第606戦闘航空団 -JG606,1945-(四・終)

 戦争が終わろうとしていた。

 九月。致命的な破局が迫っていることは誰の目にもあきらかだった。

 ポラリア陸・空軍は大竜公国グロースドラッフェンラント軍の築いた防衛線を次々に突破し、いまや首都ラウテンヴェルクの四百キロ付近にまで迫っている。

 むろん、大竜公国側も手をこまねいて傍観していた訳ではない。

 首都防衛のために温存されていた虎の子の近衛師団を惜しげもなく前線に投入し、一時的にポラリア軍の進撃を食い止めることには成功した。

 もっとも、彼らの命がけの奮戦も絶望的な戦況を好転させるには至らず、いたずらに敗北を先延ばしにするだけだった。


 制空権は失われ、空軍のほとんどの部隊が機能不全に陥った。

 兵站線はそこかしこで寸断され、出撃のための燃料さえ事欠くようになったのである。

 そんななかで、第六◯六戦闘航空団ヤークトゲシュバーダーのサラマンドラだけは昼夜の別なく稼働し続けている。

 連日連夜の爆撃によって歴史ある古都の大半を灰燼に帰してなお、ポラリア軍の攻撃は一向に終息する気配を見せなかった。

 強力な火力と速力、そして高高度戦闘能力を兼ね備えたサラマンドラは、爆撃機の邀撃に駆り出されたのだった。

 爆撃機には護衛として戦闘機が随伴している。空軍にろくに飛べる戦闘機がなくなったいま、護衛機との戦いもサラマンドラの役目だった。

 彼我の戦力差はじつに三十対一。圧倒的に不利な状況にもかかわらず、サラマンドラは無敗を保ち続けた。


 戦況の悪化に伴って、サラマンドラにはあたらな任務が与えられるようになった。

 首都に迫りくる敵の戦車部隊を食い止めるべく、地上攻撃機ヤーボとして運用されるようになったのである。

 もともと戦闘機として開発されたサラマンドラだが、その大馬力と豊富な搭載能力ペイロードを活かせば、優秀な攻撃機へと早変わりする。機首に装備した四◯ミリ機関砲は航空機関砲としては無類の破壊力をほこり、ポラリア軍の戦車を一撃で破壊することも可能だった。

 それでも、逆ガル翼の下に大小の爆弾を吊り下げた姿はいかにも不格好で、爆装した状態では飛行性能もおおきく悪化する。

 少なくない機体が対空砲火の餌食となり、さらに急降下爆撃からの引き起こしの失敗による損失も相次いだ。


――どうせ死ぬなら、せめて空戦で死なせてくれ。地上攻撃など戦闘機乗りの仕事じゃない。


 プライドの高いパイロットたちが不満の声を上げたのも無理からぬことだった。

 ただひとり――ユリアン・エレンライヒ大尉を除いては。

 ユリアンは我関せずといった様子で、あくまで坦々と日々の任務をこなしていった。

 すでに撃墜数は二百機を超えている。六◯ロクマルロク戦ではシュローダー大佐に次ぐ数字だ。

 にもかかわらず、ユリアンのもとに昇進の話が持ち込まれることはなかった。

 将兵の功績を審査する軍務局は、すでにポラリア軍の爆撃によって跡形もなく消え去っていたのである。


 ***


「この景色も今日で見納めだな――――」

 

 シュローダー大佐はしみじみと言って、ひとつしかない視線を巡らせる。

 朝の光が差し込む広い格納庫には、第六◯六戦闘航空団に所属するサラマンドラ全機が整列している。

 どこか空虚な印象を与えるのは、気のせいではない。

 一時は三十機を超えていたサラマンドラも、いまや十四機にまで減っている。

 過酷な任務のなかで、少なくない数の機体が失われたのだ。

 ポラリア軍の対空砲火によって撃墜された機体もあれば、味方の十二センチ高射砲の誤射を受けて破壊された機体もある。

 それでも、敵機に撃墜された機体は一機もない。サラマンドラの不敗伝説は、祖国が滅びる瀬戸際にあってもなお健在だった。


 十四機の機体に対して、パイロットは十三人。

 もともと五十人近いパイロットが部隊に在籍していたことを考えれば、その減少の度合いは機体よりもなお顕著だった。

 戦闘での損耗に加えて、上層部の命令で人員を手放さざるを得なかったのである。

 高い技量をもつエースパイロットを集中運用するシュローダー大佐の竜騎士ドラッフェンリッター計画は成功を収めたものの、そのぶん他の部隊が著しく弱体化するという欠点も存在した。

 戦況の悪化により、もともと潤沢とは言い難かった各戦闘航空団の人的資源はほとんど払底しようとしていた。飛行学校で最低限の操縦を習得しただけの新兵をかき集め、かろうじて編成上の戦力を保持しているというありさまだったのである。

