最後の竜騎士(三)
「シュローダー大佐――――」
ユーリは震える声でようよう口にするのがせいいっぱいだった。
五年ぶりに再会したかつての上官。
ほんのすこし髪に白いものが増えた点を除けば、あの頃と何一つ変わっていない。
闇に溶け込んだように見えたのは、黒いロングコートを着込んでいたためだ。
互いの無事を喜び合うでもなく、二人のエースパイロットはどちらも無言のまま見つめ合う。
やがて口を開いたのはシュローダー大佐だった。
「マドリガーレから遠路はるばるご苦労だったな」
「あの手紙の差出人はやはりあんただったのか」
「お前には最初から分かっていたはずだ。だからここに来た。……違うか、大尉」
ユーリは答えず、フライトジャケットの懐にしまい込んでいた手紙を取り出す。
そのままシュローダー大佐に見えるように広げると、努めて落ち着いた声で文面を読み上げ始める。
「『ユリアン・エレンライヒ大尉。軍事法廷への出頭を命ず』――どういうつもりだ、大佐」
「どうもこうも、書いてあるとおりの意味だ」
シュローダー大佐はわざとらしく肩をすくめてみせる。
「軍用機の私的占有に領空侵犯、各国空軍に対する度重なる敵対・挑発行為……お前の罪状を数え上げていけばキリがない」
「あんたが軍を辞めて検事になっていたとは知らなかったな」
「勘違いするな。俺はいまでも軍人だ」
言い終わるが早いか、シュローダー大佐はすばやくロングコートを脱ぎ捨てていた。
あらわになった身体を包むのは、
右胸には北極星を象った銀色のバッジが誇らしげに光沢を放っている。
ポラリアの国章だ。
ユーリは拳銃に手をかけたまま、じっとかつての上官を睨めつけている。
「大佐――――」
「見てのとおり、いまの俺はポラリア空軍の将校だ。階級は同じだがね」
「よりによってポラリアに寝返るとは思わなかった」
「人聞きの悪いことを言うな。戦争が終わった後で再就職しただけだ。それに、もともと俺は愛国心も忠誠心も欠片ほども持ち合わせちゃいない。お前と同じだよ、エレンライヒ大尉。飛べさえすればどこの国だろうと構わないんだ。俺たちパイロットはそういう人種だろう?」
シュローダー大佐は肩を揺らして笑う。
ユーリは肯定も否定もせず、ただ視線を逸しただけだ。
戦争はとうに終結し、大竜公国は滅亡した。その後にどんな人生を歩もうと、それは個々人の自由というものだ。
シュローダー大佐はポラリアで飛び続けることを、ユーリはサラマンドラを駆って航空郵便を届けることを次の生業として選んだ。
ただそれだけのことでしかない。
「大尉、お前はポラリア軍のメンツに泥を塗ったんだ。戦争が終わって五年も経つのにサラマンドラが亡霊のように大陸を飛び回ってるなどと、ポラリアのお歴々にしてみれば悪夢でしかない。いまはマドリガーレ政府が匿ってくれているようだが、いつまでもそうやって逃げ切れる訳じゃない」
「俺にどうしろと言うんだ、大佐」
「サラマンドラを接収した上で銃殺刑。――妥当な判決はそんなところだろうな」
「あのころのように
「早合点するな、ユリアン。人の話は最後まで聞くものだぞ」
シュローダー大佐は短くなったたばこを捨てると、軍靴のかかとで踏み潰す。
胸ポケットから取り出したたばこ入れから二本目を取り出し、オイルライターで火を点ける。
肺いっぱいに煙を入れ、いかにもうまそうに喫ったあと、大佐は長い息を吐いた。
「俺と一緒にポラリアに来い、大尉」
予想もしていなかった言葉に、ユーリはおもわず眉根を寄せる。
「本気で言っているのか」
「むろんだ。俺と来るならお前がこれまで犯した罪はすべて帳消しにしてやる」
「しばらく会わないうちに恩着せがましい言い方をするようになった」
「お前のためを思って言っているんだ。それに、いつまでも郵便屋の真似ごとを続けられる訳でもあるまい」
シュローダー大佐の言葉には我が子を心配する父親みたいな響きがある。
見下すでも罵倒するでもなく、本気でユーリの行く末を案じているらしい。
ユーリは沈黙したまま、拳銃の
「俺はすこし前からポラリア空軍で実験飛行隊の指揮官をやっている」
「実験飛行隊?」
