アヒルたちの栄冠(三)
≪俺の生まれ故郷……トレチェント島には、むかし水上機隊の基地があった。ガキのころ、親父の船に乗っているとよく頭の上を飛んでいったもんだ。まるで羽の生えた船みたいでよ。なんてすげえ乗り物なんだと、俺は子供心に憧れたものさ……≫
ゴルドンはもはや二度とは還らぬ昔を懐かしむように、しみじみと言った。
≪それから海軍の召集令状が届いて、訳も分からんまま駆逐艦に乗せられたが、俺はどうしても水上機乗りになる夢を諦めきれなかった≫
「それで、転科願いを出して受理されたのか」
≪水上機隊は人手不足だったからな。俺みたいな飛び入りでも歓迎してくれたぜ。みんな気のいい連中だった。どいつもこいつも戦争が終わる前に死んじまったが……≫
二人が話しているあいだにも、風防を叩く風雨の勢いは強くなる一方だった。
ユーリは
シードラゴンもサラマンドラと同じ方位にむかって飛行中。それぞれ別の計器を搭載する二機の進路が一致しているならば、知らずしらずのうちに予定のコースを逸れている心配はひとまずない。
≪終戦までの二年間の
「それだけの手柄を立てて、
≪まあな――理由はお察しのとおりさ≫
特別勲功メダルは、
海軍は
とりわけ空軍と海軍航空隊においては、メダルは伝統的にエースパイロットの証とされてきた。
選り抜きのエリートである空母航空隊でさえメダル持ちは貴重だというのに、水上機乗りごときがメダルを持つのはけしからん――。
空軍出身のユーリには海軍内部の事情は知る由もないが、おおかたそんなところだろうという予想はつく。
≪サラマンドラ――本当にいい飛行機だ。おもわず見惚れちまいそうになる。そんな上等な機体に乗ってる旦那には、俺たちの境遇なぞ想像もつかないだろう≫
「たしかに俺にはあんたの味わったつらさはまるで分からん」
こともなげに言ってのけたユーリに、ゴルドンは言葉を失った。
「それでも、これだけは分かっているつもりだ」
ごおごおと暴風雨が唸りを上げるなかで、ユーリはあくまで静かに無線機に語りかける。
「どんな機体に乗っていようと、空の上では関係ない。一度飛び立てば、あとは生きて帰るか撃墜されるのかの二つにひとつだ。戦争の勝敗がどうあれ、俺たちパイロットは、一人ひとりの孤独な戦いに勝てたかどうかがすべてなんだ」
≪旦那……≫
「あんたは
二人のあいだに沈黙が降りた。
やがて、ゴルドンはひとりごちるみたいにぽつりと呟いた。
≪……ありがとうよ。そう言ってもらえただけでも、必死で生き残った甲斐があったぜ≫
二機が激しい振動に見舞われたのは次の瞬間だった。
いつのまにか暴風圏に突入したらしい。
ユーリの背後でみしみしと嫌な音が生じた。
乱気流に揉まれたサラマンドラの機体が軋んでいるのだ。
サラマンドラは操縦に人力を必要としない油圧式操縦索を採用している。本来ならどのような状況でも楽に舵が効くはずだが、操縦桿はひどく重く感じられた。
限界を超えた負荷が加わったことで、油圧系の安全装置が作動したのだ。
過負荷によって駆動部に致命的な破損が生じるのを避けるために、操縦索を補助していた
機体を捩りながらもがくサラマンドラは、さながら蜘蛛の巣に絡め取られた蝶のようだった。技術の粋を集めて生み出された最強の戦闘機といえども、大自然の猛威の前には抗う術もない。
と、無線機がノイズ混じりの音声を吐き出した。
≪旦那、無事か――――≫
「他人よりも自分の心配をしたらどうだ、軍曹」
≪俺のことなら心配いらねえよ。それより、この風には無理に逆らわんほうがいい≫
「どういうことだ?」
≪いくらサラマンドラが馬力があるったって、この暴風に捕まったらどうにもならねえ。ここはおとなしく風の流れに身を任せて、早いとこ安全圏に脱出したほうがいい≫
「本当にそんなことが出来るのか」
≪俺の機体についてきてくれ。あんたなら出来るはずだ≫
ユーリは機外に視線を巡らせ、シードラゴンを探す。
複葉の水上機はすぐに見つかった。
サラマンドラはシードラゴンの後を追い、弧を描くように右旋回。
二機は編隊を維持したまま、乱気流の真っ只中へと飛び込んでいく。
(乱気流のなかに抜け道がある――)
