アヒルたちの栄冠(二)

「返事くらいしたらどうだ、ええ?」


 ユーリは黙したまま、じっと男の顔を見つめている。

 年齢はまだ三十歳には届いていないだろう。

 赤く日焼けした顔には、よくよく見れば大小さまざまの傷痕が刻まれている。

 歴戦の海兵らしい精悍なまなざしであった

 ユーリはふっと息を吐くと、男にぽつりと問いかける。


「あんたは?」

「俺はゴルドン・ベルグマン曹長。礼儀どおり先に名乗った。次はそっちの番だぜ」

「……ユーリだ」

「名字も階級も隠してるのは気に入らんが、まあいい」


 ゴルドンは手近な木箱にどっかと腰を下ろすと、たくましい両腕を組む。


「あんた、戦争中は空軍にいただろう?」

「どうしてそう思うんだ」

「勘だよ。見るからに空軍ってツラしてるぜ。少なくとも海の男じゃなさそうだ」

「昔はそうだった。いまは民間の会社で郵便配達人をしている」

「郵便配達人だと? あのサラマンドラでか!?」


 ゴルドンは分厚い掌で膝をぽんと叩くと、野太い笑い声を上げた。

 自分の言葉がよほど笑壺に入ったらしい。

 ばんばんと膝を叩くゴルドンに、ユーリは冷ややかな目を向ける。


「そんなにおかしいか?」

「いやいや――気を悪くしないでくれよ。しかし、サラマンドラと言やあ、大竜公国でも最強の戦闘機じゃねえか。パイロットなら一度は憧れる上物だぜ。そんな機体を使って郵便配達とは、まったく酔狂な奴もいたもんだ」

「その酔狂な奴を頼ってきた連中のせいでこんなところにいる」


 突き放すように言ったユーリに、ゴルドンは「違いねえ」と腹を抱えて大笑する。


「しかし、あんなすげえ機体、いったいどこで手に入れたんだ? サラマンドラは終戦のときに上の命令で全機処分されたと聞いたぜ」

「企業秘密だ」

「そうつれなくするなよ。まさかとは思うが、あんた、あの有名な竜騎士ドラッフェンリッター――」


 ゴルドンが言い終わらぬうちに、ユーリはその場で身体を反転させた。

 これ以上会話を続ける意志はないと、言外にそう伝えているのだ。


「どこ行くんだ?」

「じきに離陸予定時刻だ。それまでに同行する海軍のパイロットとも合流しなければ……」

「そうだそうだ。俺はその話をしにきたのよ。トレチェント島への水先案内人は俺が務めさせてもらうぜ」


 得意げに言って、ゴルドンは分厚い胸板を拳骨で叩く。

 ユーリがおもわず眉をしかめたことには気づいてもいないようだった。


「あんたの機体もこのなかにあるのか」

「おお、に停めてあるのがそうよ。見えるだろ?」


 言って、ゴルドンは格納庫の片隅を指差す。

 視線を動かしていくうちに、ユーリは堵列した艦載機の端にその機体を見つけた。

 同時に眉間にシワを寄せたのは、ほとんど無意識の所作であった。

 マドリガーレ海軍の標準塗装である青灰色ブルーグレイをまとった機体は、格納庫のなかでもひときわ異彩を放っている。


 GA-11N”シードラゴン”。

 かつて大竜公国海軍で運用されていた複葉の水上機だ。

 並行に配置された二枚の角張った主翼と、大小三艘の舟を抱き込んだような胴体下部の大型フロートが目を引く。

 古めかしい外観を裏切らず、すでに初飛行から十五年ほど経っている旧式機である。主翼と胴体こそ全金属製だが、機体の基本設計そのものは三十年以上前の羽布張りの複葉機と大差はない。しばしば空飛ぶ化石と揶揄されてきたのも、けっして根拠のないことではないのだ。

 開戦時にはすでに旧式化を指摘されていたシードラゴンは、その枯れきった設計が幸いしたのか、実戦において意外なほどの汎用性を発揮した。

 主な用途は偵察や弾着観測といった支援任務だったが、なかには魚雷を搭載して潜水艦狩りに従事した機体も少なくない。信じがたいことに、敵戦闘機に果敢に空戦を挑み、みごと撃墜に至らしめた事例ケースさえあったという。

