世界の果てで溶けていく
清野勝寛
本文
世界の果てで溶けていく。
「付いてくんなよ」
「だって……」
視界の殆どが銀色に染まっている。しんと静まり返った道を踏みしめる度、ザク、ザクという音が鬱陶しい。自分の音に合わせて、もう一つ、ザク、ザクと音が付いてくるのにムカついて振り返り、音の根源に声を張る。しゅんと肩を落としながらも、そいつは俺から離れようとはしなかった。
子ども扱いするな、と声を荒げて家を飛び出した。その台詞を言った時点で既に子どもであるということは理解しているのだが、そうでも言わないと家族は俺にいつまでも小言を言い続けるだろう。感謝していないわけではないが、要らぬ心配なのだ。
あと数か月で高校を卒業して、一人上京する。こんな田舎町とも縁を切ることが出来る。俺は一人でなんでも出来る。だから、煩わしい。
「俺のことなんていいから、姉さんは自分の心配してろよ」
「……うん」
姉はあと一か月ほどで「予定日」だった。だから、出歩くのだってしんどいはずなのに、俺にかまっている場合ではないのに、俺の後ろを延々と付いてくる。それで体調を悪くしたらどうするんだ。もう一人の体ではないだろうが。なんてことは、その原因を作っている俺が言えることではない。
空から銀色がゆっくりと落ちてくる。街灯の光に照らされて、夜の帳に輪郭を映している。このまま降り続ければ、明日はまた積るだろう。早朝の重労働を思って辟易する。
「帰るぞ」
仕方なく踵を返し、家に向かう。後ろから笑い声が聞こえる。
「なんだよ」
ムッとして強い口調で問う。姉は俺の気持ちなんて知る由もなく、口元を隠すようにしながら微笑んでいた。
「やっぱり、優しいなって」
「……うっせ」
胸の奥がぎゅ、と締め付けられる。昔から鈍感な姉だった。よく言えばおおらかな性格だとも言えるが、その性格のせいで俺が苦しんでいるということをこの人は知らない。旦那は良く出来た人間で、姉には勿体ないような人だと感じるほどだ。裏を返せば、この人がいれば姉はきっと幸せでいられるとも言える。何の文句もない。それなのに、俺はどうしても、二人を心の底から祝福出来ないでいた。俺の知らない姉の姿を、彼はたくさん知っている。俺の知らない二人の姿を想像してしまう。苦しかった。そのせいで、二人と顔を合わせるのが気まずくて、出来る限り避けるようになった。
俺の後ろを、姉が付いてくる。静かな夜だ。田舎ではあるが、丘陵から見下ろす市街地からの淡い光は、それなりに綺麗だと思う。冬の夜は人通りも少なくなる。つまり今は、姉と二人きりだ。
「あのさ」
足が止まる。今なら、素直に言えるだろうか。いや、伝えたところで、何かが変わるわけではない。それに、姉はきっと困ったように笑うか、見当違いの答えを返すかのどちらかだろう。それなら、俺の中にあるこの感情は、墓場までずっと持っていくべきものだ。伝えてはいけない。
「どうしたの?」
立ち止まった俺の顔を後ろから覗き込もうとしてくる。それを躱すように一歩前に出た。
「……本当に、俺のことなんて気にしなくていいから、自分の家族のことだけ、考えろよ。今までとはもう、違うんだからさ」
馬鹿か、俺は。これではかまってくれと言っているようなものではないか。いたたまれなくなり、答えを待たずに歩き出す。
「そんなの、無理だよ」
「え?」
姉の声に思わず振り返る。姉はいつものように優しく微笑んでいるように見えるが、俺には分かる。姉は困惑していた。その表情を見て、また胸が苦しくなる。俺は姉を、困らせてばかりだ。
「だって、家族だもの。結婚しても、子どもが生まれても、私があなたの姉であることは、この先一生変わらないんだから」
「……ごめん」
「ううん、ありがとう。心配してくれてるんだもんね。やっぱり、優しいよ」
ああ、胸が苦しい。けれど、俺の中にあった靄のようなものは、いつの間にかなくなっているように感じた。だからこれは、最後に残った俺の本心を、口に出せないというもどかしさからくる苦しさなのだろう。
「早く帰ろう、風邪なんて引いたら大変だ」
「うん、そうだね」
夜の静寂に、二人の足音が響く。まるで世界の果てのようだと、柄にもないことを考える。
雪は音も立てずに、世界を白く染めようとしていた。
世界の果てで溶けていく 清野勝寛 @seino_katsuhiro
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