シードラゴンの描く軌道を目で追ううちに、乱気流の間隙がユーリの目におぼろに浮かび上がった。
むろん、パイロットであれば雲の流れからおおまかな気流を読む技術は持ち合わせている。
だが、台風のように周囲の雲が不規則かつ間断なく流れ続けている環境では、それもあてにならない。
戦争中から洋上飛行に熟練したゴルドンならではのテクニックを、ユーリは見様見真似で習得してみせたのだった。
機体は相変わらず悲鳴を上げているが、それでも風の流れに乗ったことでいくらか負荷は軽減されたようだった。
そうするうちに、操縦桿がふいに軽くなった。油圧式操縦索がようやく復帰したのだ。
ユーリは無線機にむかって呼びかける。
「軍曹、このまま渦の内側に抜けられそうか」
≪おう――任せとけ≫
シードラゴンに先導されるまま、サラマンドラは台風の中心にむかって飛ぶ。
風雨は次第に弱まりつつある。台風の眼に出たのだ。
なおも降り続く雨によって白い靄がかかったような視界のなか、水平線の彼方に陸地らしい影がうっすらと浮かんでいる。
方位から判断して、トレチェント島以外にはありえない。
世界最強の戦闘機と、下駄履きの旧式水上機。およそ不釣り合いな二機は、翼を連ねて灰色の海の上を飛んでいく。
「すまない、軍曹。おかげで助かった」
≪気にするな。それより、よく遅れずについてこれたもんだ≫
「あんたの飛び方を見ているうちに、俺にも乱気流の流れが見えるようになった」
≪俺が何年もかかって身につけた技術をひと目見ただけでものにしちまうとは、さすがサラマンドラ乗りだ。……じきにトレチェント島に到着する。風が弱まってるいまのうちに飛行場に降りてくれ≫
進むうちに、眼下にトレチェント島の全景が見えてきた。
東西に薄く広がった楕円形の島は、海水の侵食によってあちこちに大小の湾が形成されている。そのさまはいびつに欠けた器を彷彿させた。
滑走路を備えた飛行場は、島の東端にある山の麓に存在しているはずだった。
もともと海軍機の発着を想定して建設されたものだが、滑走路の長さはサラマンドラも問題なく使用出来る水準にある。
ユーリはサラマンドラをおおきく旋回させ、上空から滑走路らしきものを見つけ出そうとする。
「――――」
山麓の滑走路を見つけ出すのは容易だった。
コンクリート舗装された滑走路は、赤茶けた土によってところどころで寸断されている。
その隣でやはり赤茶けた傷口を晒している山肌を見れば、この場所で何が起こったのかは一目瞭然だ。
連日の降雨によって地盤がゆるみ、一帯の木々ごと地すべりを起こしたのである。
飛行場まで押し寄せた土石流は、滑走路の一部を飲み込んでようやく停止したのだった。
水はけが悪いうえに、もろく崩れやすい地盤。これこそがトレチェント島の開発が遅々として進まない最大の理由だった。
滑走路のうち土砂に覆われていない部分は、最も長いところでもせいぜい五十メートルといったところ。
いかにサラマンドラでも、それだけの距離で着陸することは不可能だ。
もし土砂の上に着陸を強行すれば、まちがいなく着陸脚が折れ、最悪の場合は転覆・炎上するおそれもある。
二機はトレチェント島の直上をむなしく旋回する。
ユーリはほかに降りられそうな道路がないか探してみるが、島の大部分は未開発の森林と岩場に覆われており、とてもサラマンドラの離発着が出来そうな場所は見当たらない。
操縦桿を握る手指に汗がにじむ。このまま飛び続けていてもいたずらに燃料を浪費するだけだ。
今回の任務に臨むにあたって、サラマンドラは増槽の代わりに血清入りのカーゴポッドを積んでいる。
基地での補給が望めない以上、サラマンドラは胴体と両翼に内蔵された機内タンクだけで海軍基地まで戻らなければならない。
乱気流の突破には空戦並の燃料を消費するとなれば、航続距離はギリギリ足りるかどうかといったところだ。
思案に暮れるユーリに、ゴルドンはどこか呑気な声で語りかける。
≪サラマンドラの旦那、聞こえるか――≫
「軍曹、ほかに使えそうな滑走路はないか」
≪残念だが、島にはあすこだけだ。だが心配するな。俺にちょいと考えがある≫
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