「そうだ。大尉、なぜポラリアが戦後になってぱったりと新型機の開発を辞めてしまったか分かるか?」
「さあ――」
「次世代機を作っているんだよ。それも、これまでのようなプロペラで空気をかき回して進むレシプロ機じゃない。ジェットエンジンを積んだ超音速機だ」
滔々と語るシュローダー大佐に、ユーリは懐疑のまなざしを向ける。
「ジェット戦闘機や有人ロケットの研究は大竜公国でもやっていた。どちらも現代の技術力では実現不可能という結論が出たはずだ」
「表向きはそういうことになっているな。だが、ひそかに研究は続いていた。戦争には間に合わなかったが、その成果はポラリアが引き継いで完成させた……という訳だ」
まるで世間話でもするみたいな口ぶりで語りながら、シュローダー大佐はぷかぷかと紫煙を吐く。
「実験飛行隊はテストが終わり次第、そのまま実戦部隊として配備につく。ジェット戦闘機を運用する世界でたったひとつの部隊だ」
「俺もその部隊に入れと?」
「そのとおりだ。情けない話だが、ポラリア空軍には腕の立つパイロットは数えるほどしかいない。俺の右腕に相応しいのは大尉、お前だけだよ」
「サラマンドラはどうなる」
「たしかに戦争中は無敵だったが、もう時代遅れだ。お前にはもっと上等な飛行機を用意してやる」
「余計なお世話だ。サラマンドラを降りるくらいなら、俺はパイロットを廃業する」
「なぜそこまであの機体にこだわる?」
ユーリはひと言も発することなく、シュローダー大佐の目をまっすぐに見据える。
それが答えだった。
「どうあっても俺の誘いに乗るつもりはないのか、エレンライヒ大尉」
「……」
「愚問だったな。お前は昔からそういう奴だった」
シュローダー大佐の背後で物音が生じたのはそのときだった。
半壊した
大佐の他に誰かが潜んでいたのか、あるいは遠隔操作で電気じかけの開閉スイッチを操作したのか。
やがて開ききった扉の向こうに姿を現したのは、ユーリもよく見知ったシルエットだった。
水に濡れたような艶のある黒色に塗られた機体。
特徴的な逆ガル翼と機体下部の大型インタークーラー。戦闘機らしからぬ流麗な形状は見間違えるはずもない。
「サラマンドラ――」
「正解と言いたいところだが、すこし違う。正式名称はXF-903A”ファイアドレイク”。俺がポラリアに持ち込んだE-7型をベースにチューンナップした実験機だ」
「ついさっきサラマンドラは時代遅れの機体だと言ったはずだ」
「ポラリア空軍もジェット戦闘機の実用化には懐疑的だった。そこで、もし失敗したときのために保険をかけたという訳だ」
シュローダー大佐はユーリに背を向けると、格納庫のほうに近づいていく。
ユーリは手のなかにある拳銃を意識する。
距離はさほど離れていない。撃とうと思えばいつでも撃つことは出来る。
にもかかわらず、ユーリの指はまるで凍傷にでもかかったみたいに動かなかった。
「この機体にはジェットエンジンと通常の
「これがあんたの言っていたジェット戦闘機なのか?」
「保険と言っただろう。完全なジェット戦闘機が完成するまでの繋ぎとして試作されたが、思いのほかジェットの開発が上手く行ってな。こいつはめでたくお役御免だ」
話しながら、シュローダー大佐はファイアドレイクの主翼に足をかける。
よくよく見れば、主翼上面に奇妙な隆起がある。
ジェットエンジン用の
漆黒の塗装と相まって、本来のサラマンドラとは似て非なる威圧的なプロポーションを形作っている。
「俺と一緒に来ないというのなら、ユリアン、もうお前を生かしておくことは出来ない。かつての上官として、お前とサラマンドラはここで葬ることにする」
「どちらも拒否すると言ったらどうするんだ?」
「お前の大切な人間を殺す。たとえば、いまも健気にお前の帰りを待っている……」
シュローダー大佐の言葉を遮るように銃声が響いた。
ユーリが空に向かって発砲したのだ。
拳銃をホルスターに戻すと、ユーリは底冷えのする声で告げたのだった。
「その機体に乗れ、大佐。あんたの相手はこの俺だ」
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