第五話:最後の竜騎士 -Der Letzte Drachen Ritter-
最後の竜騎士(一)
その手紙が飛行場のポストに差し込まれていたのは、冷たい雨が降りしきる朝のことだった。
「ユーリ、お手紙が来てるよ。珍しいね?」
からかうように言って、テオはユーリに一通の封筒を差し出す。
飛行場に届く手紙と言えば、マドリガーレ税務庁からの督促状と相場は決まっている。
ユーリ個人宛てに手紙が来たことなど、この五年のあいだ一度もない。
そもそも依頼人のほかには極力名前を知らせないようにしているのである。
空・海軍や政府関係者には、ただ「あのサラマンドラのパイロット」としてのみ知られている――というよりは、意図的にそうしているのだった。
ユーリは手紙を受け取ると、開封することもなく矯めつ眇めつするばかりだった。
「それ、開けないの?」
「爆弾が仕掛けられているかもしれん。封を開ければドカン! だ」
「まさか――」
笑って受け流すテオに背を向けて、ユーリは格納庫の外に出る。
あらためて封筒を見る。
何の変哲もない細長い紙の封筒。厚みはまるでなく、爆弾が仕掛けられているおそれはない。
表にはマドリガーレ入管の
外国から届いたものであるらしい。
送り主の名前はどこにも見当たらない。宛先である飛行場の住所もだ。
正規の郵便を使って届けられたものでないことはあきらかだった。
「……」
ユーリはためらうことなく封を切る。
封筒のなかに入っていたのは、はたして一通の手紙だった。
三つ折りになった手紙を開いたユーリは、紙上に視線を走らせる。
手紙はごくごく短いものだ。文章はわずか数行にすぎない。その末尾には、住所らしき数字とアルファベットが記されている。
読み終わると同時に、ユーリはかすかに眉根を寄せた。
――あの場所でお前とサラマンドラを待っている。
それは、遠い過去からの手紙だった。
***
CaZ-170E-7”サラマンドラ”。
世界じゅうを探してもこの一機しか存在しない貴重な機体は、しかし、もはや戦闘機としては用をなさない。機首と主翼の機関砲が取り外されているのだ。
それでも、持ち前の大馬力と大型機らしからぬすぐれた運動性は、終戦から五年を経たいまもポラリア軍の戦闘機を寄せ付けない水準にある。
いま機首を覆う流麗なカウルは小型クレーンに吊り上げられ、”竜の心臓”――アルモドバル二十四気筒X型液冷
X型という名前が示すとおり、超小型のV型発動機を上下に二基組み合わせた特殊な構造をもつ。屈曲した吸・排気管や補機類のケーブル、電装部品のコードなどが複雑に絡み合った外観は、まるで巨大な生き物の内臓みたいにみえる。
戦闘機用としては破格の高出力と良好な
ただでさえ整備性に難がある液冷方式を採用しているうえに、二十四もの
類まれな高性能をもつサラマンドラがついに大竜公国軍の主力機になりえなかったのは、一機あたりのコストが非常に高価であることに加えて、並の整備員にはまともに扱えない発動機を搭載しているためでもあった。
テオは物怖じすることなく、てきぱきと手際よく整備を進めていく。
年若い整備員は、十万点あまりの大小の部品によって構成された機体のすべてを知り尽くしているのだ。複雑怪奇な内部構造を配線の一本に至るまで完全に暗記し、整備説明書さえ必要としないほどだった。
劣化して硬くなった樹脂製シーリング材を交換し、点火プラグに付着した煤を丁寧に取り除いていく。発動機の動作に欠かせない
こうしたこまめな日常点検を欠かさないことで、最強の竜はつねに最高のコンディションを保つことが出来る。
裏を返せば、どれほど強力な機体であっても、整備が行き届いていなければ所期の性能を発揮することは出来ないのだ。機械とは生き物であり、実際の運用とカタログスペックとはしばしば逆相関を示すことも珍しくない。
夢中で整備に取り組んでいたテオは、ふと顔を上げた。
誰かが近づいてくるのに気づいたのだ。
「ユーリ――――」
顔に付着した油汚れも気にすることなく、テオはユーリに声をかける。
「サラの調子はどうだ、テオ」
