第606戦闘航空団 -JG606,1945-(三)
基地に戻ったユリアンに、シュローダー大佐は
めったに狼狽したところを見せない隻眼の大佐は、しかし、今日に限ってはやけにそわそわと落ち着かない様子だった。
「なにかトラブルでも?」
と問うても、
「いや――なんでもない。こちらの話だ。お前が気にすることじゃない」
急な決定のためばかりという訳ではなさそうだったが、ユリアンはそれ以上追及しようとは思わなかった。
運の悪いことに、明日の午後は搭乗シフトから外れている。
どうあがいても閲兵式に出席させられるということだ。
ふだんは箱にしまっている赤の空軍勲功メダルを胸につけ、制服のボタンを一番上まで留めて式典に臨むのは気が進まないが、こればかりは拒否する訳にもいかない。
ならば仮病を使って……と思いかけて、ユリアンは部隊の規則を思い出した。
体調が万全でない者は戦闘機への搭乗を禁ず、だ。
「とにかく、明日はくれぐれも粗相のないようにたのむぞ。俺の首が飛ぶ」
「それは比喩か? それとも本当に?」
「両方だと思ってくれ」
去り際、ユリアンはふと思い立ったようにシュローダー大佐に質問する。
「ところで大佐、もし閲兵の最中に敵機が来襲したらどうするんだ」
「むろん、そのまま出撃だ。陛下に我がサラマンドラの勇姿をご覧いただくいい機会だろう」
「いっそポラリアに『明日は大事な式典があるから攻撃しないでくれ』と頼んでみたらどうだ?」
「バカ野郎」
悪態をつきながらも、シュローダー大佐のひとつしかない眼は笑っていた。
***
夜半に降り始めた雨は朝方には熄んだ。
昼を過ぎたころには、首都ラウテンヴェルクの上空には抜けるような
飛行場の片隅には天幕と観覧席が設営され、地面には
大竜公レオポルトⅢ世は側近たちを率いて、みずから空軍で最も功績を上げている第六○六
軍楽隊の演奏が始まった。
大竜公国の国歌に続いて、「
指揮官であるシュローダー大佐を先頭に、真っ赤な
ふだんは出撃に備えて一日じゅう飛行服姿で過ごすことも珍しくない彼らである。美々しくも堅苦しい正装姿はいかにも窮屈げだった。
そのうえ陸兵のように突撃銃を携え、足を上げて行進するなど、パイロットの本来の職務とはかけ離れたものだ。
こんなパフォーマンスは近衛兵にやらせればいいものを――と、ユリアンは心中でぼやく。
近衛師団には儀仗兵連隊が存在する。さすがにその道のプロだけあって、立ちふるまいの美しさは一般部隊とは比べものにならない。
もっとも、彼らがどんなに完璧な行進をしたところで、ポラリアとの戦争には何の役にも立ちはしないのだが。
「連隊止まれ!! ――
シュローダー大佐の声に、ユリアンははたと我に返る。
どうにか周りに遅れずに済んだ。こんなくだらない式典には興味も関心もないが、だからこそ恥をかくのはごめんだ。
どうせ逃げられないなら、あくまで無難に、手早く終わらせるに越したことはない。
「大竜公陛下に捧げ
シュローダー大佐の号令一下、パイロットたちは一斉に突撃銃を掲げる。
ユリアンは軍帽の庇の下で視線を動かし、天幕の奥に座っている人物を見つけ出した。
赤紫色の壮麗なローブをまとい、宝石が散りばめられた黄金の冠を被ったひとりの青年。
彼こそが大竜公国の支配者――大竜公レオポルトⅢ世その人だった。
写真で見るよりもずっと若くみえる。もう二十歳だというが、その面差しにはあどけない少年のような雰囲気さえ漂っている。
天幕のなかで動きがあった。
不動の姿勢を保ったままのパイロットたちに近づいてきたのは、見るからに位の高そうな白髪の老人だった。
おそらく大竜公の側近のひとりだろうが、宮廷にまるで興味のないユリアンには皆目見当もつかない。
「これより陛下より直々にお言葉を賜る。一同、心して拝聴するように」
シュローダー大佐の「担え銃!!」の命令に合わせて、ユリアンらパイロットたちはふたたび突撃銃を肩に担ぐ。
軍楽隊が甲高いファンファーレを吹き鳴らす。
ややあって、大竜公レオポルトⅢ世は悠揚迫らぬ足取りで天幕を出た。
一国の君主ともなれば、歩き方ひとつにしても厳格に定められているのである。
レオポルトⅢ世は、演台の上に立つと、六○六戦のパイロット一人ひとりに視線を巡らせていく。
「余がレオポルト・トゥーゲンフルス・ゼッケンドルフである。そなたらの赫々たる武勲は聞き及んでいる――――」
その声を耳にした瞬間、ユリアンはわが耳を疑った。
わずか一日前の出来事を忘れるはずもない。
それは昨日基地の外で出会った青年――レオ・バイデンフェルトの声にほかならなかった。