 むろん、そんな素人同然のパイロットが実戦で生き残れるはずもない。

 すこしでも戦力を立て直すべく、シュローダー大佐みずから六◯六戦にスカウトしたエースパイロットたちは、愛機サラマンドラとともに強制的に原隊に復帰させられたのだった。


 がらんとした格納庫のなかでは、整備員たちが忙しなく動き回っている。

 最後の出撃に向けてサラマンドラの整備に取り掛かっているのだ。

 部品の在庫はすでに底をついている。製造元のカールシュタット・ザウアー合同設計局から取り寄せようにも、補給路が断絶していてはそれも叶わない。

 すこし前から、ここ六◯六戦でも予備機を解体して部品取りに回す行為――いわゆる共食い整備が横行しはじめていた。

 それでも、全機が比較的良好な稼働状態に保たれているだけまだマシというものだった。

 他の航空部隊の平均稼働率はいまや三割を切っている。かろうじて飛び立てた機体も、機銃の暴発や発動機エンジンの不調による墜落が跡を絶たなかったのである。

 事実、六◯六戦から他の部隊へと回されたサラマンドラの多くは、まともな整備も受けられずに事故で失われるか、敵の爆撃によって地上で撃破されるという憂き目を見たのだった。


 いま格納庫に並んだ十四機のサラマンドラは、大竜公国における最後の生き残りだった。

 一機の尾翼には、剣を咥えたシュランゲのエンブレムが描かれている。機首には指揮官機を表す白い三本線のマーキング。

 シュローダー大佐の専用機だ。

 サラマンドラのなかでも最後期に生産されたE-7型である。

 これまでの戦訓を取り入れてさまざまな改良が施された最強・最後のサラマンドラであるE-7型は、六◯六戦にもたった四機しか配備されていない。

 そのうち一機は着陸時の事故で失われ、もう一機は部品取りのために到着と同時に解体された。

 現存する二機は、指揮官であるシュローダー大佐と、彼に次ぐエースパイロットであるユリアン・エレンライヒ大尉がそれぞれ受領している。

 

「こんなところで指揮官がなにをしているんだ」


 背後から声をかけられて、シュローダー大佐はゆるゆると振り向いた。

 声の主は分かっている。はたして、大佐の視界に飛び込んできたのはユリアンだった。


「お前もいまのうちによく見ておけ、大尉。もしかしたら、俺たちはサラマンドラを最後に見た人間になるかもしれん」

「どうでもいいことだ――俺もサラマンドラと一緒に死ぬ」

「そう都合よく事が運べばいいがな」

「なに?」


 シュローダー大佐は愛機のそばに歩み寄ると、慈しむように翼を撫でる。


「昨日の夜更け、参謀本部からの極秘指令が届いた。……空軍のお偉方はサラマンドラを今日じゅうに全機処分しろと言っている。なにしろこいつは軍事機密の塊だ。ポラリアに接収されるくらいなら、自分たちの手でスクラップにしてしまえというところだろう」

「バカげた話だ。こいつらはまだ飛べる」

「俺もまったく同感だよ。だから、こちらも手を打たせてもらった」

「どういうことだ?」

「徹底抗戦派の元老と話をつけた。連中、大竜公グロースドラッフェン・ヘルツォーク陛下を首都から連れ出し、総司令部の機能をマドリガーレ伯爵領へ移すつもりらしい。ラウテンヴェルクが陥落しても、まだまだ戦争は続くということだ」


 シュローダー大佐はにやりと相好を崩すと、ユリアンを手招きする。

 何事かと近づいたユリアンに、大佐はまるで内緒話をするみたいにそっと耳打ちしたのだった。


「マドリガーレ伯爵領の南にエルバ・エスカという港町がある。明朝、我々はその近くにある野戦飛行場へ移動する」

「そんな土地は聞いたことがない」

「エルバ・エスカにはカールシュタット・ザウアー設計局の部品工場がある。サラマンドラの補修部品も揃っているはずだ。テスト飛行用に燃料もたんまり溜め込んでいるだろう。輸送網は寸断されたが、それならこちらから出向いてやるまでだ」

