最後の竜騎士(四)

 旧ラウテンヴェルク市街――。

 かつて大竜公の宮殿シュロスを中心に栄えた美しい街並みは、ポラリア軍による執拗な爆撃によって無惨な焼け跡と化した。

 戦前は一晩じゅうきらびやかな街灯に照らし出されていた大都会は、いまでは日没とともに闇の帳に閉ざされる。


 一面に墨を流したような夜闇のなかで仄かに光が揺らめいた。

 焚き火だ。

 見る影もなく破壊された陸軍参謀本部のロビーに浮浪者たちが集まり、ささやかな火を囲んで車座になっているのである。

 若者もいれば老人もいる。まだ年端も行かない子供さえも。誰もが戦争によって住処と仕事と家族を失い、あてもなくさまよううちにこの場所に辿り着いたのだ。

 どの顔にも疲労と諦めの色が濃い。

 今日に何かを成した訳でもない。明日に望みがある訳でもない。

 ただ一日一日を生きることが彼らに課せられた戦いであり、生命あるかぎり続く苦役でもあった。


 ふいにひとりの男が頭上を指さした。

 いったい何事かと全員が天を仰ぐ。

 どこからか奇妙な音が聞こえる。

 始めは気のせいかとも思ったが、音はじょじょに大きくなっている。次第にこちらに近づいているらしい。

 数秒と経たないうちに、それはおもわず耳を覆いたくなるほどの騒音へと変わった。

 その直後、すさまじい速度で彼らの頭上を通過していったのは、漆黒と紺青色コバルトブルーに彩られた二機の戦闘機だった。


***


≪このあたりでいいだろう――――≫


 無線機越しにシュローダー大佐が告げる。

 第六◯六戦闘航空団ヤークトゲシュバーダーの飛行場を離陸したサラマンドラとファイアドレイクは、旧ラウテンヴェルク市街の上空へと進路を取った。

 飛び立つまえに、この場所を決闘の舞台とすることを決めたのだ。


 戦闘機乗りにとって、戦いの舞台はあくまで空である。

 たとえ地上で敵を殺す機会があったとしても、それでは勝ったことにはならない。みずからの誇りに泥を塗る行為にほかならないのだ。

 ユーリとシュローダー大佐も同じだった。

 二人はパイロットとして決着をつけるべく、いくつかの取り決めを交わしている。

 

≪大尉。分かっているだろうが、ルールは……≫

「あんたを振り切ることが出来れば俺の勝ち。俺を撃墜すればあんたの勝ちだ」

≪そうだ。たとえ丸腰の相手だろうと、手加減はしない≫


 ユーリのサラマンドラに一切の武装が搭載されていないと知っても、シュローダー大佐は驚かなかった。

 とはいえ、武装した戦闘機と非武装の機体とでは空戦は成立しない。

 サラマンドラの側はというルールを設けることで、両機は初めて同じ土俵に立つことが出来たのだった。


≪すぐに決着がついては面白くない。せいぜい楽しませてくれよ、大尉≫


 ファイアドレイクは両翼に十二・七ミリ機銃を六門、機首に二◯ミリ機関砲を四門装備している。

 ポラリアで改修を受けた際に、サラマンドラの最大の武器であるプロペラ同軸の四◯ミリ機関砲は撤去済みだ。もともとこの武装は破壊力こそ桁外れだが反動がおおきく、独特な弾道特性を有することから、空中で敵機に命中させるためには高度な技量を必要とした。さらに装弾数も十五発と使い勝手が悪いため、対爆撃機あるいは対地攻撃用の武装と割り切って運用するパイロットも少なくなかったのである。

 総合的な火力は原型機サラマンドラよりも低下したものの、ファイアドレイクは小口径の火器を多数装備することで、高密度の射撃を可能としている。

 ジェットエンジンの大推力を活かした一撃離脱戦法ヒット・アンド・アウェイには最も適した武装であった。


 二機はもつれ合うようにめまぐるしく位置を変えながら、旧市街上空を東へと飛ぶ。

 高度三千メートル。

 サラマンドラが急上昇。反転宙返りの態勢に入る。

 いったん高度を稼いでから急降下し、位置エネルギーを速度に変えようというのだ。

 ファイアドレイクもすかさずその後を追う。

 サラマンドラよりわずかに大回りなのは、ファイアドレイクのほうが機体が重いためだ。非武装で弾薬も積んでいないサラマンドラに対して、ファイアドレイクは完全武装のうえにジェットエンジンの重量も加わっている。