青い瞳の青年王は、パイロットたちにむかって語り始める。
「我が大竜公国は、いまや肇国以来の危殆に瀕している。北方の大陸に蟠踞する逆賊は我らに牙を剥き、豊かな土地を奪わんと侵略の手を伸ばしつつある。だが、そなたらの胸に戦い抜く意志があるかぎり、偉大なる祖国の命運が尽きることは決してない」
切々と祖国の窮状を訴えるレオポルトⅢ世の言葉は、しかし、どこか空虚な響きがある。
本心から言っているのではないからだ。すくなくとも、ユリアンにはそう思えてならなかった。
いまの大竜公はしょせん側近たちの操り人形にすぎない――。
そんな噂を耳にしたのは、もうずいぶん前のことだ。
ユリアンは政治にはまるで関心がない。噂の真偽についても、正直なところどうでもよかった。
だが、いまのレオポルトⅢ世と昨日のレオのあいだには、とても同じ人間とは思えないほどの隔たりがある。
サラマンドラを美しいと言った青年と、あらかじめ誰かが書いた台本通りに話すことしか許されない飾り物の王……。
「たとえ苦しくとも、希望を失ってはならない。大竜公国はかならず勝利する。偉大な祖国は神の祝福とともにある。どれほど多くの犠牲を払うことになったとしても、それは……」
言いかけて、レオポルトⅢ世は言葉を濁す。
「……それは、やがてくる輝かしい未来の礎となるであろう。勇者の魂は死してなお不滅であることを、余は大竜公としてそなたらに約束するものである」
どうやら訓辞は終わったらしい。
白髪の高官がレオポルトⅢ世にそっと近づいていく。
軍楽隊がふたたび演奏の準備に入る。
最後にシュローダー大佐が「捧げ銃」の号令をかければ、それでこの式典も終わりだ。
「陛下――」
「まだだ。余の話はまだ終わっていない」
「なにを仰られます!?」
狼狽しきった様子の高官をよそに、若き王はパイロットたちに向き直る。
「我が勇敢なる竜騎士たちよ――この戦いが終わる日は近い。余はその日をそなたらが生きて迎えることを、心より祈願するものなり。大竜公国の臣民に輝かしき未来と平和のあらんことを。それが余レオポルト・トゥーゲンフルス・ゼッケンドルフの望みである」
レオポルトⅢ世が力強く言い切ったのと前後して、天幕のなかには声にならぬどよめきが広がっていった。
***
「しかし、今日の訓辞には驚いた――」
シュローダー大佐はたばこを吹かしながら、ひとりごちるみたいに言った。
ユリアンはその傍らで冷めたコーヒーを啜っている。
本物ではなく、大麦を焙煎した代用コーヒーである。ポラリアの海上封鎖によって外地の物資が手に入らなくなったために、いまやコーヒー豆は戦前の十倍以上に値上がりしている。
見た目はさておき、香りも味も本物には似ても似つかないことから市民の評判はすこぶる悪いが、ユリアンは気にする素振りもない。
「大尉、今日なにが起こったか知ってるか?」
「俺が知っているはずがないだろう。式典のプログラムなど知ったことじゃない」
「こっちには式次第といっしょに台本まで回ってきていたぞ」
シュローダー大佐はたばこを軍靴の踵でもみ消すと、周囲に誰もいないことを確かめる。
「陛下が訓辞の最後に言ったセリフだよ。覚えてるだろう」
「どういうことだ?」
「あれは本来は『死を恐れるな。祖国のために勇敢に戦って死ぬのが軍人の務めだ』というような内容だった。すくなくとも、俺はそう聞かされていたよ」
「まるで逆じゃないか」
「台本を書いた元老のじじいは目玉が飛び出そうになっただろうぜ。昨日はお忍びで出かけていったというし、反抗期ってやつかもしれないな」
ユリアンは不味いコーヒーを飲み干すと、レオポルトⅢ世の言葉をあらためて噛みしめる。
側近たちの操り人形だったはずの青年が自分の意志を表明した。
どのような心理が彼を動かしたのかは、ユリアンには知る術もない。
分かっているのは、あのときのレオポルトⅢ世は、レオと同じまなざしをしていたということだけだ。
「……陛下はポラリアとの和平を望んでいるのかな」
「さあな。俺ごときが陛下の御心を推測するのは畏れ多いし、どのみちもう遅すぎる。ポラリアが払ってきた犠牲は大竜公国と同じかそれ以上だ。いまさら戦争を止めるのは世論が許さないだろう」
ユリアンは答えず、暮れなずむ空を見上げる。
風が遠い爆音を運んだ。
軽合金の機体を夕映えにきらめかせながら、サラマンドラの編隊は彼方の空へと飛び去っていった。
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