デッドライン・オーヴァー

柏木倫

プロローグ

「ちょっと買い過ぎたかな……」


 沈み行く夕陽を背に両手に買い物袋と鞄を持ちながら、俺は軽く後悔していた。家までの距離はここから10分程だが、この重さだと流石にシンドイ。

 だが、仕方ない。なんてったって、今日は一年に一度しかない大事な妹の誕生日なのだから。


「事前に然り気無くリサーチして、今一番欲しいであろうモノも買ったし。これをプレゼントすればきっと喜ぶ、ハズ……だよな?」


 去年は親とプレゼントが被って失敗したが、今年は大丈夫だ。

 被らないように親に確認も済ませてある。


 喜ぶ妹の顔を思い浮かべ、自然と頬が緩む。

 そう。俺は自他共に認める重度のシスコンだ。

 妹の為ならば、例え火の中水の中……死ねと言われたら死ぬまである。


 だが、最近は悲しい事に俺のことを露骨に避けている。顔を合わせれば顰めっ面、声を掛ければうるさいと言葉が返ってくる。

 反抗期なのか。そうなのか。


 それでも、この日は朝から機嫌が良い。

 きっと誕生日だからだろう。

 ならばと気合を入れて、以前のような仲良し兄妹に戻れる様に頑張るだけだ。


「しかし……重いな」


 近所の公園に差し掛かり、ベンチが目に入る。

 急ぎって訳でもないし、少しくらい休んでも構わないか。


「よっこいしょっ、と」


 ドサリ。両脇に買い物袋を置いて、一息吐く。

 しばしの開放感に浸りながら、段々と暗くなる茜空を見上げた。

 浮かぶ大小様々な雲は見ようによっては人であったり、また動物であったりとその形は千差万別。


 昔、妹と二人で帰った日の夕方に見上げた空もこんな感じだったっけな。

 何だか懐かしい感じがして、途端に妹の顔が見たくなった。家に帰ればいつでも会えるというのに。


「っし、帰るか!」


 勢い良く立ち上がり、再び買い物袋と鞄を手に帰路に着く。

 後五分もすれば、家に着く。

 時折すれ違うサラリーマンや同じ学生達を横目に、住宅街を進む。


 途中、帰宅途中の父さんと会わないだろうかと思っていたが、そういう事もなく家まで辿り着き、玄関扉を開けようと鞄から鍵を取り出して──ふと、違和感に気付く。

 静かだ。異様なまでに、静かなのだ。

 普段ならば庭の方にある犬小屋で寝ているペットの小太郎が家族の帰りを喜んでかキャンキャンと吠えるのだが、今日は一切吠えない。寝ているのだろうか?

 そう思い、鍵を差し込みロックを解除する。


「あれ。閉まってない」


 手応えから鍵が掛けられてない事に気付いて、俺は首を傾げた。

 戸締りはきちんとする様に! と口酸っぱく言う母さんの影響で家族みんながしっかりと鍵を閉じるというのに、今日は何故だか開いていた。

 誕生日だから浮かれていたのだろうか。


「……たまたまだよな」


 妙な違和感。それは焦りへと繋がり、少し慌てたように扉を開いて──違和感は確信へと変わる。


「何だよ、これ?」


 白い壁に飛び散る真っ赤な跡。

 それと鋭利な物で斬り付けられたような跡が多数見られ、床には血のようなものが点々とリビングへと繋がる扉の先に続いていた。


「──っ!!」


 ヤバイ。何が何だか分からないけど、とにかくヤバい! 急がないと、手遅れになる気がする!

 靴も脱がずに走り出し、扉を開け放つ。


「…………」



 テーブルは叩き割られ、広い庭が一望出来る窓も同じ様に割られている。壁には玄関と同じく斬り裂かれた跡がいくつもあり、まるで暴力の嵐が過ぎ去った後のような、酷い有様だった。