 アルモドバル二十四気筒液冷発動機エンジンの爆音が混じり合い、廃墟の町を震わせる。

 異なる轟音が響き渡ったのはそのときだった。

 ファイアドレイクのジェットエンジンが始動したのだ。

 機体後部に設けられた噴射口ノズルが青白い炎を吐き出し、夜空にあざやかな軌跡を描き出す。

 その姿は、まるで逆流れに天へと昇っていく流星のよう。

 試作段階のジェットエンジンは信頼性に乏しく、それゆえ旧来の発動機との併用を余儀なくされた。

 二種類の動力源を搭載する複合型ハイブリッド戦闘機であるファイアドレイクは、重量増加とピーキーでデリケートな操縦特性という欠点をもつ一方で、従来機にはない強みを得ることにもなった。

 発動機とジェットエンジンを合算すればおよそ五◯◯◯馬力にも達するすさまじいパワーだ。

 戦闘機はおろか、四発重爆撃機の総出力にも匹敵する圧倒的な出力である。

 ファイアドレイクへの改修に際してただでさえ頑強なサラマンドラの機体は徹底的に補強され、ありあまるパワーを受け止めることが可能となっている。

 

 爆発的な加速に後押しされたファイアドレイクは、力任せに軌道を修正し、サラマンドラの後方を占位する。

 機首の二◯ミリ機関砲と両翼の十二・七ミリ機銃から十条の火線が迸った。

 曳光弾が混じった銃砲弾は闇夜を切り裂き、サラマンドラへと殺到する。

 上昇中の機体は挙動に制限がかかる。

 サラマンドラは回避することも出来ず、猛烈な砲火を浴びて撃墜されるはずであった。


≪ほう――――≫


 シュローダー大佐は心底からの感嘆の声を漏らす。

 銃砲弾が命中する直前、サラマンドラは見えない手に引っ張られるように下降へと移っていた。

 ユーリは片翼だけフラップを下げ、意図的に翼端失速を招いたのである。

 サラマンドラに搭載されている自動空戦フラップは、”竜のドラッフェンブルート”と呼ばれる流体制御システムにより、速度と機体の姿勢に応じて最適な角度を取る。あえてその機能を停止し、コクピットから操作することで、任意の角度で固定することも可能なのだ。

 ユーリは錐揉みに入りかけた機体を危なげなく立て直し、ファイアドレイクから距離を取る。


≪やるな、エレンライヒ大尉。そんな曲芸をどこで教わった?≫

「あんたがやっているのを見様見真似で覚えただけだ」

≪嬉しいことを言ってくれるな。お前を殺すのが惜しくなってくるよ≫


 シュローダー大佐は剽気たように言って、無線機の向こうで乾いた笑い声を上げる。


≪あの日、エルバ・エスカの基地に辿り着いたのはお前の機体だけだった。その理由を教えてやろうか、大尉≫

「なんの話をしている」

≪他の隊員はひとり残らず俺が撃ち落としたからだよ。サラマンドラをポラリアに手土産として持っていくなら、数は少ないほうがいい。それに、あいつらはとうとう俺の求める水準に到達しなかった。だからこの手で処分した≫

「くだらん冗談はやめろ、大佐!!」

≪すべて本当のことだ。竜騎士ドラッフェンリッター計画の真の目的は、サラマンドラとエースパイロットの集中運用なんかじゃない。それは空軍のお偉方の首を縦に振らせるための方便だ≫


 サラマンドラとファイアドレイクは旧市街の上空を縦横無尽に駆け巡る。

 凡百のパイロットなら操縦するだけで手一杯のところだが、無線機越しの会話は一向に途切れない。


≪竜騎士計画は、言ってみれば俺の模倣品エピゴーネンを作るための実験だ。見込みのあるパイロットを六◯六ロクマルロク戦という実験場に集め、俺が構築した空戦理論と戦術論を叩き込み、実戦を通してそれが正しいことを証明する……≫