 後継機の開発が頓挫したこともあり、けっきょくシードラゴンは改良を重ねて終戦まで使用され続けたのだった。

 戦後はほとんどの国で現役を退いたが、ここマドリガーレ海軍では、いまなお貴重な水空両用の戦力として運用されている。


「あれで飛ぶつもりか?」

「もちろん。戦争中から乗り継いできた俺の古女房だ。いい飛行機オンナだろ?」

「やめておいたほうがいい。嵐が来ているのは知っているはずだ。旧式の水上機がまともに飛べるような天候じゃない」


 ゴルドンの面上を剣呑な相がよぎった。

 それも一瞬のこと。大口を開けて破顔したゴルドンは、分厚い掌でユーリの背中を叩く。


「まあまあ、そう邪険にしなさんな。見かけは古くても安定性は一枚羽の竜もどきリザードなんぞよりずっと上なんだ。悪天候だろうとビクともしやしねえ」

「そういう問題じゃない」

「たしかに最高速は四◯◯キロも出ねえ鈍足だが、おたくのサラマンドラだって嵐の中じゃ似たようなもんだろう。心配しなくても後れを取りゃしねえよ」


 サラマンドラの最高速度は時速七五◯キロ。巡航速度も時速五◯◯キロを超えている。

 本来であればシードラゴンと編隊を組んで飛行することすら困難だが、悪天候下では両者の速度差はおおきく縮まるのである。もっとも、その場合もシードラゴンはせいいっぱいの速度を出してようやく追いつく格好になるが。

 ゴルドンはごしごしと人差し指で鼻頭をこすりながら、なおも続ける。

 

「それに、俺の実家はトレチェント島で代々漁師をやっててな。あのあたりの潮目や風向きにかけちゃ誰よりも詳しい自信があるんだぜ」

「……」

「そういうことだ。よろしく頼むぜ、


 ユーリがそれ以上何かを言う前に、ゴルドンはさっさと駆け去っていった。


***


 午前五時三十分。

 予定通りに基地を離陸したサラマンドラとシードラゴンは、ともに南南西に機首を向けた。

 トレチェント島までは直線距離にしておよそ千キロほど。

 シードラゴンに合わせて巡航速度を落としても、三時間足らずで到着する。

 もっとも、それはあくまで順調に事が運べばの話だ。

 暴風雨の影響で航路が狂えば、それだけ余計な時間を取られることになる。

 渺々と広がる大海は不気味な暗灰色に沈み、海面うなもはごうごうと激しく渦を巻いている。

 風と雨の勢いは時間を追うごとにますます強くなっているようだった。

 サラマンドラの風防キャノピーを覆うように雨滴がまとわりつき、視界はひどく悪い。

 ユーリは機体が風に流されそうになるたび、フットペダルを操作して微妙な修正舵を入れる。

 飛行帽に内蔵されたスピーカーが音声を吐き出したのはそのときだった。

 

≪よお――さすがだな、サラマンドラの旦那。空軍の出にしちゃ上手いもんだ≫


 ユーリは答えず、わずかに頭を動かして機外を見る。

 シードラゴンはサラマンドラの右斜め後方を飛行している。

 一見すると頼りなさげな複葉の水上機は、この暴風雨のなかでも意外なほどに安定していた。

 幅広の二枚羽が高い揚力を発生させることに加えて、胴体に装着された巨大なフロートがバラストの役目を果たしているのだ。


 現在の高度は三千メートル。

 トレチェント島を呑み込んだ台風の影響は、高度一万メートル以上の高空にまで及んでいる。

 いかに上昇力と高高度性能にすぐれるサラマンドラでも、雲の上に出てやり過ごすことは出来ない。

 さらにシードラゴンの実用上昇限度はせいぜい八千メートル程度であることから、どのみち編隊は低高度を飛行するしかないのである。

 

≪どうした、まさか無線機が壊れてんのか? 上等な機体の割にお粗末――≫

「そちらは機体の割にいい無線機を積んでいるらしいな」

≪なんでえ、聞こえてんじゃねえか≫


 ゴルドンは無線マイク越しに舌打ちをする。

 強電界層の干渉によって基地との通信はとうに途絶している。

 無線でやり取りが出来るのは、付かず離れずの距離を保っている二機の間だけだ。

 

≪よお、暇つぶしにすこし話をしないか≫

「仕事中だ。無駄話に付き合うつもりはない」

≪すこしくらい構わねえだろう。お互い昨日今日飛行機に乗り始めたシロウトじゃあるまいし≫

「話したいなら勝手に話せ。回線は開いたままにしておく」

≪そうこなくちゃ――≫


 欣然と声を弾ませたゴルドンは、どういうわけか、それきり黙り込んだ。

 ややあって、ふたたび口を開いたゴルドンは、どこか翳のある声で語り始めた。


≪なあ、あんた、俺たち水上機乗りが戦争中なんて言われてたか知ってるか?≫

「いや……」

だよ。池にいるあのアヒルさ。ガアガアってな≫


 そっけなく答えたユーリに、ゴルドンはわざとらしく道化じみた声真似をしてみせる。


≪水上機部隊の兵科章は本当は白鳥だったんだが、どこのどいつが言い出したのか、いつのまにかアヒルと呼ばれるようになってた。下駄履きのオンボロ飛行機に乗ってるような連中には、「みにくいアヒルの子」がお似合いってわけだ≫