「そこで部隊の再編をやるのか?」

「もちろん――と言いたいところだが、もうお前たちほどのパイロットはどこを探しても見つけられん。サラマンドラは補充出来ても、乗り手がいなければな」

「どちらにしろジリ貧だ」

「戦って死ねるなら本望だろう?」


 シュローダー大佐はいかにも面白そうに言うと、サラマンドラに視線を移す。


「とにかく、まだ戦争は終わらないということだ。喜べよ、大尉」

「俺は……」


 何かを口にしかけて、ユリアンはそのまま黙り込む。

 最後まで戦い続ける。それはたしかに自分が望んだことだった。

 レオポルトⅢ世の顔が脳裏をよぎる。

 徹底抗戦となれば、大竜公国・ポラリアともに被害はますます膨れ上がる。この先には非戦闘員さえ巻き込んだ凄惨な殲滅戦が待っている。

 あの青年は、すくなくともそんな未来を望んではいないはずだった。

 大竜公国の支配者である大竜公。

 その大竜公の意思を踏みにじることを、国を愛していると公言して憚らない者たちがやろうとしている。

 いったいこの戦争は誰のための戦争なのだろうとユリアンはおもう。

 最初から意味などなかったのかもしれない。戦場でひたすらに敵を殺し、いずれは自分も敵に殺される。兵士にとってはそれがすべてなのだ。


「しかし大佐、俺たちはいいが、ここの整備員たちはどうする?」

「エルバ・エスカには連れて行けん。パイロット以外はここに置いていく」

「サラマンドラの整備は誰がやるんだ」

「それなら安心するがいい」


 シュローダー大佐は得意げに言うと、ユリアンの目の前で人差し指をピンと立てる。


「むこうには八歳で国立工科大学を卒業、十歳で一級航空整備士資格と電気・機械工学の博士号を取ったがいる。いまはカールシュタット・ザウアー設計局で主任技師をやっているそうだ。名前はたしか……」

「待て、大佐。そんな子供にサラマンドラを任せるのか?」

「技術と年齢は関係ない。それとも年寄りの整備員のほうが安心出来るのなら、お前の機体はそうしてもらうといいさ」


 けたたましいサイレンの音が鳴り響いたのはそのときだった。

 空襲警報だ。

 格納庫内に備え付けられたスピーカーが割れた声でがなりたてる。

 

「北北東より戦爆連合が接近中。敵機の総数は五百機以上。待機中のサラマンドラは全機出撃せよ――――」


 シュローダー大佐は慌てる素振りもなく、そっとユリアンの肩に手を置く。


「世の中そう都合よくは回らんな。敵は待ってくれなかったようだ」

「大佐、どうするつもりだ?」

「心配するな。サラマンドラには燃料も弾薬もありったけ積み込ませてある。すこし予定が早まっただけだ」


 言って、大佐は懐から一枚の紙を取り出す。

 アードラー大陸の地図だ。

 ユリアンはラウテンヴェルクから千三百キロほど南のある座標に目を留めた。

 赤い印がつけられたそこが件のエルバ・エスカであることはひと目で分かった。


「もうこの基地には戻らん。どのみち爆撃で消し飛ばされるだろうからな。集合地点はエルバ・エスカだ」

「生きてそこまで辿り着ければの話だ」

「お前ならやれるだろうさ――死ぬなよ、ユリアン」


 あくまで呑気に言って、隻眼の航空指揮官は軽く手を振ってみせる。

 それがユリアンが見たシュローダー大佐の最後の姿だった。


***


 サラマンドラのコクピットのなかで目覚めたユーリは、反射的に時計を見る。

 夜明けまではまだ一時間ほどある。

 計器の調整をしていたつもりが、またコクピットで眠りこけてしまった。

 戦闘機の座席は硬く、操縦桿や計器類につねに圧迫される。とても身体を安らげるのに適した空間とは言い難いが、ユーリにはどんな上等なベットよりも心地よく感じられた。


 ユーリはついさっきまで見ていた夢のことを考える。

 けっきょく、エルバ・エスカの野戦飛行場まで辿り着くことが出来たのは自分だけだった。

 あの日、翼を連ねて飛び立った十三機のサラマンドラとパイロットがどうなったかは知る由もない。

 分かっているのは、いまなおサラマンドラの確実撃墜の記録は存在していないということだけである。


 ポラリア軍の大編隊と会敵する寸前、シュローダー大佐は指揮下の全機に自己判断で行動するように命じた。戦うも逃げるもお前たちの好きにしろということだ。

 上官からの許しが出たにもかかわらず、反転した機体はなかった。

 敵味方の区別さえ判然としない乱戦のなかで生き残るのは、熟練のエースパイロットであっても至難である。

 ユーリも十五機を撃墜したところで被弾し、そのまま戦線離脱を余儀なくされた。

 サラマンドラでなければ、とてもマドリガーレ伯爵領まで飛び続けることは出来なかっただろう。

 

 ようやく辿り着いたエルバ・エスカは、ポラリア軍の艦砲射撃によって焼け野原になっていた。

 ポラリアはこの場所にサラマンドラの部品工場があることを突き止め、先手を打って街ごと工場を消し去ったのだ。こうなっては、もはや戦争を継続することなど出来るはずもない。

 かろうじて被害を免れていた野戦飛行場に降りたユーリは、そこで戦争が終わったことを知った。

 大竜公レオポルトⅢ世が徹底抗戦を主張する元老たちを退け、国家元首としてポラリアに無条件降伏を申し出たのである。

 側近たちの操り人形と揶揄されてきた青年の、それは最初で最後の自我の発露にほかならなかった。


 十年の長きに渡って続いた大陸間戦争は、大竜公国の消滅という形で幕を閉じた。

 一九四五年の夏も終わろうかという九月十三日のことであった。


【第四話 完】

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