「俺もその一人だったと言いたいのか?」

≪分かっているじゃないか、ユリアン。お前はあの計画が生んだ最高傑作と言っていい。だからお前だけは生かしておいてやった≫


 二機は地上すれすれまで降下する。

 右手には大通りを跨ぐようにそびえる凱旋門がみえる。

 祝福ゼーリヒカイト門とも呼ばれるそれは、かつて大竜公国によるアードラー大陸の統一を記念して作られた国家のシンボルとでも言うべきものだ。

 大理石がふんだんに使われた白亜の門は、焼夷弾の直撃を受けて焼けただれ、いまでは見る影もない。

 その惨たらしく変わり果てた姿は、大竜公国という国家の死骸そのものだった。

 サラマンドラとファイアドレイクは凱旋門の上空を旋回する。


≪最後にもう一度だけ聞く。俺と一緒にポラリアに来るつもりはないか?≫


 シュローダー大佐の声色は不気味なほど穏やかで優しげだった。


≪お前なら俺の代わりも務まるだろう。俺たち戦闘機パイロットにとって国などどうでもいい。俺とお前なら新しい時代を作っていけるはずだ≫

「やめろ、大佐。俺はあんたの作品でも模倣品でもない」

≪強がりを言うものじゃない。ユリアン、本当は俺に見つけてほしかったんだろう? だからサラマンドラを使って郵便屋など……≫

「……ちがう」


 ぽつりと呟いて、ユーリは血がにじむほど強く唇を噛む。


「俺には俺の生き方がある。あんたの思う通りにはならない」

≪残念だ。やはりお前にはここで死んでもらうしかないようだな、ユリアン≫

「やれるものならやってみろ」


 会話が終わらぬうちに、銃撃音がサラマンドラを掠めていった。

 いつのまにか射角に入っていたらしい。十二・七ミリ機銃の猛火が襲いかかる。

 ユーリは操縦桿とフットペダルを巧みに操り、とっさに回避行動を取る。

 するどい衝撃が機体を揺さぶった。

 被弾したのだ。

 なおも機体を動かしながら、ユーリは首を巡らせて損傷部位を確認する。

 左の水平尾翼が根本からちぎれかかっている。

 かろうじて脱落には至っていないが、昇降舵エレベーターとしての機能はほとんど失われている。

 たとえ水平尾翼を失ったとしても、主翼の補助翼エルロンが無事なら機体のピッチコントロール自体は可能だが、運動性はどうしても低下する。

 大竜公国空軍のトップエースを向こうに回して、傷ついたサラマンドラでどこまで戦えるのか。

 すばやく機体を立て直すユーリに、シュローダー大佐はなおも語りかける。

 

≪お前を見つけ出してやったのも、六◯六戦で手塩にかけて育ててやったのも俺だ。それなら、始末するのも俺の務めというものだ≫

「本当に恩着せがましい男になった。それがポラリアの流儀か?」

≪その憎まれ口も聞けなくなると思うと寂しいよ≫


 ふたたび銃火が走った。

 操縦桿を引き、機体を起こした瞬間、ユーリの視界の片隅で閃光がまたたいた。

 巨大なハンマーで殴られたような衝撃がコクピットを震撼させる。

 またしても被弾した。今度は右の主翼。逆ガル翼の先端が跡形もなく吹き飛んでいる。

 飛び散った破片が風防を粉砕し、冷たい夜風がコクピット内で渦を巻く。

 二◯ミリ機関砲が命中したのだ。

 徹甲弾ではなく、近接信管を備えた炸裂弾である。

 標的をほんのすこし掠めただけで爆発し、甚大なダメージを与える。

 ユーリは反射的に計器に視線を走らせる。

 燃料漏れを知らせる警告表示灯は点滅していない。

 翼内の燃料タンクに損傷が及ばなかったのは不幸中の幸いだった。

 もしガソリンに引火すれば、いかにサラマンドラといえども撃墜は免れない。


≪運のいい奴だ。だが、そろそろ諦めたほうがいい。その機体ではファイアドレイクからは逃げ切れん≫


 シュローダー大佐は心底から残念そうに言って、ふっとため息をつく。

 丹精込めて育てた家畜を屠殺するような、愛情と殺意がないまぜになった奇怪な感情。

 当の大佐自身でさえ、その感情を形容する言葉を持たない。

 

 ユーリはファイアドレイクからすこしでも離れようとする。

 操縦桿がいやに重い。こころなしか発動機エンジンも息をついているようだ。

 気づかないうちに水平尾翼と主翼以外にも被弾したのかもしれない。

 どれほどすぐれた性能を持っていようと、サラマンドラはしょせん機械だ。

 破壊されればその分だけ性能は低下し、致命的な損傷を被れば飛び続けることは出来なくなる。

 祈ったところで、機械が人の想いに応えることはない。

 

(終わりか――――)


 ユーリはフライトジャケットの内ポケットに手を差し込む。

 フライトグローブの指先に硬いものが触れた。

 テオから貰ったお守り袋。

 袋の中心には細長い鉄片が突き刺さっている。

 砕け散った主翼の破片だ。

 ユーリの身体を貫くはずだったそれは、お守り袋に阻まれて止まった。

 まだ生きていてもいい――破れたお守り袋は、ユーリにそう告げているようだった。

 深く息を吸い込み、ユーリはスロットルに手を置く。

 闇空に火竜の咆哮が轟いた。

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