「いい感じだよ。でも、もうすこししたら一度発動機を降ろして
ユーリはわずかに逡巡するような素振りを見せたあと、ぽつりぽつりと語り始めた。
「明日の朝、飛ぶことになった。それまでに整備を済ませておいてくれ」
「依頼は入ってなかったと思うけど……」
「会社の仕事じゃない。俺の個人的な用事だ」
ユーリはそれだけ言って、くるりと踵を返した。
テオは足早に遠ざかろうとする背中にむかって、あらんかぎりの大声で叫ぶ。
「ちょっと待ってよ! 個人的な用事ってどういうこと?」
「……お前には関係ないことだ」
「教えてくれないなら整備もしない! それと、飛べないようにガソリンもぜんぶ抜いておくから!」
「あまり俺を困らせるな」
「困らせてるのはユーリのほうじゃないか!」
重い沈黙が格納庫を満たしていった。
ややあって、ユーリは懐から今朝方届いた手紙を取り出す。
そこに記されているものを認めて、テオは我知らず手にしていたスパナを床に落としていた。
「ユーリ……その手紙、まさか……」
「俺とサラマンドラの戦争はまだ終わっていない。いよいよケジメをつける時が来たということだ」
テオがなにかを言う前に、ユーリは矢継ぎ早に言葉を継いでいく。
「よく聞け、テオ。お前は俺が飛び立ったらすぐにこの飛行場を離れろ。出来るだけ都会に行け。人混みのなかに紛れ込むんだ」
「でも……それじゃユーリが……!!」
「俺の言うとおりにしろ。さもないと、お前も巻き込まれるかもしれない」
ユーリの言葉には反論を許さない気迫が宿っている。
たんなる脅しではないことはあきらかだった。
何を言ったところでユーリを引き止めることは出来ない。テオはただ唇を噛み、両拳を固く握りしめるばかりだった。
「そんな顔をするな。……三日後の正午にマドリガーレ市内の噴水広場で待っていてくれ。もし無事に戻れたら、俺はかならずそこへ行く」
「絶対に帰って来てくれるって信じてるから」
「ああ――――」
頷きながら、しかし、ユーリはけっして「約束する」とは言わなかった。
たとえそれが他人を思いやる心から出たものであったとしても、確証のない約束を交わすほど無責任なことはない。
死地に赴く戦闘機パイロットには、どのような内容であれ他人と約束することはけっして許されないことを、ユーリは誰よりもよく理解しているのだ。
***
サラマンドラの整備はその日の夜半にまで及んだ。
日常点検だけに留まらず、機体各部の
むろん、本格的に行えばすくなくとも数日はかかる作業である。今回は明朝までに仕上げなければならないということもあり、あくまで簡易的なものに留まった。
交換時期が迫った部品は可能なかぎり新品に取り替え、飛行中に発生した微小なヒビ割れや歪みは念入りに補修する。
テオだけでは手が回らず、ユーリと二人がかりで整備に取り組んでいるのだった。
「ねえ、ユーリ……本当に武器は積まなくていいの?」
テオは翼の下に潜り込んだまま、コクピット内で計器の調整を行っているユーリに声をかけた。
「必要ない」
「機首と翼にはバランスを取るためにダミーのバラストを入れてあるけど、機関砲を積もうと思えば元通りに出来るんだよ。いますぐ取りかかれば、朝までには照準の調整だって……」
「このサラマンドラに武器は積まない。俺とお前でそう決めたはずだ」
「でも、それじゃユーリが……」
「俺のことなら心配するな。それに、まだ戦いになると決まった訳じゃない」
我ながら白々しいとユーリは思う。
望むと望まざるとにかかわらず、この先には熾烈な戦いが待っている。
それでも、ユーリはサラマンドラをふたたび武装するつもりにはなれなかった。
それはここまで自分たちが歩んできた道のりを否定することにほかならない。戦う前から敗北を認めるということだ。
壁にかかった時計を見る。刻一刻と夜明けが近づいている。
振り切ったはずの過去が音もなく忍び寄ってくるのを、ユーリはたしかに感じていた。
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