に、頭のネジが外れた奴だと思われる。


 もし本当に乙女ゲームの世界に転生したんなら、入学初日から変人一直線コースは避けたい。さすがに三年間ボッチは心が折れる。


 小市民な俺としては、波風立てずに人生を過ごしたい。

 本当にこの世界に転生してしまったのだとしたら、なおさらだ。


(……もしかして、これは俺が見てる夢で、目が覚めたら現実に戻っていないかな……?)


 無理だろうと思いつつ、リオンハルトのスピーチもそっちのけで、俺はひたすら祈っていた。

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