***


 大竜公国がまだアードラー大陸の四方よもの海を支配していた時代……。

 おもに海洋上で活動する海軍航空隊には、おおきく分けて二つの区分が存在した。

 すなわち、空母航空隊と水上機隊である。


 空母航空隊のパイロットは、全員が厳しい選抜と訓練をくぐり抜けたエリートだ。

 艦戦乗りであれ艦爆・艦攻乗りであれ、きわめて難易度が高い空母への離着艦をこなすだけの技量をもち、実戦においては艦隊の航空戦力の中核を担っているという強烈なプライドがある。

 空母航空隊のシンボルである海鷲ゼーアドラーの部隊章は、全国の青少年の憧れの的となった。パイロット候補生のじつに九割までもが空母航空隊への配属を希望したのは、その人気のほどを示す好例と言えよう。

 大竜公国が地上から滅び去るそのときまで、彼らは名実ともに海軍の花形であり続けたのだ。


 一方、同じ海軍の飛行機乗りでも、水上機パイロットの立場はまるで異なっていた。

 彼らのほとんどは他兵科からの転科組――すなわち、もともと砲雷科や航海科に所属していたが、飛行適性を見いだされてパイロットに鞍替えした者によって占められていたのである。

 数少ない生え抜きの航空隊員にしても、空母航空隊で問題を起こし、懲罰的に降格・左遷された者ばかりというありさまだった。

 そうした背景に加えて、実際の運用でも空母航空隊と水上機隊の差は歴然としていた。

 戦艦や巡洋艦に搭載された水上機は、発進の際には火薬式のカタパルト・デッキを使用して打ち出される。そして着艦ならぬは、いったん母艦のそばに着水したあと、艦に備え付けられた起重機デリック・クレーンを用いて、文字通り釣り上げられる格好で行われるのだ。

 機体の構造上仕方のないこととはいえ、その様子は傍目にはいかにも無様に見えるのも事実だった。

 もともと自負心の強い空母航空隊のパイロットたちは、水上機乗りに対する露骨な軽蔑のまなざしを隠そうともしなかった。

 

――飛ぶも降りるも人任せなら楽なものだよ。

――落ちこぼれども。連中には古くさいがお似合いだ。

――おなじ海軍航空隊だからといって、あんな奴らと一緒にされたらたまらない。


 軍港の酒場で聞こえよがしに陰口を叩く程度ならまだいいほうで、なかにはわざわざ水上機隊の兵舎に足を運び、面と向かって侮辱する者もいたほどだった。

 水上機パイロットの階級は原則的に下士官止まりであったことも、彼らへの攻撃にいっそう拍車をかけた。軍において階級は絶対の序列である。たとえ相手のほうが歳下であったとしても、上官に口答えをすることは許されないのだ。

 内心では腸が煮えくり返るような思いを味わいながら、水上機隊のパイロットたちは不遇にひたすら耐えるしかなかったのである。

 大竜公国海軍では空母が重要視され、水上機という兵器そのものが軽んじられたことも、彼らが不遇をかこった一因だった。空母航空隊にはぞくぞくと新型機が配備されたのに対して、水上機隊は機材の更新もままならず、型落ちの旧式機をだましだまし使い続けざるをえなかったのだ。

 

 大竜公国とポラリアが戦争に突入して四年が経った1943年の春――。

 戦況が急速に悪化しつつあるなか、駆逐艦乗り組みだったゴルドン・ベルグマン水兵長は、転科願いを上官に提出した。

 志望先は海軍航空隊。ここまではありふれた話だ。

 航空隊への転属を希望する水兵は引きも切らず、その大半は一顧だにされることなく却下される。希望者全員に適性テストを実施する余裕はなく、そもそも空母航空隊は敗色が濃厚になっても相変わらずの状態が続いていたためだ。

 にもかかわらず、上官はゴルドンの転科願いを握りつぶさなかった。

 べつに彼だけを特別扱いした訳ではない。

 もし他の人間と同じように空母航空隊を志望していたなら、ゴルドンの希望はあっさりと退けられていただろう。

 彼が提出した用紙に赤インクで大書されていたのは、多くのパイロット志望者には見向きもされない水上機隊の文字であった。

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