 そしてその惨劇の中心にあったものは、母さんと父さんと、妹の──。


「……は、はははっ、何だ。ドッキリか。いやー、ビビったよ。家をこんなに荒らしてまでやるなんて、流石にビックリだよ」


 笑う。目の前の光景はニセモノだと決めつけて、俺は笑う。

 そうだ。これは全部ドッキリで、寄り添い合うように息絶えた亡骸は、作り物なのだ。精巧に作られた、マネキンか何かだ。


「もう充分驚いたからさ、そろそろドッキリ大成功の札を持って出て来てくれよ。なぁ」


 静寂が包む中、俺の声だけが空虚に響いている。

 誰の返事もない。人の気配は、そこに微塵も感じられない。


 鼻を塞ぎたくなる様な濃い血の匂いも、目を覆いたくなる様な凄惨な光景も、何もかも。

 その全てが現実であると、受け入れまいとする自分に自分自身が語り掛ける。


 力無くその場にへたり込み、床に転がる潰れたプレゼントの箱を拾い上げた。


 包みが裂け、見えたのはドギツいピンクのスマホケース。妹がピンクがあまり好きじゃないと知っている筈なのに、父さんは決まってピンクのものを買ってくる。

 女の子はピンクが好きだろうと決め付けて。

 だが、妹はそれでも嬉しそうに毎回受け取っていた。

 その傍に、同じくらいの大きさの包みを見つけて手に取る。

 踏みつけられたのか、中に入っていたブラウンカラーの腕時計は割れて時間が止まっている。


 その二つを手に取り、玄関に置いたままの鞄から妹に渡す筈だったプレゼントの箱を取り出して、覚束ない足取りのまま家族の亡骸へと歩み寄る。


 まるで寝ている様な、そんな穏やかな表情へと手を伸ばし──触れた頬の微かな温もりに、僅かながらの希望を抱いた。


「梨華……? 梨華! 聞こえるか!?」


 必死になって呼びかける俺の声に、ピクリと目蓋が動いた。


「……おに、いちゃん」


 酷く掠れた声。

 けれど確かにその言葉は耳に届いた。


「梨華! 良かった……待ってろ、今救急車を呼ぶから!」


 自然に溢れる涙を拭いながら、慌ててポケットの中にあるスマホを取り出して、119を押す。

 震えた手を抑え、すぐに住所を伝えて妹の方へと目線を移した。


 大丈夫だ。きっと、助かる筈だ。

 父さんも母さんも生きている。そうだ。

 諦めなければ必ず助かる。

 手を握り締めながら、強くそう念じる。


「……怖い、よ」


 だが、そんな思いも虚しく最後に力無く言葉を吐いて、そのまま。


「あ……あぁ……うああぁぁぁあ!!!」


 これは──悪い夢だ。

 叫びながら、自分にそう言い聞かせる。


「騒がしいと思ったら……なんだ。何処かに隠れていたのか」


 どこからとも無く現れた長身の男はそう言いながら、白磁の肌にこびり付いた血の跡を舐め取った。

 そしてその傍らには、対照的に小柄な少女の姿がある。

 二人は共通して黒いローブを羽織っていた。

 顔立ちは若く、異様なほど整っている。

 何よりその目は暗がりに朱色に輝き、人ではない事が容易に窺えた。


 異様なまでに冷静な頭のままそう判断して、俺はその二人組を力無く見上げる。


「なんだその目は。死にたいのか? そうか。ならば、その望みを叶えてやろう」


 一方的な解釈だ。だが、もうどうでも良い。

 皆、死んだんだ。寧ろ生きてても辛いだけだ。


 一歩、二歩。軽やかな足取りでこちらへと歩み寄る男。その手にはいつの間にか鋭利な刃物が握られていた。


「安心しろ。そこの男の様に抵抗しなければ楽に殺してやる」


 父さんを一瞥し、忌々しげに頬を摩る。

 そうか。父さんは戦ったんだ。気が弱い筈なのに。皆を守る為に。


 それなら俺は? 守る人なんて、もう居ない。

 でも。それで良いのか?

 コイツは皆を殺した。なら。

 一矢報いてやろうじゃないか。


 刃を振り上げて、振り下ろさんとするその瞬間。

 タックルする形で男へと突っ込み、床に倒れ伏した。

 そのまま勢いのまま拳を振り上げて、その綺麗な顔にありったけを叩き付けた。


「うぐっ……!」


 ジンジンと痛む拳のまま、何度も何度も振り下ろす。力が続く限り、何度だってやってやる。


「くはっ、はははっ! 痛いじゃないか」

「……っ!」


 けれどそれは、何の意味も為さなかった。

 何度殴ろうとも男は無傷のまま。

 いや、違う。赤くなった箇所が、目に見えて癒えていく。


「お前、アイツの息子か。どおりで似ていると思ったよ。まぁ家にいたのだから当然と言えば当然か」


 その様子を黙って見ていた少女が音も無くこちらへ歩み寄り──次の瞬間、俺の身体は庭の方へと投げ飛ばされていた。


 背中から地面に打ち付けられて、肺の中の酸素が吐き出される。

 同時に呼吸が出来なくなり、芝生の上をのたうちまわるしか出来なかった。


「あぁそうだ。犬も殺しておいたよ。キャンキャンと吠えて煩かったからなぁ」


 息苦しさに悶えながら、犬小屋の方へと目をやる。

 見えたのは、力無く横たわる小太郎の姿だった。


「な、んで……」


 ──こんな事を。

 言葉は続かず、喉元を押さえてなんとか呼吸をしながら男を見上げた。


「何で? そうだな。強いて言うなら、幸せそうだったから、かな?」

「なんだよ、それ……」


 なんで。そんな理由で人が殺せるんだ?

 狂ってる。コイツは、いや。コイツらは狂っている。


「まぁ、そういう訳だ。血はストック分も充分確保出来たし、もう必要は無いんだが……見られた以上は、そのままって訳にもいかない」


 そう言って小柄な少女へ目配せすると、彼女はあろう事か自らの手首を噛み、滴る血を瞬時に鎌の様な形へと変えた。

 それはまるで魔法の様で、夕陽と入れ替わりに顔を出した月が、その鋭利な刃を淡く照らし出していた。


「じゃあ、俺は先に行く。後始末は頼んだぞ」

「はい。畏まりました」


 機械の様に無機質な声で、男へと言葉を返す。

 淡々とした足取りに、一切の感情は無い。

 だが、俺を見下ろすその表情は、少し哀しげに見えた。

 

「……ごめんなさい」


 最後にそう呟くと、鎌を振り上げて──胸から腹に掛けて斬り裂いた。



 身体は支えを失った様に後ろに倒れ、月を見上げる格好に。

 ドクンドクンと脈打つ心臓の鼓動がやけに大きく聞こえて、それが次第に弱まっていくのを感じた。

 痛みは不思議と無くて、ただただ寒い。


 でも。これで、皆の所に行ける。

 一人じゃないんだ。

 そう思うだけで、死への恐怖は一切無かった。


 目を閉じる。

 聞こえて来るのは、サイレンの音。

 薄れ行く意識の中、目蓋の裏に広がる景色は皆で食卓を囲む幸せなもので。

 きっと。また皆で一緒に笑い合える。

 そう信じて、俺は意識を手放した。

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